就職

 私が「就職」という言葉を知ったのは、大学1年の時である。スーツを着た上級生を見た頃がきっかけだった。その姿には違和感があった。少しきつそうだなあと思った。大学3年になり、卒業後の進路に関する話が多くなった。当時20歳の私の人生は2番底で、暗い気持ちだった。もし成人した記念に海外デビューをして、2008年の北京五輪を観戦していれば私の人間としての大きなアピールポイントになっただろう。しかしそれはパスポートを手にするために必要だった戸籍謄本を、当時の家庭的な事情により取得できなかったために、実現できなかった。この時のモヤモヤは、その後の人生に大きな悪影響を及ぼすことになる。就職に関しては、悪いイメージしかなかった。なぜならば、成人に至るまで家庭や学校で散々我慢させられていたのに、就職して会社に入ると組織の中の歯車になるそうな気がして、ますます我慢を強いられるような気がして、嫌悪感を抱いていたからである。中学校の時のいじめが怖くて、「うまくいかなければ集団の中でまたいじめられるのでは」というふうに想像していた。その頃、きっかけはわからないが実の母親に正直にそのことを言ったら、弾圧されて私に危害が加えられた。その後、就職する気がないのなら大学を中退して高卒程度の公務員試験を受けろとまで脅される事態になった。当時、就職したくないという気持ちは、私を支配する親から距離の面で離れたいという意図もあった。なぜならば、私は首都圏の大学に通っていて、就職先として想定されるのは大半が東京のためである。実家やその近辺から通わされて、親による影響力は排除できない。それを前提として、そもそもこの段階で私にとって就職活動はおかしなことだった。8月に北京五輪が開催された。その後、リーマン・ショックが起きて世の中の経済状況自体がそもそも悪くなった。秋頃から今思えばとてもくだらない就職活動のイベントが行われるようになった。その頃、私はボランティア活動に参加していたのだが、その姿を見た実の母親は、くだらないことをしてないで就活の方に関わるように圧力をかけてきた。大学自体も就職活動をするような雰囲気になっていて、私は就職活動を流されて行うようになったのである。尚、当時の私には普通自動車免許の取得に失敗したという弱みがあった。そのため、高校在学中に抱いていた田舎で農業を行うという夢を言い出せなかったのである。翌年冬、本格的な就職活動が始まった。連日、きついスーツを着て会社訪問をすることは苦痛でしかなかった。その中での数少ない楽しみは、初めての場所に行くことと、同級生の女子大生のスーツ姿を見ることであった。女子大生は私と同じ学年なのに、キラキラしていてかわいかった。大半がポニーテールに黒いジャケット・スカート、白いブラウスの格好だった。きっちりとした服装だったからドキドキしたのかもしれない。そんな女の子が私の近くの座席にいたり、グループワークで話しかけられたりすると、ワクワクしていた。しかしそれが就職活動への意欲をあげることまでにはつながらなかった。3月からは、面接が多くなっていった。私にはアピールポイントがなかった。「真面目に勉強を頑張っていた」とアピールしても、それは当然のように扱われていた。私は元々地味で、面接官に印象に残るような人間ではなかった。大卒程度のコミュニケーションがまともに取れていたかはわからない。私は当時関わっていた大人が意地悪だったせいで、就職できなかった。春以降、他人が内定を得ても、私は何日も面接を受けても落とされて、内定ゼロの状態が続いた。実の母親や周りからは、「他人は内定をバンバンもらっている」というように脅された。こうして、私の大学4年は過ぎていったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?