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悟り体験について

悟り体験について思い出すように促されているので、書ける範囲で書いてみます。

今までは、悟り体験なんて、特別な人というか、私の記憶では、少なくとも男性の覚者しか本を読んだことがないですし、悟りを語っている方も、それは覚醒体験の悟りの一瞥であって、悟ったとは言わないのでは。。って方がほとんどで、本当の意味で悟りを知っている、と思った方は、やはりかなり少数の印象です。

最近はノンデュアリティ、という体験をする方も出てきて、何冊かさらっと読んだことがありますが、やはりそれは悟りではなく、一つの非二次元体験、という印象です。

悟りに入る前の8年間、覚醒体験は、山ほどあって、その度に奇跡のような出来事は確かに起こってましたし、お金や仕事が急に入ったり、元々引きの強い体質だったので、普段会えないような有名な方にセッション出来たり、ちょっとしたセレブとの交友関係などは、当たり前にあった方でした。
そのおかげで、コロナ前までは信者みたいな人たちもいたり、私は特別なんじゃないかと、調子に乗っていた部分もなかった、とは言えないと思います。
ただ、その間も、感情の解放や、思考の分析などは、誰よりも真摯に向き合ってきたと思いますし、死にそうな解放を何度も何度も繰り返して、自分の声をずっと頼りにここまで来た感じです。
その声は、自分の生きてきた観念や常識をことごとく覆すものでしたし、普通の人なら当然無視するのが正しい、と思えるようなことばかりで、何度も何度も、
「そんなことは出来ない、お願いだから許して。」
とつっぱねても、体のコントロールが効かなくて、スピリットに、強制的に全ての要求を飲まされる、という感じで、一時期は、一日6リットルくらいの水を飲まされて、飲んでは吐いて、を繰り返している時期もありましたし、一日中吸いたくもないタバコを吸わされる時期もありました。
その度に、泣いてお願いするんですが、手が勝手にタバコを口に持ってきたり、水を無理やり口に持ってきて、顔をそむけても、顔も無理矢理前に向かされて、飲まされる、という、拷問としか思えない方法で、反抗は許されませんでした。
なので、悟り体験に入るときも、悟りたい!とは1ミリも思ってたつもりはなく、この浄化はいつ終わるのか、ということだけが私の長年の疑問であり、唯一の願いだったんです。
だから、悟った自分に優越感、など持てるわけもなく、わけもわからず強制的に持ち込まれた感覚で、ここ最近で、やっと体の感覚が自由度を増してきて、そして感情も静か、という、初めての感覚を維持出来てることに、本当に終わりはあったんだ、という安堵感だけです。

悟り体験に入る前は、とにかく極度の緊張感と、解放しても解放しても、どんどん奥深いブロックを出してきて、更に現象や浄化が激しくなってきてて、こんなに頑張ってきてるのに、なぜこんな非情なことをするんだろう、と、神様を恨んでいましたし、もう本当に何もかもどうでもいいから楽にさせて、と懇願する毎日でした。
それが、6月になったら一新するから、と何度も言われ、希望を持って迎えた6月1日に、起きていきなり、
「悟りだよ。」
と、宣言され、怒涛の講義と実習が始まりました。
その間、寝かされず、食べることもままならず、の日々で、でもそれでも、全てを失った私には、悟り以外何も残されておらず、「私」を信じる以外、他に希望なんてなかったんです。
その間に、声に逆らって、就職してみようとしたり、現実を常識で考えるやり方で改善しようとすると、決まってそれは失敗したり、面接で簡単な質問でどもったり、入る予定のお金も入らなかったり、という、ことごとくうまくいかないので、自分のエゴを殺す以外ないんだな、という諦めることを徹底してやりました。

多分そのエゴをとことんまで潰されたのが、今朝だったと思いますし、感情がブレると、毎回
「なぜ私はこんな声を信じたんだろう、」
と絶望が上がってくるのですが、今朝は、
「見捨てられた。。」
とグルグル体が回り始めて、でも普段より全然心は落ち着いていて、声も
「それでいいよ。」
と言っている、という感覚で、5分くらいで平常心に戻って、とりあえずやれることをしよう、と、スピリットの声を信じて行動していました。

こんなこと書くと、悟りって悲惨なことにしか聞こえないと思うし、誰がやりたいの、ってなると思うんですが、だから誰もやってないんだと思うし、私も選択肢があればやらなかったです笑

ただ、昨日、今日と意識の彼方を経験してからは、同じ現実でもやはり何かが違っていて、自分が現実を考えなくても、無意識で現実が進んで行ってる感覚です。
マハラジが、意識を超えて、至高の実在になったら、意識が自己と融合して、勝手に人生を進めてくれるから、人生が勝手に展開していくんだ、ということを繰り返し言っている意味が、少しずつ、感覚でわかりはじめています。
理想とはまだ程遠い現実なのに、なぜか安心感、というか、もう頑張らなくていいんだ、という思いがどんどん強くなっていて、每瞬毎瞬くつろげるようになっている感覚です。
そして、今朝の絶望感が、結局、大丈夫な現実に持っ行ってくれてます。

これからはその経過をお知らせ出来たらいいな、と思っていますし、地球の変換期の今、こういう経験をする方も増えている、またはいくんだと確信しているので、そういう時に、それで大丈夫、って言えるようになりたいな、と思って書いてます。

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