あなたには、「多くの色で、自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「見る」ということができる」という人間になってほしい
今、この記事を読んでいるあなたが、「最後に、虹を見た」というのは、いつ頃だろうか?
昨日?
先週?
それとも先月?
虹には「7色の色」があるといわれている。
恐らくこれは、誰もが、小学生の頃から聞かされている事だろう。
だが、実際には、国や地域によっては、「虹の色の数」というものは、変わってくる。
それも、世界には、「2色だ」と主張する地域というのもあれば、「無限だ」と主張する地域というのもあるらしいから、大変に驚きだ。
もちろん、それは、「「虹を見ている、その地域の人たち」が、色覚異常などの先天的な障碍を抱えているからだ」とかいったような問題では、決してない。
あくまでも、「色の捉え方」の問題なのだ。
世の中には、「自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「2色」でしか「見る」ということができない人間」もいれば、「自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「無限の色」でとらえたり、見たりする、ということができるという人間」も、中には存在している。
今、この記事を読んでいるあなたには、ぜひとも、「多くの色で、自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「見る」ということができる」という人間になってほしい、と思う。
なぜ、私が、こんなことを書くのか、というのには、以下の理由がある。
その理由は、次の問いに答えて頂ければ、すぐに分かるはずだ。
「自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「2色」でしか「見る」ということができない」
のと、
「自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「無限の色」でとらえたり、見たりする、ということができる」
のでは、
「どちらが、「より鮮やかで、より豊かな人生を送る事ができる確率」というものが高いだろうか?」
「どちらが、「自分の人生の中から、より多くのものを受け取ることができる確率」というものが高いだろうか?」
答えは、当然のことながら、後者の、「自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「無限の色」でとらえたり、見たりする、ということができる」ほうだろう。
先ほど、「今、この記事を読んでいるあなたには、ぜひとも、「多くの色で、自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「見る」ということができる」という人間になってほしい、と思う。」と書いたのには、こういった、上記のような理由があったのだ。
繰り返しになってしまうかもしれないが、ぜひとも、「多くの色で、自分以外の、ほかの人間や、そのほかの物事を、「見る」ということができる」という人間になってほしい。
今回はここまで。
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