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#1)写真家クラレンス・H・ホワイトはピクトリアリスムの典型だ。

クラレンス・H・ホワイト(Clarence Hudson White,1871-1925)
アメリカのピクトリアリスムの写真家・写真教育者。そして、フォト・セセッションのメンバーだ。

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(c)Clarence Hudson White

略歴と、ポイント(その1)
1871年、オハイオ州生まれ。
1902年、ホワイトは、フォト・セセッションをスティーグリッツ(Alfred Stieglitz)らと結成した。ピクトリアリスムの典型的な写真家となり、写真界に与えら影響は大きい。
その作品は、人物写真(ポートレイト)、風景写真(ランドスケープ)、ヌード写真など多様な世界をピクトリアリスムの手法で撮影している。
1907年、コロンビア大学ティーチャーズカレッジで写真を教える。ただ、クラレンス・H・ホワイトは、高等教育(大学・専門大学)は受けていなかったが、コロンビア大学芸術学部長(Arthur Wesley Dow/画家・写真家)の依頼で、コロンビア大学所属ティーチャーズカレッジでアート写真の講師となった。
学歴よりも、教育に有益なキャリアと能力を認められた訳だ。これは、今の国内の芸術学部の大学教育でよくある、お手盛りとは違うと言う事だ。
この事は、国際的にもホワイトに大きな評価をもたらした。

そして、
1914年、クラレンス・H・ホワイト写真現代学校(The Clarence H. White School of Modern Photography-NY)を開設し、その写真教育に重点を置いた。そこでは、ホワイトは「写真のスタイルと解釈」について、学生に教えている。
このホワイト写真現代学校では、当時の多くの写真家の志望学生が学んだ。そこでは、マーガレット・バーク=ホワイト(Margaret Bourke-White/女性報道写真家)、ポール・アウターブリッジ・ジュニア(Paul Outerbridge, Jr./キッチュな写真)、ラルフ・スタイナー(Ralph Steiner)、ローラ・ギルピン(Laura Gilpin/女性写真家-ネイティブアメリカン等の写真)、ドリス・ウルマン(Doris Ulmann/女性写真家-肖像等)など輩出した。またドロシア・ラング(Dorothea Lange/女性報道写真家)、カール・ストラス(Karl F. Struss/写真家・映画撮影監督)は、コロンビア大学でのホワイトの授業を受講している。

ホワイトは、写真教育においても、ピクトリアリスムからの流れで、ストレートフォトグラフィ的なもの扱ったが、ピクトリアリスムを排除する姿勢は示さなかった。
1925年、撮影中のメキシコで死亡(循環器)した。54才というとある意味、現在では、夭折だったのかも知れない。
そして、ホワイト写真現代学校は、1942年に対戦の影響下もあり閉校する。

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Fig.Clarence Hudson White

次回は、写真家クラレンス・H・ホワイト「時代の先駆者の人間関係と苦悩」につづきます。


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