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新宿区の夜は深く

夜の街。繁華街でもない大通りを歩いている時、いつもより大きく聞こえる車の走行音や、目に入る色の暗さと信号の明るさのコントラストだったりが、この東京という街の温度を映し出しているのだと思う。
雨が降った日の後なんてものは尚更で、湿気が肌にまとわりつくと、その不快さが生きてる心地を思い出させてくれるのは私が26をこした頃からだったかな。


今日の自分は少しだけイラついていた。おおよそ30分前に注文した品が、何度聞いてももう少々お待ちくださいとしか言われずでてこないのだ。
そんなイライラを促進させるかのように入店してきた学生らしきカップルが大きな振動を立てて隣に座った。
最近の子供は、好きな人への恥ずかしさなどないものなのか、横目に見ているときゃあきゃあと話しながら手を触ったり、互いに食べさせあったりしながら食事をとり始めた。
私が少し高い金を払ってまでこの時間のこの喫茶店に来ているのはなんのためか分かっていないのかと、理不尽な恨みに襲われた学生カップル。今日のところは運が悪かったとして、カップルのパフェよりも遅く来たナポリタンを口に運んだ。
飯というものは素晴らしいんだな。感情を相殺された私はもう既に友達の生まれてくる子供へのプレゼントをどうしようかと考えているし、いつも頼む少しだけ上質なコーヒーは心做しか濃かった気がした。
腹を満たし呑気に欠伸をして、途中コンビニに寄りながら家路につく。


「23時か…」
明日の仕事は午後からなのでたっぷりと眠れる。いや、眠れない。睡魔が来ようが私は眠れない。不眠症だって診断されたあの日の安心感を思い出しながら必死に目をつぶることしかできなくなっている。あーあ、眠剤の入ってるシート、カチャカチャ音するし踏むと痛いから嫌いなんだけど、まず床に置いとくなという話。

目をつぶるとそこは真っ暗で、また真っ暗かよって思うともう眠れない。眠れず仕方なくTVを付けるなんてことは今日でもう何百回目だろうか。
通販、音楽、若手芸人、ちょっと前の映画、声優の名前ももうわからなくなってしまったアニメ、

ぽちぽちと変えてくうちに嫌気がさして電源を落とした。これもお決まりのいつもの行動。
仕方なく窓を開けてベランダにでる。夜風でも浴びてすっきり寝られたなら最高なのになと思いながらコンビニで買ったピルクルを一口飲むと、その甘さが私を肯定してくれてる気がして少しの安心感。いやここは水を買うべきだったなと思った数秒前の私を許さない。


夜の風は気持ち良くて、不快だった。
夜風でも浴びてすっきりして…などと考えていたのだがどろどろに眠く、でも眠れない今、なんだかむかついた。私一人置いてかれてる気持ち。みんなが夜風と共に睡眠へ送られていくのになんで今日も私はこんな目に。

ベランダの淵に腰かけて煙草を吸う。ピース。女の子が吸うにはおじさんくさいよね、って周りに話して満足してるもう一人の私。だってピアニッシモじゃ私の身体を作ってくれないんだもんしょうがない。毎分毎秒、溶けていき続ける身体を支えてくれるのはピースしかいない。

煙を見ながら先ほどのカップルのことを思い出す。あ~恋したいな。優しくてイケメンで面白いなんて高スペックは望まないから、私のことを好きでいてくれる人が一番いい。でも、そんなこと思いながらもいつも飲み屋に行って男をひっかけてしまうのだけど。
あの子たちはいつから付き合っているのだろうか、あの子たちはどこまでしたのだろうか、あの子たちは…
あの学生らについて考えが止まらなくなってきて、なんだか身体がぐったりしてきた。寝るチャンスかな?
煙草を消して、座りながらフローリングに倒れこむ。
冷たいな~、いや、冷たくしないでよ。床までにも拗ね始めたらもうおしまい。最後にピルクル一口飲んで、次に目を閉じたその時から意識はなくなっていた。


雨の音で目が覚めた。起きて真っ先に思ったのは、べたべたする。だった。床にピルクルが巻き散らかされている。きっと寝返りかなんかで倒してしまったのだ。
「髪にもついてんじゃん…。」
あんなにやさしくしといて私をべったべたにしたピルクル容疑者を許さない。「ひどいじゃん」って言葉は大雨に音にかき消されてどっかいった。
ぺとぺととした音をたてながらシャワーへ向かう。
そして会社に休みの連絡をいれた。

雨だし、ベタベタだし、もうなんかやになっちゃった。寝れたのもおそらく4時間くらい。大都会にある我が会社へ出向く足取りを想像しただけで疲れてしまって、そんな日もあるよなって自分を許した。自分にも甘く生きてこうぜって、なんかフォロワー2000人くらいの人がTwitterで言ってた気がする。普段その人のネタツイまわってきて、見ておもんないわって思ってるけど今日だけは貴方の言葉借りますわ。よろしゅう。

そんなこんなでお風呂あがりにソファーで寝転がってると腹の虫がなった。結構大きい音。買ってこないとご飯ないな~やになっちゃう。でももう、エアコンの除湿をつけてるものの一向に除湿されないこの部屋にいるのと、大雨の外にでるのとで大差ない気がしてきて、ジャージに、素足にスニーカーで部屋を出た。雨でじゃぶじゃぶになった靴下がこの世で一番嫌い。

マンションの階段を下りていると、スーツを着て疲れた顔したサラリーマンが前からやってきた。朝帰り、お疲れ様です。と心の中でお辞儀をしたらばその瞬間にサラリーマンが大きなくしゃみをした。
びっくり。ゴールデンレトリバーの吠えてる声みたいなダイナミックくしゃみに思わず笑い声が漏れてしまった。
相手が恥ずかしそうにこちらを見た。
「あっ、すみません…」
咄嗟に出たか細い謝罪。沈黙。なに。なんなの。なにかいって。
相手はこちらをずっと見ている。

どすっぴんな上に先ほどまで頭にピルクルがついていた女なのでそんなまじまじと見ないでいただきたい。

「眠れないんですか?」

相手が口を開いたと思ったら、そんな一言でびっくりした。今の私すごく顔に出ていると思う。手品を見た後の若手女優みたいな顔。

「あっ、女性に急にすみません…。くまが、すごかったので、」

なるほど。実際寝れてないしなと思いながら私はそうなんですよとだけ返した。不眠症がこのマンションの一人に見つかったとて何も日常に害はないだろう。

「僕、ルネスタ飲んでて、」

「それで、昨日貴方がベランダに出てるのをお見掛けして、」

「あ、不快ですよね、すみません…。」

おいおい。このマンション不眠症が二人もいるのかよ。見られてた驚きもあったが真っ先に浮かんだのはその感情だった。

「そうなんですね、私はマイスリー飲んでるんですよね。毎晩困っちゃいますね、お互い。」

私はにこりと笑いかけた。お疲れだろうにここまで私に話を振ってきてくれたのだからそれくらいはしてやろう、となんだか神になった気持ち。
すると相手はゆっくりと瞬きをした後に私のくまを撫でた。
世間話と呼んでいいのかわからない内容だが、「マンションの住人」という存在に気が緩んでいて反応が遅れた。

相手は無言だった。私は泣いた。

ビリビリとした日々、誰も私に触れるんじゃない、貴方を弾いて傷付けてしまうと共に、私がドロドロと雪崩れていってしまうから。
一気に崩壊した私の心は止まらなくなり、気が付けば抱き着いていた。
腹の虫が鳴った。気になんかならなかった。

つまらない日常の中、幾度となく私にとっての大きななにかが現れないかと妄想してきた。今がそれが現実になったのかもしれない。
いろんな感情を抱えながら私はその人と私の部屋に行き、セックスをした。
死んでもよかった。


起きた。もう夜だ。久々にこんなにも熟睡した気がする。
隣にその人はいなかった。
そんなもんか。
ベッドからはその人の温もりさえ感じられなかった。窓を開けると雨は上がっていてじっとりとした空気が部屋に流れ込んできた。気持ちいい。

また会えたら、なんて思わなかったわけではない。ただ、また会ってもどうしようもないという気持ちが勝ってしまっていた。なんなら、また階段とかで顔を合わせたくないなと思うくらいだった。
腹の虫が鳴った。
おちてるパンツとTシャツを拾い、身に付け、私は喫茶店へ向かった。


飯というものは素晴らしいんだな。感情を相殺された私はもう既に次のちいかわの更新楽しみだなあと考えているし、いつも頼む少しだけ上質なコーヒーは心做しか濃かった気がした。

これからも私の眠れない夜は続く。

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