マーガレット・バーク=ホワイトは女性の戦場カメラマンの草分けだ。
マーガレット・バーク=ホワイト(Margaret Bourke-White, 1904-1971)は、戦間期のアメリカを中心に活躍した、女性報道写真家、戦場カメラマンの草分けだ。
ドキュメンタリーの女性写真家として、その活躍と高い評価も得ている。
そして、LIFE誌の編集方針に合致したタイプの報道写真家だった。
ただ、それは、いわゆる演出家タイプなのだが、二次情報として事象をまとめていると、受け取るべきなのかも知れない。
特筆すべきは、ソビエト当時の1930年、ソビエトの産業の写真も許可を得て撮影しているという実績だ。それは、当時のドイツにも及ぶ。マハトマ・ガンディーの晩年の写真も撮影している。
Fig.ニューヨークのクライスラービル(アール・デコ)にバークホワイトのスタジオはあった。以下、写真の年代はランダムです。
Fig.1938年5月1日チェコのナチス指導者コンラート・ヘンラインによる演説
Fig.ソビエトの産業-1930
Fig.コメディアンで歌手のMartha Rayeは、1943年に北アフリカに駐留する軍隊を対象にした米国組織(USO)のツアー
ただ、戦間期の記録のカメラワークには、強い意識が求められるだろう。
Fig.マハトマ・ガンディー
Fig.ニューヨークのクライスラービルにあるバークホワイトのスタジオのテラスで剃毛されているロシアの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテイン (c)Margaret Bourke-White/LIFE
略歴
1904年、ニューヨークに生まれ、その師は、クラレンス・H・ホワイト(the Clarence H. White School of Modern Photography)だ。
1920年代後半には写真家としての活動を開始する。ソ連を含めて、ヨーロッパにも足を運び、報道写真、ドキュメンタリー(労働者、貧困者、大恐慌時代など)、機械・工場・建造物の写真、戦争(第二次世界大戦/1939-1945)写真など撮影している。
そして、アメリカ空軍の写真家として、航空写真も撮影した。
戦後は、ドイツ強制収容所の初の写真から、インド、パキスタン、南アフリカなどの発展途上国を廻り、その様子を数多く撮影した。また、彼女は朝鮮戦争では、LIFEの写真家を務めている。
1952年、東京でメイデーのデモを取材中、パーキンソン病の症状が発症。以後、侵入性麻痺に悩まされ、2回手術を受けるなど闘病とリハビリを続けた。その時点から、晩年は、コネチカット州デリエン(Darien)の自宅で過ごしたが、益々、弱体し孤立化してしまう、そして経済的にも苦んだ。-自伝”Portrait of Myself”から引用
1971年、スタンフォード病院(コネチカット州)にて死去、67歳だった。
Legacy(残された作品):そのバーク=ホワイトの写真は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)、ブルックリン美術館(Brooklyn Museum)、クリーブランド美術館(Cleveland Museum of Art)、ニューメキシコ美術館(New Mexico Museum of Art)、米国議会図書館(Library of Congress)等々に収蔵されている。
Fig.Margaret Bourke-White, 1904-1971
(追記)これだけの活躍そた人物が晩年の15年程度は、コネチカット州デリエンの家の中で、ほぼ支援もなく、パーキンソン病からの侵入性麻痺で弱体化した身体と孤立化し、その上、経済的にも苦しみつづけた。何とも、周囲の情を感じない最期だ。LIEFのある意味、作られた歴史の中で、この最期の現実はあまりにも残念でつらい・・・
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