生きてる事の美しさをひとつぶの涙で例えよう。 そう思った。 脳みそも体も全てがドロドロと液体になって絵を描き続けている私は、その大きな泥を何か一つの纏まった形にしたかった。 私の描く絵には度々「涙」が出てくる。 これは、軽率な涙では無い。並大抵のことで流す涙では無いのだ。 人は感動すると涙を流す。人は痛みを感じると涙を流す。いろいろ涙の種類があるが、私の描いている涙は「生きてる事の美しさ」全体を表している。 人間の核の部分に入り込んだ、染み込んだ傷がじわじわと広がっ
今回でデザフェス3回目のライブペイントとなった。 過去2回、それはそれは気持ちよく一心不乱に描きなぐって、汗だくになり、心地よい疲労感とともに終えた。 しかし、今回は違った。 詳しく言うと、初日は違った。 まず遡ると、私のスタイルや絵の変化の話になる。 今まではがむしゃらに描きなぐりながらも少しの静かな涙、苦しい感情を表現してきた。 それがここ最近、大きなキャンバスに描くようになり小さな心のざわめきを描き起こすようになっていった。 風の匂い、降り立った駅の緑、カタコ
2024.4.12〜15 原宿デザフェスギャラリー 1-A はじめての個展をしました。 沢山のご来場の感謝とともに私の感想を述べていきたいと思います。 まず、ずっとやりたいと思っていた個展を決めたのは2023年の夏頃でした。 2人展や企画展などを経験してきて、自分の、自分だけの空間を作って自分の絵をたくさんの人に見てもらいたいと思ったのがきっかけです。 デザフェスvol.58の時にはDMを置きたいと思い、個展タイトルとメインビジュアルである絵を完成させました。 「朝日
恋愛の楽しさと幸せを知ったのは25歳になってからだった。 数年ぶりにできた恋人に教えてもらった。 今回はこれまでの私を書いていく。 私は人間ができなかった。 何を言ってるんだと思われるだろうが、人を観察して人の感情を細分化して、人間の共通認識を確認した上で会話を成立させるということを今までしていたのだ。 だがそれが普通だと思っていた。人はみなそうやって生きているのだと。 コミュニケーションよりも自分の苦しみでいっぱいいっぱいだった。 「機械であることに気がついていなかった
自分の気持ちを上手く絵に吐けない。 ゲロが胃で蠢いてる。 焦れば焦るほど線が嫌な方向に荒くなり、気持ちよくなれない。 描いた絵が、線が、死んでいく。 たった今描いた女の子は、青いポスカで死んじゃった。 1つの魂を失ったような気分。 全部私のせい。 上手く描けない時ほど、絵を描いていないと落ち着かない。 それは、私が絵から離れていくことよりも、絵が私から離れていくことが怖いから。 絵に突き落とされるなら、私はこの世の最も苦しい死に方で死んだ方がマシ。 やっと見つけた自
この一年で私は大きく変わった。 新しい世界を知った。 新しい友達ができた。 新しい仲間ができた。 生まれてきていちばん楽しい1年だった。 3月25歳の誕生日をむかえた。 苦しくて死にたくて自分が嫌でどうしようも無かった私が25年生きた。 布団の上で泣いて、自傷行為をして、迷惑をかけながらも、25年生きれた。 25年も生きれたのかと思うとなんだかこの先ももう少し生きてみていいだろうという気持ちになった。 4月祖父母から誕生日プレゼントで貰った油絵具を使って、油絵を始めた。
最近の私は描きたいものが描けている。 筆が進む。心が直接右腕に繋がっていて、感じたことや自分の気持ちを上手く吐き出せている感じがする。 気持ちいい。 最近の私はアクリル画という縛りを取っ払った。 アクリル絵の具だけじゃなく、ポスカや水彩絵の具、水彩色鉛筆、マッキー、ミリペン、クレヨンなどを使用している。 アクリル絵の具を使いこなす技量がまだまだなところがあるといったらそうなのだが、たくさんの画材を気持ちによって使い分けることによって思い描いた表現ができるようになってきた
2022年11月19、20日に行われたデザフェスに行ってきた。 物凄く刺激を受けた話。 今回私は一般で両日参加をした。(自身は申込忘れた。) 作家がライブペイントで描き始めるところと、描き終えた絵を見たかったからだ。 私の絵ってなんだろうと考えさせられた。魅力を考えるより先に出てくるのは絵を描いている時の楽しさだったのだが、魅せる描き方、埋まっていく壁画、輝くライブペインター達。 そんなみんなをみていたら、楽しい気持ちの中にでてきたのは、なぜか複雑な気持ちだった。 もくも
私がなにかを始める時、とても慎重になることが多い。 双極性障害を抱えてることによって活動の制限を自分でかけてしまう。 たくさんのことに手を出すとパニックになってしまうと過去の自分から学んでいるし、なにより次の日腕すら動かせなくなるほど布団に体が沈んでしまうときがあるから。 今回、私が筆ロックという【アーティストが5~6分の即興アートで戦うバトルイベント】に物販として申し込み、結果、バトルイベントの方にも参加したお話を綴らせていただく。 きっかけ まずはじめに、きっかけは
幹夫800です。 今回は先日Twitterにて公開した「映画にも出来ねぇくそ人生」という漫画の裏側を描いていこうと思います。 主に、ネーム、構想、迷走など…。生み出すのに辿った道をご紹介したいと思います。 まだ未読のかたはこちらから無料で読むことが出来ますので、この記事を読む前に読んでいただけましたら幸いです。(Twitter、pixiv、note内容同じですので見やすい媒体でお読みください!) もし良いと思っていただけたらサポートで支援していただけたら大変糧になります…
※これは私の経験によって生まれた考えです。 考え方のひとつとしてお読みください。 ずっと叱られている感覚。昔、何も無いのにこの世界のありとあらゆるものに泣きながら謝り倒して自傷していたことがある。 腕を切り、無理やり吐き、オーバードーズをし、そこから酒を飲み、風呂の床を舐めることによって気分を落ち着かせていた。その時それが私の一番安心できる行為だった。 腕を切れば痛みによって許される。吐くことによって解放されて許される。オーバードーズによって現実逃避。飲酒で記憶を無くし
夜の街。繁華街でもない大通りを歩いている時、いつもより大きく聞こえる車の走行音や、目に入る色の暗さと信号の明るさのコントラストだったりが、この東京という街の温度を映し出しているのだと思う。 雨が降った日の後なんてものは尚更で、湿気が肌にまとわりつくと、その不快さが生きてる心地を思い出させてくれるのは私が26をこした頃からだったかな。 今日の自分は少しだけイラついていた。おおよそ30分前に注文した品が、何度聞いてももう少々お待ちくださいとしか言われずでてこないのだ。 そんなイ
お笑いの「力」を見た。 先日私は、サツマカワRPGさんが主宰する「バケモノ屋敷」というライブに行ってきた。 サツマカワRPGさんのファンだったので、彼が面白いと思う芸人さんは私にはどう映るのかが気になって私は出演者もよく知らないままチケットを購入した。 衝撃だった。 見終わった後の私は、息が切れていてアドレナリンの分泌がすごく、いつもながらの「ライブ後の一服」をしても脳みそは興奮したままで「バケモノ屋敷」でいっぱいに満たされ、今までにない感情に陥っていた。 それほど
夜ってやだよね。 寝なきゃいけないし、寂しさを連れてくるし、大きな魚が部屋に現れる。 死にたいと生きたいの繰り返しの脳みそ。 そしてゆらゆら大きな魚。なにか食べ物を探してるかのようにゆらゆら、ゆっくり私の真上を泳いでいく。 怖いような寂しいような気持ちになって私は声を殺して布団を口までかぶる。 見つかったらどうなってしまうんだろうと、そっと目を閉じる。私いませんよ〜って顔をして。 視覚を遮断すると今度は聴覚。水の音が聞こえる。ゴポゴポという泡の音、そこに大きななにかが横切
私は双極性障害を患っている。20歳の頃からなのでもう4年ほどずっとだ。 これは、そんな私が手を引かれ、太陽の下に引っ張り出してもらった話。 2021年1月。私は数年ずっと日々暗闇の中で暮らしていた。1歩も動けない日なんてものはざらで、外に出れる日なんて1週間に2〜3日しかなかった。毎日が地獄。なにかが私を追い詰めるかのように日々見えないものに怯えていた。 そんなある日。知人のおすすめでとある芸人さんの動画を見た。タイトル「ギャグミテ」。なんだ?と思いながら再生すると、サ