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ドクメンタ15 世界で今起こっていること

⑥      

カッセルという街へ行ってきました。
ドクメンタを見るために。

朝いちばんに飛び乗った列車は、夏の休暇の真っ最中だったこともあって、車内はなんだか楽しそうに弾んだ空気と大勢の人。ここいる人みんなそれぞれが旅の目的地を持って散っていくんだなぁ、と、しばし同席した彼らの笑顔をぼんやりと眺めているうちに、いつも通りの多少の遅延はご愛嬌としつつも列車はなんとかカッセルへと無事に滑り込みました。

過去の歴史の傷にその起源を持ち、常に現代における表現の可能性について問いを立ててきたドクメンタ。世界における最も重要な現代アートの国際展、と言われることもあるこの展覧会は5年に一度のペースで開催され、カッセルの街の各所で行われるさまざまな展示やイベントを通して、世界中から集まる多くの人々を楽しませ、そして同時にさまざまな議論を巻き起こしてきました。

ずいぶん前にドクメンタに関するニュースかなにかで、インタビュアーがドクメンタの会場で来場者の方々へ質問をしてまわっている動画を見たことがあります。インタビュアーが展示を見て回る年配の女性に「毎回ここへ来られているのですか?ドクメンタのなにがその魅力でしょう?」という質問を投げ、それに対してその年配の女性は「え、だってこれ見ないと、今、世界で何が起こっているかわからないじゃない」と少しぶっきらぼうに笑顔で答えていたのが印象的でした。

現在、世界でなにが起こっているかを見に行くための展覧会。それは単に切り抜きのニュースを集めたものではなく、各データの集積でも、論文をまとめたものでもありません。ドクメンタは芸術の場であって、それは常にアーティストの現実的な実践と共にあり、そしてそれを観る人の具体的な体験と共にあることを意味します。

インドネシア出身のルアンルパというアーティスト集団が初アジア出身の総合ディレクターとして総指揮を務める今年のドクメンタ15では、これまでになかった参加作家のラインナップとその独特な展覧会運営と方法が話題となっていました。

それはひとえに権力構造を基盤としたヒエラルキーの解体と展開を目論むもので、より複雑で多様化する現在を生きるあらゆる土地の人々の文化、表現、思想をもう一度丁寧に見かえすことで、知識や経験の共有、そしてお互いの共存の可能性を探るための試みでした。

まぁ、まずは見てみなくちゃ始まらない、そうつぶやきながら、過去の思い出がおぼろげに重なる5年ぶりのカッセルの街を会場へ向かっててくてくと。

しばらく歩いて見えてくるのは堅牢な造りの大きな建物、67年前にさかのぼる第一回目のドクメンタのそのさらに昔から建っていた歴史あるフリデリチアヌムミュージアム。常にドクメンタのメイン会場として、これまでいくつもの作品がこの場所に展示されてきました。

会場の周りには、おそらく世界各地から集まった観客たち、開放的な夏の匂い、日差しは強くも空気はいくらか乾燥していて、じめっとした湿気がない分、日陰に入れば吹き抜ける風がここちよく全身から熱を奪い、頭の先へと抜けていきます。

ではさっそく、と入口を前にして進む軽い足取りの中、ふと横目で視界に入ったのはシンプルなデザインのポスター。目をひく黒塗りの色面に白抜きで書かれたその文字は、まるで「当店は注文の多いレストランです」とでも言うように、これから起こる物語の顛末を、よもや先取りするように掲げてありました。


"… this question (where is the art) is really happening… "
Daniella F. Praptono, documenta fifteen 2022

「どこにアートがあるっていうの?」が、本当に起こっちゃってる。。。

ルアンルパ



どこにアートがあるの?って、ここは美術展、みんな、アートを見るために各地からわざわざ集まって来たんでしょうに。そもそもここはドクメンタ、世界で最も重要な現代アートの国際展、と呼ばれる5年に一度の大展覧会、アートがどこ、なんてことはないでしょう。

ははぁん、なるほど、これは軽いあいさつを兼ねたご案内みたいなものかしら。現代アートというものが、いわゆるアートにはとても思えない、なんてことはよくある話で、要するに、アートに見えないようなものがあったとしても、どうか驚かず、また怒らずに、といった注意書きのようなつもりでしょう。

お気遣いなく。こちとら何回目のドクメンタだと思っているんでしょう。ここに至るまでに途方もない数の展覧会を見てきたんです。そんな簡単に驚くことなんてありません。むしろ驚かせてみなさいな、と言いたい。

そんな少し勝気な態度で臨むのも、もちろん期待してのこと。モダンな神殿のようなたたずまいのこの堅牢な建物は、入り口前に立つ巨大な石柱の間を抜けて中へ入ると左右二手に大きな扉が開いており、それぞれその向こう側には奥行きのある広々とした大部屋があります。それらの大空間はいわば展覧会の顔となるメインルームで、これまでにたくさんの素晴らしいアーティストたちが展覧会に華を添えてきました。

ひとつずつ、まずは左の大部屋から。部屋へ入る瞬間にこれまでのドクメンタの歴史を彩ってきた数々の展示が頭をよぎり、同時に今それを塗り替える新たな作品との出会いへの期待に胸を膨らませつつ、一歩足を踏み入れると、そこは広々とした空間を大胆に使った大きな託児所になっていました。

え、託児所?


あれ、おかしいな。展覧会の看板となるようなメイン会場のはずなんですが、託児所ですか、これは。あ、いえ、おかしくなんかはないですよね。たしかに託児所は大切ですもの。事実、子供は私たちの未来です。託児所は人類の未来にとってなにより大事、と言っても過言ではない、はずです。

© documenta fifteen official archive
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それならば、と反対側にある右側メイン会場へ入ってみると、今度はたくさんの椅子が並べられた会議室、と言うよりは教室ですね。大きな机と本棚もあります。

学校?

(写真は公式のイベント時のもの)

© documenta fifteen official archive
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今回、メイン会場となった美術館の地上フロア全体のうち50パーセント以上が子供たちのための自由な学びの場として与えられていました。

ドクメンタ15では、様々な立場に立つ人たちが異なる視点を「お互いに学び合う」ことがテーマのひとつとなっています。そして「学ぶ」という態度において、どんなに偉い学者よりも圧倒的にプロフェッショナルと言えるのが子供たちです。彼らは目に映るすべての初体験を吸収し、解釈し、試行錯誤しながら、ときに言語や身なりや立場などの垣根をいとも簡単に乗り越えます。

しかしより正確に言うならば、子供だけのための場所、ではありません。託児所の作者であるブラジルのアーティストコレクティブはこの空間を「大人と」子供のための託児所である、と言っています。メンバーの一人はアーティストであると同時に幼児教育学者であり、いかにして幼児がその成長過程において世界を学んでいくか、またその学びの過程からどれだけ多くのことを、大人が学ぶことができるか、について語っています。

幼児教育とは保育学(ペタゴギー)のことですが、語源はギリシャ語で「子供を導く」といった意味です。幼児期における知覚形成段階でアートに触れることが多角的視野や抽象的思考の形成にとっていかに重要であるか、という研究はこれまでも多くされてきましたが、近年ではますます保育とアートの関係はより密接になってきています。

保育とは、義務教育以降の知識を基盤とした教育とは異なり、それ以前、つまりはじめて社会と接する段階における教育のことで、現在そうした保育的な幼児学習は、ある社会に初めて接した際の学習過程への応用の可能性が改めて問われています。

つまり保育が移民の受け入れや多宗教の共存など、新しい社会に接する際の認識過程のモデルとして研究されており、実際にアートを通した移民の受け入れプログラムはすでに多く実践されています。

乳幼児における世界認識と行動についての映像作品
世界中のあかちゃんのおもちゃ
美術館内で本気ではしゃぎまわる子供たち


また美術館のほかの階では、ありとあらゆる世界各地の芸術文化のアーカイブがそれぞれのアーティストコレクティブによって丁寧に展示されていました。

アルジェリアのフェミニストたちの歴史やアジアのアートヒストリーをまとめたもの、またインドの昔のアートフェアや過去のオランダの植民地貿易によってもたらされた多くのアフリカの工芸品とその関連書籍を集めたコレクション、もしくは国ではなく移動型民族であるロマ人(ジプシー)たちの迫害の歴史と文化遺産などについてのアーカイブ、またイギリスの障がいのある子供たちによるアート活動など、まさにここでしか見ることができないような作品とコレクションが一堂に会していました。

それらのアーティストコレクティブの多くはグローバルサウス出身の人々が多く、西洋中心のアートシーンでは見慣れないものが多く目につきます。しかし例えば、国際的に名高い芸術賞であるイギリスのターナー賞のノミネート作家や有名なコマーシャルギャラリーに所属するアーティストなども中には参加しており、ドクメンタ15は単なる(西洋にとって)物珍しいエキゾチックな作品を並べただけの展覧会や一面的な政治的主張を固持するような展覧会ではない、という姿勢が感じられます。



美術館となりの大ホールに向かうと、建物の前面はたくさんのトタンで覆われていて、そのトタンをつなぎ合わして作られた細長い東南アジア風の簡素な小屋が西洋風のモダンで堅牢な建築の手前にちょこんとせり出しています。

その小さなトタン小屋を入り口にして、薄暗い通路を抜けると、突然視界が開けて広く明るい大ホールへ出てきます。館内には大きなスケートボードリンクが建てられ、若者たちがスケートボードを楽しんでいました。これはタイの伝統芸術である影絵ナン・ヤイ上演のための現代的な舞台装置として設置されたもので、公演がない時間帯には誰もが自由にスケボーを楽しむことができます。

© documenta fifteen official archive


美術館ホール内に建設されたスケートボードリンクに隣接するのは、大きな印刷工場です。ドクメンタ15では100日間の会期中に1000を超える公式のイベントが行われます。それらの多くはショーやパフォーマンスですが、そのうちにはたくさんの講義や授業も含まれます。この展覧会の中の印刷工場では、そうしたイベントで使われる多くのテキストやカタログなどの配布物、またポスターや地図などの印刷物がデジタルプリントやシルクスクリーンなどさまざまなかたちで日々刷られ、たくさんの人たちが常にここで働いています。

© documenta fifteen official archive
© documenta fifteen official archive
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巨大なプリンターの上に組まれたやぐらの上で印刷機の音に合わせてドラムをたたく工場長


美術館なんだかスケートパークなんだか印刷工場なんだかわからない道中を楽しみながら進んだ先にある音楽ホールは映画館のようになっており、大きなクッションが床中にばらまかれた居心地のいいスペースになっていました。臓器売買をおこなうマフィア組織にひとり立ち向かう少しぽっちゃりとしたアフリカン系の母親と少々間抜けなドイツ人サッカー選手風の男がくりひろげるカンフーワイヤーアクションを駆使した超低予算B級映画風ドタバタコメディ作品が上映され、暗闇の中でみんなが自由に寝ころびながらスクリーンを見つめて爆笑しています。

DW © Sabine Oezel
© Wakaliga Uganda
Ssempala Sulaiman, © Wakaliga Uganda

このウガンダ出身のアーティストコレクティブは映像制作をひとつの小さな社会として捉え、まず映画を製作する際に、国で最も貧しい地区でたくさんの10代の若者たちを集め、彼らに、武術を教え、撮影機材を自ら開発し、大道具、小道具、演技、監督、メイキャップ、編集、脚本、宣伝、プロデュースなどの知識と技術を習得できる機会として提供しています。その中で、多くの若者がアルコールや薬物中毒から自立し、最終的に自分たちで制作会社を設立して、自らが若者たちに仕事を与えるまでになっています。


心地いい風が吹くなだらかな緑地の丘を登ると、竹で織られたかわいらしい小屋とそれを囲むようにして並べられたいくつものプランターがありました。たわわに実った立派な野菜がずいぶんたくさんなっているなぁ、とただ素直に食欲から感心していると、たまたま隣にいた年配のご婦人が「あらこれ、コンパニオンプランツだわ」と私の耳にかろうじて届くか届かないかくらいの音量でつぶやきました。

気になって、彼女の方を向きなおし丁寧に「なんですか、それ」と話しかけると、白髪のご婦人は目を輝かせて、知らないの?まかせてちょうだい、教えてあげるわ、と言わんばかりに少し得意げな笑顔を満面に広げたそのすぐあとで、ふと自分を制するように植物の方を向きなおして、少し控えめなやさしい口調でひとつひとつ葉っぱや実やツルを指さしながら私に教えてくれました。

彼女はガーデニングを趣味にしているそうで、自宅から少し離れた土地に自分だけの庭を持ち、週末になればそこへ行ってひとり土いじりにいそしんでいるそうですが、どうやら彼女が言うには、植物には同じ土地に一緒に植えて良い相性のものと悪い相性のものがあるそうで、ひとつの庭にどんな植物が共存するかで、それぞれの野菜の発育には大きな影響が出るそうです。

私たちの目の前にあったプランターには、このひと夏を謳歌するように背高く力強く育ったトウモロコシの逞しい茎に、ひょろりひょろりとおどけるように細いツタを絡ませる豆の木と、その足元では大地を覆うようにして低く大きく広げた葉っぱの隙間からまだ幼い子かぼちゃが顔をのぞかせています。

竹で編まれた小屋の中には共同で使用できるキッチンが備え付けられており、ここはカッセルの街に集まった人々による100以上の国の料理のレシピが交換される場にもなっていました。


展覧会会場の階段を上って奥へ進むと、いつの間にか自分がどう見たっていわゆる食堂へ足を踏み入れていることに気が付きます。簡易な食卓ときれいに並んだ椅子、学食のような趣のそのスペースでは、いくつかのスケッチやビデオ作品を見ることができますが、それ以上になにやらおいしそうな香りに知覚の全神経がいやおうなしに集中してしまいます。メニューには、中国、カンボジア、インドなどの合同郷土料理が並んでいました。

少し歩き疲れていた私がその食堂の奥へ誘われるようにしてふらふらと進んでいくとき、私の鼻は食堂の奥から漂ってきた香ばしいナンプラーの香りをキャッチしていました。忘れていた食欲が幸せな気持ちと一緒に一気に湧き出して、香りだけでも少し元気を取り戻した私のすぐ隣で、西洋人の若者が立ち止まって「おい、なんだこれは?なんかすごく変な臭いがする!」と言って、顔をしかめます。

私は笑いながら「あぁ、そうそう、そんなものだわ」と変に納得してしまいました。

ナンプラーの香りがおいしそう、と思う人がいれば、変なにおい、と思う人もいるように、それらは個人差であったり、もしくは異なる文化背景からくる趣向であったりするけれど、いざ体験してみたら意外とハマってしまったりもして、アートってそんな風に自分を再発見して、そして更新していくものでした。


街中に散らばった会場を練り歩いていく中で、自分の知覚がちゃんと更新されていく感覚があって、特にそれはひとつの作品においてというよりは、丁寧に配置された全体的なバランス感覚のなかで自らが動くことによって起こりえるものでした。

例えば、ひとつの展覧会会場となった大きな建物内における展示の流れの緩急の捉え方、作り方がとても心地よく構成されており、具体的には通常ではありえないようないくつもの休憩室の設け方、ベンチや赤ちゃんベッドの置かれ方、また細い階段や踊り場の使い方や、吹き抜けや通路や倉庫など。

それは、いわゆる大きい壁があるから大きい絵をかける、といったスタイルではなく、まず空間があってそれに展示が寄り添って、全体のバランスの中で自然に休憩所や倉庫が出来上がっていくような感覚で、たまたま空いてしまったスペースができても、いいんじゃない、わざわざ埋めなくても、というような。

これは街の会場を歩いて回ったときに、同じ感覚を受け取ることができました。つまり、歩いていて「この道を通って進むとここにつながるんだ」と驚いたり、「ちょっと遠いところにあるこの会場まで行くためには、この風景の中を通らなければならないんだ」と気が付いたり、街の中にある住宅地や工場地帯や繁華街、またはその栄え方寂れ方などの在り方と展示方法の感覚が似通っている、そう素直に感じれたときに、生活者として都市を生きるアーティスト集団であるルアンルパが、展覧会というものをどのように捉えているか、また彼らのたしかな独自性が理解できたように思えました。

+

作品やイベントに関しては数え上げたらきりがないほどの数があり、そのすべてを伝えることはもちろんのこと、そのすべてを見ることも不可能です。それも中心と枠のない展覧会設計ならではのこと。もとより、世界のすべてを見ることなんて不可能です。

ただ一例として、私がカッセルにてした体験を書き連ねるなら、

聴いたことも想像したこともなかったようなスマトラ島アチェに伝わる伝統的な歌唱とも演劇とも語りともなんとも言えないような独特な発声とリズムを持つ物語の語り部の即興創作物語をどっかの子供と一緒にぼーっと眺めたり、

ゴシック西洋建築の大広間の壁に、ただアジアとしか呼べないような、はるばるとした緑の山々と水平に延々続く青々しい田んぼ、その美しい田園風景が大きく映し出されたときにうけた妙な違和感とどうしようない親近感に小さな混乱をおぼえたり、

外の日差しのあまりの強さに狼狽して、まだ時間はあるんだし、と言い訳気味に来た道を戻って映画館に入り、大きなソファークッションに身をうずめながらB級ドタバタコメディの続きを見てお腹を抱えて笑ったり、

古代遺跡のような建物を飲み込むようにして生い茂る壮大な森の緑が大画面でただただ静かに流れる映像作品を観てうっとりしながら、後でその土地がかつて大日本帝国が占領していた時代の滑走路や要塞や埋葬地などの戦争跡地であることを知ったり、

必ず近くまで来ているはずなのにどうにも見つからない地図上で示された展示作品を、私を含めた見知らぬ者同士が、こっちにはなかったぞ、そっちはどうだ、と声を掛け合いながら、いや、さてはこのどこかから聴こえてくる音自体が作品なんじゃないのか、たしかにそうかもしれない、と半ば強引に納得するも、実はそれはただ近所のスーパーから流れてきただけの音だったり、

また延々と続く広大な広い緑地をただひたすらに歩きながら、やっとたどり着いた展示会場は蒸し風呂状態の古着の集積で組み立てられた家で、欧米から寄付というかたちでアフリカへ送られる古着のほとんどがただのゴミとして処理も不可能なほどにアフリカの大地を覆い汚しているという不都合な現実を学んだり、

北欧の国で受け入れられた難民の子供たちが実際にどのようにして具体的に語学と文化を学びながら少しずつクラスや学校や社会と交流を深め、またその過程の中でいかに彼らの顔つきが逞しく温和になり自尊心を伴って輝いていくかを見守ったり、

ウクライナに隣接するルーマニアで20年も前から「世界で起こっていること」というタイトルで、一日一枚、戦争や反戦などについての絵を描き続けてきたアーティストが美術館の大きな柱をキャンバスにして上から下まで、毎日反戦を掲げるスケッチを描き続けている姿を目にしたり、

ドクメンタとはまったく関係のない地元の気のいいおじさんたちが川沿いに集まってビールをジョッキで乾杯しながら、最近ではあまり見なくなった手持ちのラジカセから流す懐メロのヒットソングが、実際はヒットしたのかどうかもまったく知らないし聴いたこともないけれど、なぜか懐メロとしか言いようのない哀愁を奏でていたり、

水飲み場の近くで無造作に重なって広げられたいろとりどりの東欧の絨毯の敷物の上で、嗅いだこともないようなお茶の葉を淹れたこともないような茶器とヤカンで試飲して、なんとなくそのまま横にゴロンとなってなんとなくそのまま少しウトウトしてしまったり、


© documenta fifteen official archive
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今回のドクメンタはかつてないほど大きな話題になったものの、どうやさしく言っても賛否両論、その内容の多くは「反ユダヤ主義」「反資本主義」「反西洋主義」「反植民地主義」「反国家主義」などの単語で埋め尽くされています。

またさまざまな文化を認め合うと言った文化多元主義の流れはすでに20年ほど前には大きなものとなっていましたし、そうしたテーマの展覧会はこれまでにも多く開催されてきました。しかし実際には、それらは主には西洋ですでに権威のあるひとたちが用意した円卓の周りに並べられた椅子に、さまざまな文化の代表者が招待されるかたちで座らざるをえないものでした。

しかし、ルアンルパはその椅子に座ることを今回、丁重に断りました。

ルアンルパはディレクター就任時にこう言っています。

ドクメンタが私たちを招待するのではなく、わたしたちがドクメンタを「私たちの旅の一部」として招待し返します。

ルアンルパ


つまり平たく言ってしまえば、「用意された椅子なんかには座らないよ、でも、おれたちゴザ持ってきたからさ、これ敷いてこっちにみんなで座ろうよ」と言っているようなものです。


それは椅子からどうしても降りたくない一部の人たちからの怒りと失笑を買うことになりました。しかしそんなことは、どうでもいいことなのです。

椅子は椅子で居心地のいいものでしょう。が、今回のドクメンタに限って言えば、その高い椅子から降りた方がより楽しめたのではないかと思います。

+

その日のうちに見たい会場をあらかた見終わった夕方近く、一息つきたく思って会場敷地内にあった屋台で買ったチャイラテを手に持ちながら、ふとあたりを見渡すと、

あ ルアンルパ。

それは単にたまたま目が合った、というほかない理由だったのですが、目の前に偶然居合わせたルアンルパのメンバーの一人に挨拶を交わしながら、気が付けば、なぜかそのまま立ち話をしていました。


恐ろしいほどのノンクロン力。
(ノンクロン=インドネシア語で「なんとなくたむろする」)


彼は今回のいきさつや会期終了までの想いなどを誠実に語ってくれました。それはとてもエネルギッシュで、同時にとても細やかな感性が感じられる会話でした。特に印象的だったのは、彼の口から「グローバル」という言葉が一度も出てこなかったこと。ずっと「ローカルとローカルのつながり」という言い方で世界をとらえていたこと。そしてそれを「コスモロジー・シンキング=惑星的思考」と言い表していたことが、なんとも腑に落ちる言い回しだな、と思って聞いていました。

つながり、という一言ではうまく言い表しきれないもどかしさを感じていたけれど、それは目に見えない絶妙な間とバランスと引力と広がりをもったつながりなのだな、とひとり納得した次第です。

+

最終的にどこにアートがあったのかは人それぞれの判断にゆだねるとして、ひとつはっきり言えるのは、ルアンルパのドクメンタ15は彼らにしかできないやり方で、世界の見方を少しだけ変えてくれるものでした。

川沿いに月がのぼった帰り道、なんとなくルアンルパのメンバーたちの笑い声が聞こえたような、そんな気がふっとします。

世界で最も重要な現代アートの展覧会?

それ、どこの世界の話? 



おわり



カッセルの夕暮れ 2022









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