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【創作】水霊の碁 第6話 月のかんざし


時は元禄、華の江戸

これは、無鉄砲で前向きな男、
石田策侑(弥之吉)と
囲碁の天才にして後の名人
本因坊道知(神谷長之助)の
芸と力、長年の友情と挫折をめぐる
物語である

 
※前回はこちら




第6話 月のかんざし


6-1


 
石田いしだ策侑さくゆうが本因坊門を出たのは、宝永3年(1706年)冬のことである。旧知の島尾しまおひこ左衛門ざえもんが紹介してくれた商人のもとで、最初は日本海側の東回り航路の米を運ぶ船に乗り込んだ。
 
たちまち頭角を現し、船の測量士として航路をつつがなく差配すると認められ、船長の補佐になった。大阪の蔵屋敷でも取引を任された。




気付いたのは、自分が「まだ若いのに」と沢山言われることだった。その言葉で、自分が十九歳だということを思い出した。
 
囲碁の修業をしていた時は、十代の後半というのはもう、「年寄」のような気分だった。自分の才能が道知に及ばないことを分かっていても、焦る気持ちが間違いなくどこかにあった。
 
碁の才能が有れば、本因坊でなくとも、井上や林等、他の家元の跡目になって、将軍様の前で道知と御城碁を打って、名人への道を切磋琢磨できたかもしれない。そんな可能性が消えていくのを、ただ日々の忙しさに紛らわせていた。
 
それが、外の世界に出ると、案外自分はまだ若く、そして、坊門を実務面で支えるため、身を粉にして働いて身に付けた、帳簿や商取引の経験が、今の力の基礎になっているのにも気づく。
 
しかし、それで何か優越感を覚えるわけでもなく、ただ何か脱力したような気分になるのだった。
 
囲碁のことはなるたけ考えないまま、仕事に打ち込んで、商人としても取引相手が増え、とうとう自分の船も持てるようになった。坊門を飛び出して、4年が経っていた。




宝永7年(1710年)の春、策侑は久々に江戸に戻った。

島尾彦左衛門の元に挨拶に行くと、相好を崩して、策侑の成長を喜んでくれた。
 
「よう陽に焼けて、肌から潮の匂いがするようになった。もう一人前の商人や」
「いやいや、商いの難しさを、痛感する毎日です」
「活きのいい若い衆が出てきたと評判やで」
「そう思うなら、もう少し取引をまわしてほしいですね」
「なあに、敵対されとるのは、お前さんがよい商人の証さね」
 
それから商売について、積もる四方山話をしていると、島尾がふと話題を変えた。
 
「そういえば、碁にも新しい名人が生まれたらしいのう。この前瓦版でみた」
「そうですか、とうとうですか」
 
策侑は道知どうちの顔を思い浮かべ、茶を啜った。
 
「何といったかのう、井上何とか・・・」
「井上? 井上因碩⁉
「そうそう、そんな名前や」
 
顔から一気に血の気が引いた。

道策どうさくの遺言で「名人に就くな」とあれほどきつく言われていた老因碩いんせきが⁉ 

道知を名人に就けると、死の床の道策に誓ったはずの因碩が⁉ 

一体何があったのだ⁉




その夜遅く、策侑は島尾の店を出ると、急いで本因坊門の元に向かった。
 
門下の者が取り次いでくれたが、道知は、京の寂光院に、初代本因坊算砂の供養のお参りに行っており、数日帰ってこないという。
 
策侑の知らない新しい門下生で、あからさまにこちらを不審の眼で見ている。

何人か兄弟子の名前を挙げて、ようやく、原田という、策侑がよく一緒に、坊門の管理をしていた同い年の男の名前を認識して、呼んでくれた。
 
原田は、坊門を出た時の印象のままだった。
 
「石田か。久しぶりだ、随分感じが変わったのう。調子はどうや?」
「因碩様が、名人に就いたのは本当なのか? いったいなぜ?」
「なんじゃ、急に。ひと月も前のことでないか。知らんかったのか?」




屋敷に上がって、話を聞いた。
 
何でも、琉球国から交流の使者の一人として、屋良やら里之子さとのしという者が来たという。道知と三子局を打って、道知が圧勝したが、琉球国王の手前上、免状を発行する必要がある。
 
しかし、免状を発行できるのは、名人碁所だけである。前回琉球使節が来た時は道策が発行していた。

今回問題になり、暫定として、井上因碩が名人碁所に就いて発行したという。


宝永7年(1710年)
屋良里之子(黒三子置)-本因坊道知(白)
白中押勝(棋譜は中途迄)
黒に三子のハンデを置かせた
道知の名局の一つ
序盤から左下の黒を攻め立て
△から中央を攻めて完勝した




のほほんと話す原田に、策侑は頭に血が上り、話を遮ってまくしたてた。
 
「もう琉球の使節は帰ったのだろう。因碩様は、碁所を返上するのが筋ではないか」
「それはそうかもしれんが、こう、なんじゃろうな、我らから言えることではなかろう」
「道策様の遺言はどうなる?」
「まあ、あれは無理のある話じゃ。因碩様が名人の力なのは、お主も知っておろう」
「分かった、遺言の話は置こう。だが、道知様の名人への道はどうなる⁉ これは井上家の陰謀じゃ! お主は黙ってそれを見ていたのか⁉」
「違う、今回のことは道知様が言い出したのじゃ」
「道知様が⁉」
 
策侑は、呆然となった。なぜ? 一瞬理解が出来なかった。冷や水を被せられたように感じた。息を整え、頭の中で整理した。

そしてある考えが浮かぶと、口を開いた。
 
「なあ原田、道知様の御城碁の棋譜を見せてくれないか」




コラム


 
京都にある寂光寺は、初代の本因坊算砂がいた法華宗のお寺です。そのため、代々本因坊家では、初代の供養に行く習慣が出来ました。道策の頃からと言われています。
 
以下は、道知のこの時点までの御城碁の成績です。
 
元禄15年(1702年)黒番七目勝 林門入
元禄16年(1703年)黒番五目勝 安井仙角
宝永元年(1704年)白番二目勝 林門入
宝永2年(1705年)黒番一目勝 安井仙角
宝永3年(1706年)白番五目負 安井仙角
宝永4年(1707年)黒番六目勝 井上因節
宝永5年(1708年)白番二目負 井上因節
宝永6年(1709年)黒番五目勝 安井仙角
宝永7年(1710年)白番二目負 安井仙角




6-2


 
本因坊道知が戻ってきたのは、それから二日後だった。
 
策侑が戻っていると聞くと、道知は嬉しそうな声を上げて、策侑のいる客用の部屋へとどたどたと早足でやってきた。
 
「策侑、策侑ではないか! 江戸に戻ったのか!」
「お久しぶりでございます」
「なんじゃ、格式張って、我とお主の仲で・・・」
 
そう楽しげに言って、道知は策侑の雰囲気がただならぬことに気づいた。
 
策侑は、少し悲し気に、黙って道知を見つめている。




道知は、黙ってその場に座った。両者の間に沈黙が流れる。
 
その沈黙に耐えかねるように、道知が口を開いた。
 
「お主が言いたいことは分かる。じゃが、因碩様が名人碁所に就くことはおかしなことではない。

名人碁所には、最も力がある者が就くべき。お主が去った後、我は先番で因碩様と十番碁を打った。結果は因碩様の六勝三敗一持碁じゃ。我はまだ因碩様に及ばない」
 
策侑は黙ったままだった。
 
「道策様の御遺言は分かっている。じゃが、因碩様は、ここまで我を育ててくれた。その深い恩義がある。

道策様やお主は、我の碁を鍛えてくれたか? あれほど、深い愛で我を支えてくれた人への恩義は、その功績は、名人碁所に値する」
 
道知の言葉が途切れた。再び室内には沈黙が広がる。策侑は口を開いた。
 
「道知様、わたくしは何も言っていません」




ゆっくりと、続ける。
 
「因碩様が名人に就いたことは、わたくしは異論ありません。昨日、因碩様ともお話させていただきました。道知様の仰る通り、因碩様は今、名人の力があるのでしょう」
 
袂から、棋譜の写しを取り出す。
 
「道知様の御城碁を拝見させて頂きました」
 
道知は黙って、その棋譜を凝視している。策侑は静かに口を開いた。
 
道知様、談合をされていますね




本因坊道知の御城碁は宝永4年から宝永7年にかけて、先番で五か六目勝、白番で二目負けを繰り返していた。

しかも、相手は、争碁で打ち負かした仙角や、まだひ弱な井上家の若い跡目井上因節である。道知なら毎回楽勝の相手だった。
 
道知の御城碁を並べ、策侑は、その作為の匂いに気づいた。序盤は立派なのに、中盤終わり頃に必ず緩み、「調整」を行っている。
 
本当なら道知はもっと容赦なく相手を締め付けて勝利を手に入れる。それは、幼い頃から道知と何百局と打っているから分かる実感だった。
 
坊門から心が離れていた時期の策侑に、わざと負けて喜ばせようとしたように、道知はそうした、悪い意味での気遣いを持っている人間だった。
 
とすれば、因碩に気を遣って、名人を推挙するくらいなら、碁でも同じことをしているのではと直感して調べたのだった。


宝永7年(1710年)
安井仙角(黒)-本因坊道知(白)
黒二目勝(棋譜は中途迄)
談合があったとされる碁の一つ
ここまでは白が大きく優勢だが、
終盤の手が伸びず、逆転負けしている




道知は瞬きもせずに静かに返した。
 
「そんなことはしていない」
「私に誓えますか」
「誓う」
 
その言葉は予想していた。




策侑は、昨日、御城碁を並べた後、因碩の元に話に行った。

因碩は表面上にこやかに策侑と会話し、道策の遺言を破ったことについては頭を下げて詫びたが、御城碁で談合が行われていることについては、決して口を割ろうとしなかった。
 
もう、これは当事者間で話がついていることなのだ。

おそらく、因碩は、仙角を道知が争碁で完膚なきまでに打ち負かした後、お互い禍根を残さないように、安井の顔を立てたのだろう。四つの家元で争わなくてもよいように。

争碁の直後の宝永3年(1706年)に道知が白番五目負けしているところから、それは始まっていたのではないか、と策侑は感じた。

つまり、因碩が名人に就く前。策侑が坊門を去ってから、ずっと。




実力なら、道知は御城碁では他家を打ち負かせる。だが、まだ十代。道知は因碩に逆らえない。

年長の者が決めた習わしが重いことは、商取引の中で、策侑も日々痛感していた。
 
策侑は、因碩の浅はかさに怒りは覚えた。真剣勝負の大切さ、道悦や道策が争碁で争った名人碁所の価値について長いこと説いた。しかし、因碩は、決して談合を認めることはなかった。
 
名人碁所という力を手に入れて、ことを荒立てたくないのだろうと、策侑は感じた。
 
そして、名人を断念させようとした道策のむごい仕打ちによって受けた彼の痛みの深さも、また感じた。
 
もう、そこまで徹底されては、家元の外部にいる策侑に出来ることはなかった。道知を説き伏せて真剣勝負をさせても、何かが解決するわけでもない。
 
 



策侑は、道知に微笑んだ。
 
「それを聞けて良かったです。この話は忘れましょう」




それから二日間、策侑と道知は遊び回った。
 
道知は、策侑の知らない間に、遊郭でのお座敷遊びを覚えていた。色白で少女のような道知は、芸者たちに大いにもてはやされた。それは、策侑にとって想像もできなかった道知の姿だった。
 
しかし、碁の話を忘れて、今の道知といることは、策侑にとって非常に心地よかった。
 
美しい道知の顔を間近で見て、一緒に酒を交わして触れ合い、甘いその声を聞く。道知は、策侑のために、故郷の石見の小唄を歌ってくれた。
 
策侑の航海の話も道知は聞いてくれた。道知は大変聞き上手で、絶妙な間で相槌を打ち、話を広げてくれる。何時間でも一緒に話していたかった。




それは、かつての厳しい修業時代には味わえなかった、あまりにも甘美な快楽だった。
 
策侑の心の片隅のどこかで、「談合」という言葉が重く暗くのしかかっていた。その分、それを忘れる時間の多幸感は、強烈だった。
 
二人は二日間ほとんど寝ないで遊び続け、ようやく、仕事のために江戸を発った。道知は、船着き場まで見送りに来てくれた。




航海の中で、夜、策侑は夢を見た。
 
そこはお座敷で、道知が芸者のかんざしをとって着けようとしている。策侑が手伝って、髪につけると、道知は花のように微笑んだ。
 
目を開けると、藍色の空に、金色の満月が浮かんでいた。
 
その輝きは、夢の中の道知が喜んだ、金細工のかんざしと同じだった。




策侑は胸の中に、道知への愛しさが溢れるのを感じた。その愛しさと、彼を取り巻く環境に少し悲しい気持ちになって、そのまま横になって思案した。
 
道知や、周囲の多くの者は、因碩が老人であることに、何か安心しているようなところがあった。どうせもうすぐ死ぬのだから、その後は道知だ、とでも言うような。
 
確かに因碩は、今年64歳。しかし、生来非常に精力的であり、策侑との会話でも、頭ははっきりとしていた。
 
本当に道知は名人になれるのだろうか。そんなことを思いながら、策侑は再び目を閉じ、ゆったり揺れる船の動きに身を任せて、眠りに落ちた。
 
 
 
 


(続)



※次回 第7話(最終話) 夢の花


※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。

【参考文献】
・『日本囲碁大系 第三巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第四巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第五巻』(筑摩書房)
・『元禄三名人打碁集』 福井正明著
(誠文堂新光社)
・『物語り 囲碁英雄伝』田村竜騎兵著
(マイナビ囲碁文庫)
・『坐隠談叢』安藤豊次著
(關西圍碁會 青木嵩山堂)
・『道策全集』藤原七司著(圓角社)


※第1話

※第2話

※第3話

※第4話

※第5話





今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


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