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しなやかな私の言葉 -ホイットマンの詩の魅力

【水曜日は文学の日】
 
 
詩には東洋、西洋を問わず、韻律や形式の複雑な規則があります。でも、その規則を破って自分独自の世界を築き上げた人もいます。
 
アメリカの詩人、ホイットマンは、そんな独特な世界観の詩人の一人です。




ウォルト・ホイットマンは1918年、ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。父親は大工で、十代の頃から新聞社で働き、ジャーナリストとして活動。19歳で自分の新聞を創刊したりしています。


ホイットマン(68歳)


その後、教職や出版社を転々とし、1855年、36歳の時に、詩集『草の葉』を自費出版。この詩集を生涯にわたって書き直し、注ぎ足し、校訂し続けます。
 
歴史的には、南北戦争(1861~1865年)が終結し、アメリカは「金メッキ時代」という、繁栄と物質主義に満ちた時代。それを批判しつつ、距離を置いて、詩作を行います。
 
『死の床版』と呼ばれる、死の直前まで執念で校正した『草の葉』を残しつつ、1892年、72歳で死去しています。




ホイットマンの特徴は、彼独自の、変わったリズムと、人間の生き生きとした姿でしょう。代表作『おれにはアメリカの歌声が聞こえる』を、光文社古典新訳文庫の、素晴らしい飯野友幸訳で一部引用してみましょう。

おれにはアメリカの歌声が聞こえる、いろいろな賛歌がおれには聴こえる、
機械工たちの歌、誰もが自分の歌を快活で力強く響けとばかり歌っている、
大工は大工の歌を歌う、板や梁の長さを測りながら、
石工は石工の歌を歌う、市議とへ向かうまえも、仕事を終わらせたあとも、
 
(中略)
 
母親の、仕事をする若妻の、針仕事や洗濯をする少女の心地よい歌、
誰もが自分だけの歌を歌っている、
昼は昼の歌を歌う―夜は屈強で気のいい若者たちが大声で美しい歌を力強く歌う。

飯野友幸訳



アメリカの市井の人々を列挙して、彼ら彼女らが具体的にそれぞれの歌を歌う様を、さっと描写する。
 
ごつごつとした手触りで、詩の長さや韻律が整えられていない分、それぞれの人々が自分たちのリズムで生き、喜びを感じている様が伝わってきます。
 
皆が同じ歌を歌うのではなく、それぞれが違う歌を奏でているからこそ、調和しているという信念があります。




あるいはこんな詩。
 

1.
 
おれはおれを祝福し、おれのことを歌う。
そしておれがこうだと思うことを、おまえにもそう思わせてやる。
おれの優れた原子ひとつひとつが、おまえにもそなわっているからだ。
 
(中略)
 
21.
 
おれは肉体の詩人であり、おれは精神の詩人だ、
天国の喜びはおれとともにあり、地獄の痛みはおれとともにある、
おれは天国をおれに接木して繁茂させる、おれは地獄を新しい言葉に翻訳する


全52編の長大な『おれ自身の歌』の一部です。ここにあるものは、決して内側に閉じていない、大きな「自分自身」です。それは矛盾を抱えながら、内外のあらゆる物を取り込んで、成立している。
 
人が「エゴイスティック」と言う際に問題になっているのは、自分を愛していることではなく、それが自分自身の中に閉じて、自分のためだけに行動してしまっているからです。
 
ホイットマンの「エゴ」というのは、自分を認め、他人を認め、あらゆる大衆を認め、あらゆる喜びや痛みを全て感じ、自分自身を突き抜けてしまう、大きな存在です。




それは自分自身が世界であり、世界もまた自分自身であるかのような、壮大な詩でもあります。
 
ホイットマンが優れた詩人であるのは、そうした対象を具体的に列挙できることでしょう。「全部を愛する」と口にすることは簡単ですが、それだけでは、説得力を持ちません(誰でも言えるからです)。
 
それらが『おれにはアメリカの歌声が聞こえる』のように、具体的な響きを伴うときに、彼の世界は輝きを増します。




そうしたところに、彼が元ジャーナリストで、しかも自分で新聞を作っていた、という経験を感じます。

 

ホイットマン(37歳)



ジャーナリストは、大きな政治から市井のささやかな事件まで、思想、事実、娯楽といったもの全てを同列に扱わないといけません。
 
更に、自分で発行したことがあるということは、紙面が限られていること、その中で最小限の言葉で、最大限の効果を以て読者に伝えなければいけないということを、肌で痛感しているはずです。




以前、カフカを取り上げて、大量の言葉を連ねて幻想を生み出す「法学部出身の官僚作家」の系譜を書いたことがありました。



それとは別に「ジャーナリスト出身の作家」という系譜もあります。バルザック、ホイットマン、ガルシア・マルケスが、その代表格でしょう。
 
この三者の共通点は、簡素な筆で、あらゆる階級のあらゆる人々を描き出せること。

そして、強烈なエゴでもって(ジャーナリストはある意味個人事業主です)、長大な言葉を連ね、神の視点で全ての世界を書き出そうとするところです。




そういう「エゴの作家」には、同時代で、自身のロールモデルを作ろうとする面があるのは興味深いです。
 
例えばバルザックにとってのロールモデルは、「ナポレオン」でした。
 
全てを解放し、宗教とは別の秩序(「ナポレオン法典」は、その後のあらゆる国の民法の基礎になりました)をうちたてたその存在は、長大な『人間喜劇』シリーズで、権力や金銭を通してパリのあらゆる階級の人々を描く姿に連なります。
 
ではホイットマンは、というとそれは「リンカーン」です。
 
民主主義と奴隷解放の視点を持った、民衆のための政治家。そして南北戦争で分裂したアメリカを再び統合しようとする、その強烈なパワー。
 
真実のリンカーンがどうだったか、というのはここでは問題ではありません。そのようなイメージのロールモデルが、ホイットマンのエネルギッシュな民衆の歌の詩作の柱となっているのです。


エイブラハム・リンカーン




そういえば、ホイットマンは、以前書いた、オスカー・ワイルドが渡米した際に会っていて、非常に好意的に評価しています。



耽美派の代表格のワイルドと、民衆詩人のホイットマンの組み合わせは面白いですが、ワイルドの方も、ホイットマンを尊敬していました。
 
ホイットマンは、民衆を描く作家ではありますが、決して単純な詩人ではありません。その強烈な言葉の連なりは、時には幻想の領域に入り、恍惚とした美を生み出します。
 
後期の代表作『インドへの道』は、スエズ運河の開通から、現代の物質主義を超えて、全ての世界を繋ぎ合わせ神秘を描く、長大で美しい傑作です。

 

わたしは見る、貨物と客を乗せた長い長い列車がプラット側に沿って曲がるのを、
わたしは聴く、蒸気機関車が吼えつつ疾駆し、上記の汽笛を甲高く響かせるのを、
わたしは聴く、汽笛が世界一壮大な風景に反響するのを、

(中略)

インドよりもさらに先の道!
おお地と空の秘密だ!
おまえの秘密だ! おお海の水よ! 大曲がりくねる小川よ河よ!
おまえの秘密だ! おお森よ野よ! おまえの秘密だ、わがたくましき山々よ!

飯野友幸


こうした幻視が、市井の人々の歌声と同居しているところに、彼の独特さがあるのでしょう。
 



彼が自分の詩集を『草の葉』と名付けたことには、納得できます。
 
草の葉は、一見同じように見えて、色も形もどれ一つとして同じものはない。
 
そして、集まった時に、大きな森となる。それは、しっかりした「私」が集まってできた、善き民衆のようです。
 
しなやかで、変化する力を持った、ホイットマンという巨大な森の美しい「言の葉」を、是非一度堪能していただければと思います。




今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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