描きたいものを描く、生きている。
最近の私は描きたいものが描けている。
筆が進む。心が直接右腕に繋がっていて、感じたことや自分の気持ちを上手く吐き出せている感じがする。
気持ちいい。
最近の私はアクリル画という縛りを取っ払った。
アクリル絵の具だけじゃなく、ポスカや水彩絵の具、水彩色鉛筆、マッキー、ミリペン、クレヨンなどを使用している。
アクリル絵の具を使いこなす技量がまだまだなところがあるといったらそうなのだが、たくさんの画材を気持ちによって使い分けることによって思い描いた表現ができるようになってきたのだ。
最近の私は気持ちが溢れすぎている。
苦しい感情を苦しいの一言でまとめなくなった。
どう苦しいかをできるだけ分析してそれを紙に落とし込むことが多くなった。
苦しいことは気持ちいいことと紙一重だと思った。
どんなに足掻いても私という人間の根底にあるのはやっぱり鬱屈とした感情である。その鬱や苦しみを紙に嘔吐してくことによって生きてることを更に実感している。 私は幸せな感情を持つことだけが幸せではない生き物なんだと思ったのだ。
生きていることが苦しいのに、その生きる苦しみを表現して吐き出して生きてることを実感して、それでようやく「生きる苦しみの快感」にたどり着ける。
楽しいという感情の時、「生きている」は実感しない。
苦しい時こそ人間であることを実感して気持ちよくなれるのだ。それは、人間をしていることの安堵もあるが、苦しみは人間としてレベルアップするためのハードルともとれる。
私が双極性障害を患った時。それは本当に辛い日々だった。毎日布団の上で泣きじゃくり、人生が上手くいく方法ばかり考えていた。どうしてこんなにも上手く生きられないのだろうと自分を傷つけた。
当時は死にそうだったが、今思えばその期間があってよかったと思っている。
苦しみを乗り越えてきたことは何よりの経験だと思う。
たくさんの鬱に関する本を読んできたことも、人生の一部となって今に活きている。これは病気にならないと経験できなかったと思う。
絵を描くことで、今まで泣いて泣いて拒んできた生きることへの気持ち悪さと、ようやく一緒に生きていきたいと思えるようになったのだ。
辛くて苦しくて暗くて未来が見えなかったあの時に戻りたくないってずっと怯えて暮らしていたけど、今は、もうそこにはきっと戻らないって思える強さがある気がしている。
2023年の目標は、もっと自分が絵で気持ちよくなれるために、表現出来る幅を広げる特訓をする。技術をあげる。ことにしようと思う。
最近の私は刺激を求めている。
マゼンタみたいな刺激を求めている。目がガンガンするような、重くて殴ってくるような色。
それは絵というより、言葉で一度ぶっ刺されたい。そして呼吸がヒューヒューいいながら描く私の絵がどんなものかを自分の体で実験したい。
瀕死になりながら世界一の苦しみを味わいながら描くものはどんなものなのか。
最近の私は絵を描いている時と他人と対話している時のモードが上手く切り替えられない。
絵を描くときの私は液体になる。黒くてとろとろな液体。波のように不規則でしなやかな状態。
心がそのまま腕に流れてて絵を描いてる時、体ごと内蔵ごと液体になってて、上手く人の形を保てない。脳みそも液体だから会話も上手くいかない。
液体になっている時は、言葉という概念が消えて、全てが形と色になってゆらゆらと筆にのせる。
液体の体で絵を描いて、描き終えて気体になって、また登ったものが個体になって、人間に戻るの繰り返し。
絵に飲み込まれると、固体に戻るまで時間がかかる。夕飯の時間も忘れてひたすら描いて、人と暮らしているということを忘れて迷惑をかけている。夕飯を作って待っててくれている同居人に申し訳ないので、だれか殴ってくれ、その痛みで私が固体であることを思い出させてくれ。という気持ちだ。
最近の私はこのような感じ。
足掻け、足掻ける道がある選択肢を選べ、足掻くことはない落ち着いた場所へ行こうとするな。終わりの見えないトンネルを進み続けるのみ。
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