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大人になる学び -名作映画『妻よ薔薇のやうに』の魅力


 
【木曜日は映画の日】


 
ドラマで重要なのは、二つの対照的な要素の対立だと、よく言われます。主人公とライバル、善と悪。
 
しかし、多くの人が知っている通り、人間は簡単に善と悪に分けられたりしません。それゆえに、単純な二項対立に分けられないドラマは、ある種人間の深みを表してくれます。
 
成瀬巳喜男の1938年の映画『妻よ薔薇のやうに』は、そうした二項対立に一見沿っているように見えながら、それを崩して、しみじみとした気持ちにさせてくれる名作です。




成瀬巳喜男は1905年、東京生まれ。家庭は貧しく、15歳の時に、松竹蒲田撮影所に下働きとして入所。長い下積みを経て、1930年に監督デビュー。『夜ごとの夢』等、美しい無声映画を撮りつつ、トーキーにもシフト。
 
当初ややスランプ気味でしたが『妻よ薔薇のやうに』でキネマ旬報ベストテン1位を獲り復活。戦後も、『めし』や『浮雲』といった名作を撮り、巨匠として活躍することになります。


成瀬巳喜男


銀座で働くOLの君子は、有名な歌人である母親と二人暮らしをしています。父親は15年前に、芸者のお雪と一緒に出奔して、一山あてようと採掘のため信州に。月に一度、書留郵便で仕送りが来るのみです。
 
君子の婚約者の精二の父親は、結婚前に一度会いたい、と言っています。そんな折、母は知り合いの仲人を頼まれてしまいます(仲人は夫婦揃っての習わしです)。
 
たまに東京に出ても家に寄らない父に憤慨した君子は、父を東京に連れてくるため、父の住む信州を訪れることに。そこで、意外な姿のお雪と、その子供たちと出会うことになります。


『妻よ薔薇のやうに』
左:精二(大川平八郎)
右:君子(千葉早智子)




このドラマには、大きな二項対立があります。都会と田舎、本妻と妾、洋と和。結婚に向かう心の通ったカップルと、結婚を終えようとしているカップル。しっかりした娘と、生活力のない両親。
 
そんな二つの間で、善悪を決して決めようとしないのが、この作品の素晴らしさです。
 
君子は、自分の母が悪い人ではないことをよく知っています。でも、母と一緒にいた時、父と性格が合わずに、うまくいかなかったことも、同じくらい痛感している。
 
そして、信州でお雪と会い、その子供たちとも会うことで、自分の今までの考えが間違っていたことも理解していきます。

 

『妻よ薔薇のやうに』
お雪(右。英百合子)


誰かを悪者にしたり、悪の原因を取り除けば、全て自分にとってうまくいくわけではないことを知っていく。世の中と人間は、とても複雑であることを学んでいくのです。




それは、ここに出てくる大人たちも、同じです。
 
一緒にいると何も楽しくないのに、いないとつい恋しいという歌を詠んでしまう。夢物語と分かっていても、一山あてることを夢見てしまう。本妻にすまないと思っても、男との家庭を愛している。
 
不倫は良くない、片恋慕は時間の無駄、無謀な夢より地に足のついた生活。それは、分かっています。分かっていても、何かを求めざるを得ない。それゆえに、複雑な人生になっていくことを、止められないのです。
 
でも人間には、そういう側面もあるのではないでしょうか。




成瀬の映画には、メロドラマが多くあります。メロドラマの中には、極端な二項対立によって、観客を泣かせる作品もあります。

しかし、成瀬の映画では、対立は『妻よ薔薇のやうに』の如く、時間が経つに連れ、なし崩しになっていきます。
 
そのきっかけになるのは、旅、というよりも、場所の移動です。
 
信州に移動した君子が、自分の考えを改めるように、移動することで、単純な善悪で物事を測れないことを知ります。

誰かが家を出て行くこと、家に来ることがドラマを動かし、善悪の曖昧な領域に、登場人物が徐々に取り込まれていくのです。
 
『乱れる』の、家に殉じる嫁と、古い因習を嫌う若い義理の弟の逃避行。『乱れ雲』の交通事故で夫を亡くした未亡人と、加害者の男の許されざる旅等。

『乱れ雲』
左:加山雄三
右:司葉子


 
その究極が『浮雲』でしょう。戦中から戦後まで、何度別れても何度もよりを戻して離れられない、男と女の宿命の名作。ベトナムから戦後の闇市、伊豆の温泉からラストまで、ほぼ全編が移動だけで出来ています。
 
善悪を超えた恐ろしいほどの熱量で、男女のみちゆきが語られる。成瀬にしては例外的な熱さでありつつ、彼の特徴が凝縮された作品になっています。
 
多くの人が成瀬の最高傑作に挙げる名作ですが、本人はちょっとそれを認めていなかった、というのも納得できる、過激な作品でもあります。


『浮雲』
左:高峰秀子
右:森雅之




このような、大人のメロドラマである成瀬の映画は、同時に、決して重たい映画ではありません。

『妻よ薔薇のやうに』では、30年代の都会のモダンな服装と、鄙びた田舎は、両方ともどこか軽やかな明朗さに満ちています。
 
ちょっと斜に被った帽子も洒落た君子の洋装のエレガントさと、家でのエプロン姿の和服の同居する美しさ。精二のソフト帽姿も、自然で、気取ってない。


『妻よ薔薇のやうに』
君子(千葉早智子)


小津安二郎のような、決め決めの構図の、息苦しいほどのモダニズムではなく、人が生活している匂いがするのです。
 
あるいは、君子を演じた千葉早智子の、活発な笑顔とはきはきした喋り。叔父さんや婚約者との溌溂とした会話や、父親との絆を感じさせる軽やかな会話。

お雪を演じた英百合子の、決して声を張り上げない、慈愛と痛みの混ざった複雑な表情。
 
映画の中のこういったものを通して、善悪の問いかけを超えて、生きていることの曖昧さ、その豊かさを、私たちは学びます。それはまた、年齢に関係なく、大人になっていくことと言えるかもしれません。
 
『妻よ薔薇のやうに』や成瀬の映画は、私たちの人生のように曖昧だからこそ、美しい映画だと言えるのでしょう。是非その美しさを体験いただければと思います。
 
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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