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柔らかい境界線

今年は柿が豊作だったようで、熟しても枝に付いたままの柿が多く、それを目当てに熊が山から降りてくるのだというニュースを耳にしたからでもないのですが、庭に毎年実る柿を長い竹の棒を使って収穫してみました。特に上の方に実る柿を取るのは時間がかかる難儀な作業でしたので、害獣として駆除されてしまう熊のことなど、あれやこれやと考えながら、ひたすら柿の実を落としていました。


地球温暖化で、最近は熊も冬眠ができなくなっているというニュースもありました。冬眠しないと、お腹が空いてイライラした状態で歩き回るので危険だそうです。自然や動物が生息する地域と人間が暮らす地域との境界線がなくなり、山の食糧不足も重なって熊が人里に入り込むのでしょう。

自然と人工物との間に何か目に見えない境界線があることは意識できないのですが、かつては里山がその境界線の役割を果たしてきたようです。しかしながら「人間は越境する動物」だとも言いますので、熊が越境したのではなく、人間が里山を破壊してきたのだと感じます。


少し飛躍して、国の境界線のことも考えてみました。日本では海が国境なので意識しづらいのですが、「人間は越境する動物」なので、陸続きの国境線ではある程度の越境はあったであろうし、大きな問題にもならなかったのかもしれません。境界線の曖昧さこそが、里山の役割をしていたのではないかとも思うのです。つまり開放されているわけでも封鎖されているわけでもない、「柔らかい境界線」が機能していたのです。それが社会生活を柔軟にし、平和的なものにしてきたのも事実です。


しかしながら国境に壁を作って封鎖し、厳密に越境を管理することは、里山を無くすようなものなのです。紛争は、里山の役割を無くすことからも起こっているように感じます。自然からの知恵は、紛争を無くすヒントになるのかもしれないとも考えました。


柿の話に戻ります。収穫に時間はかかりましたが、肥料を使っていない甘い柿をほおばるのは、夏が過ぎて冬に向かう今年の短い秋を味わう貴重な時間となりました。

そこで一句ひねりだしました。


取り残す 柿の実ひとつ くれてやる 秋な忘れそ 口渇(こうかつ)の熊

(収穫できなかった柿の実ひとつを喉が渇いた熊に残しておくよ、秋を忘れないでくれよ。)



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