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人間もどきの感情的恋愛論

恋愛の楽しさと幸せを知ったのは25歳になってからだった。
数年ぶりにできた恋人に教えてもらった。

今回はこれまでの私を書いていく。

私は人間ができなかった。
何を言ってるんだと思われるだろうが、人を観察して人の感情を細分化して、人間の共通認識を確認した上で会話を成立させるということを今までしていたのだ。
だがそれが普通だと思っていた。人はみなそうやって生きているのだと。
コミュニケーションよりも自分の苦しみでいっぱいいっぱいだった。
「機械であることに気がついていなかった機械」のような存在だった。

少し酷かった昔の話もする。
手当り次第1人飲みで知り合った男性とセックスをしていた。寂しさから逃げたくて、鬱で動けなくて、なんにも取り柄のない空っぽな自分をひとときでも必要としてくれる人が欲しくて。
ただただ自傷のようなものだった。
肉体的恋愛でもない、ただの心の穴を一時的に埋めるだけの性行為
今考えればとても危険な行動だと思う。
そんなことを繰り返してる時に彼に出会った。

前に付き合ってた人たちも趣味恋愛や肉体的恋愛などが多く、情熱的になることは無かったし、そもそも恋愛だったのかと言われると分からなくなってくる。なあなあで付き合っていたのかもしれない。

今の恋人に出会い、変わってきている。知らない感情を沢山貰い、今まで深い関わりを怖がり、逃げていた私が人と深く繋がっていきたいと思えるようになった。情熱的恋愛を知ったのだった。

不安なく素直に好きだと言える相手にようやく出逢えたのだった。
知らない気持ちを貰った時、ドキドキするしワクワクもする。こんな気持ちをみんなは味わってきていたんだね。

私の恋人は、私の病気も最初から受け止めてくれていた。
付き合う前、「病気だから」というと直ぐに「関係ない」とLINEが返ってきたのを今でも覚えている。
私はもう6年も精神疾患を持っていて、病気が故にドタキャンしたり仕事を休んだりしていたので、毎日毎日心臓のドキドキが止まらず苦しい日々だった。

付き合って最初の頃。デートを何度もドタキャンしてしまったらどうしよう、家を出る足が、あの会社に行く時に震えていた足のように動かなくなる日がいつか来たらと思うと泣いてしまう夜もあった。

でも、今はそんなことに陥らないようになった。
恋人を信頼し、愛されている自信があるからだ。

今まで、辛い日々を支えてきたし支えられてきた。

ついこの間、付き合って1年を迎えた。私は自分が変わったことをひしひしと感じる。

慌てて脳内のフォルダを引き出さなくても伝わり合うもので感じ取れること。

恋愛に限らず、人との対話でフォルダ分けをしなくなった。率直な思いを伝えることが多くなった。
なんだか人間みたいだった。
生きてる感じがする。息がしやすい。苦しくない。水の中でも、乾いた砂漠でもない、「場所」がある。

私は恋人と、そして私の周りにいてくれてる人みんなに感謝している。

素直になれ。
心は自分から開け。
同じ方向を向いてるか定期的に確認しろ。

私の中のフォルダ分けアンドロイドは消え失せた訳では無いと思うけど、人間もどきから、人間(初心者)にはなれたのかなと思う。

胸を張って人間になれた時、私はまたnoteを書く。

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