有冬典子

株式会社Coreleadの有冬典子です。facebookに投稿した記事のアーカイブです…

有冬典子

株式会社Coreleadの有冬典子です。facebookに投稿した記事のアーカイブです。日々の気づきのアップです。ちなみに、100本トライ中の短編小説用noteサイトもあります。よろしければお読みくださいませ→https://note.com/arinori_novel1

最近の記事

組織の「魔物」とリーダーシップ

大きな企業の変革が困難な理由。 ひとが集まれば集まるほど恐れの澱がその組織の中に溜まり、やがて人格を持ち始める。 例えば、2~3人なら開示しあって澱にせずにすむ恐れが、ひとが増えるほどに「『誰か』が『何か』不満を言うといけない」「『もし』、『何か』起きたら大変だから」と架空の恐れの澱がどんどん溜まる。 それら恐れの対応策を作り、仕組み化するのは良いが、こまめにアップデートせずにいると、やがてその仕組みに綿密に編み込まれた人々の恐れが生き物化し、組織に住む魔物になる。 

    • 本当の仕事とは

      「本当の仕事」とは、自分らしさの表現です。 「自分らしさ」とは、自分にとって大切なもの(価値観、ひと、時間)を、 勇気を持って大切にしながら生きるということです。 つまり、わたしを生きるということ。コアな願いを生きるということ。 そのような生き方を極めたとき、 結果的に周りの人々を勇気づけ、 希望に導き幸せにする大きな影響力を発揮することになるようです。 仕事とは、周りを幸せにすること。 また、人の役に立ちたい、人の人生を幸せにする仕事がしたいと願うなら、 「自分らし

      • 江ノ島にてふと思ったこと。

        江ノ島が見える海岸で、久しぶりに体を弛緩。 海のそばに住むようになり、気軽に海に遊びに来るカジュアルだけどお洒落な服に身包んだ若い女の子をよく見かける。 私は、彼女らの内的心理状況に思いを馳せる。 彼女らは、若い頃のテーマである「自分ってなんだろう」を映し出す鏡として無意識に海を使う。 海を通して自分を見る。 海に映える自分を引き出す。 海に応える自分を探す。 コットンのロングドレスや、短パンにタンクトップなどを、さりげなくも粋に着こなそうとし、空と海にふさわしいように

        • この記事にピンときた人はそういう役割の人

          結局、思ったとおりの人生が出来上がる。 諦めたら諦めた未来が叶い、希望を持てば希望した未来がそのまま叶う。 しかし、本気で希望を信じ込めるひとは、この世にそんなに存在しないもの。 だからこそ、信じ込める側に回るのよ、なにが起きても、希望を見つめ続ける、と決めるのよ。 世界を希望で満たすために。その役割を、引き受けるのよ。 さあ、一緒に。 (大先輩から頂いた言葉)

        組織の「魔物」とリーダーシップ

          いつも私たちは願いを叶えている

          自分の無意識領域によくよく耳を澄ませながら、生々しく人生を生きているとね、ひとっていつでも自分の内なるビジョン(未来イメージ・願い・予測)を完璧に再生して現実を創っていることに気が付きます。 簡単にいうと、いつも私たちは願いを叶えている。 なのになぜ、まるで理不尽で不本意なことが起きたかのように感じるかというと、自分の無意識領域と、それが描いているビジョンに対して、あまりに無頓着すぎるから。 意識より無意識領域の方がずっとパワーが大きいのに、あまりにもほったらかしすぎる

          いつも私たちは願いを叶えている

          わたしを生きる旅②

          【わたしを生きる旅②】 わたしを生きる、あなたと生きる。 「わたしを生きる」旅は、「あなたと生きる」における「あなた」という相棒が、どんどん変わる旅になる。 まずは、そもそも「わたし」は、周りにいるどの「あなた」とも共に生きていなかったことに気づく。 遠慮や背伸び、コントロールの関係性は、共に生きている関係性ではない。 次に、「あなた」とは遠慮も背伸びも、コントロールもない、インティマシーな関係のことだと気が付く。そこで初めて、ひとは真の意味で「他者」とつながる。

          わたしを生きる旅②

          わたしを生きる旅①

          【わたしを生きる旅①】 志を持つ。理念を持つ。自分軸立で生きる。コアな願いから生きる。 そう決めた人には、その道を磨く出来事が与えられる。 他者との葛藤、世間との葛藤、そして、自分自身との葛藤。 「わたしを生きる」道の歩き始めは、けっこうな試練が続く。 割としんどいから、じゃあ、やめよう、と思うのに、やめない自分に手を焼く。 そのうち、「コアな願いを生きたい」と言ってきかない自分に根負けして、「しゃーないなー」と言いながら、その子と旅に出ることになる。 発達はオ

          わたしを生きる旅①

          人生は2重構造 その2

          以前も書いたように、この世は2重構造なのですが、どの表現なら、あなたはピンとくるでしょうか。 ・「事象」と「本質」 ・「doing」と「being」 ・「目に見えるもの」と「見えないもの」 ・「起きていること」と「流れ」 ・「現れているもの」と「そこにある世界観」 ・「物質(性)」と「精神性(スピリチャル)」 ・「知覚、思考、感情」と「その底に流れているもの」 ・「この世」と「あの世」 きっと、どれかはピンと来ましたよね。 実は、ほとんどの人が、上記のように

          人生は2重構造 その2

          エゴの統合

          『「私普通の容姿なのになぜかモテちゃって、女の子たちから嫌われるの」 という悩みの正体は無意識にやってる媚びを同性は見抜くから。 媚びずともモテる女の子は尊敬される。 そして私が一番人として好きなのは…意識的に「媚び」を駆使してたっぷりとモテを楽しむ女の子! 人生味わい尽くしてるねえ』 ↑ということを、先月Twitterで呟きました。 が、今朝ふと、一番最初の「女子からは嫌われる女子」みたいなひとの生命力の強さみたいなものに触れて、そこに小さく自分が羨ましく思って

          エゴの統合

          エゴの死

          昨日、葛藤の最中に思いを吐露させてもらった友人から、 「死ぬんだ、典子!」とメッセージが来ました。 さすが、わかってるね〜、私って人間が。 葛藤から逃げたり、葛藤を誤魔化したりする気はない。ただ、しっかり死にたいだけ。 ここで言う死とは、エゴの死です。 エゴが弱体化すれば魂は輝きを増します。 エゴと魂の主従関係が入れ替わります。 葛藤は、エゴの死のプロセスです。 エゴの周りにはまとわりついているのは感情で、 葛藤はそれを揺さぶり、膿を出してくれるのです。

          社会改革と「怒り」について

          何か世の中に不満があるなら、疑問があるなら、そして、それを「本当に」なんとかしたいと思っているなら、決して、怒りから動いてはいけません。 怒りは今の現状を必ず加速させてしまう。 怒りは同じ土俵にあがってしまう。 そして、怒りは、老獪で狡猾な存在に、まんまと利用されてしまう。あなたは、わざと怒らされているのかもしれない。 義憤とは、とても危険なものなのです。 賢く動くなら、内側に湧き立つ怒りをなんとかすること。 怒りから憎しみを取り除いて情熱に変え、深刻さを取り除い

          社会改革と「怒り」について

          人生は2重構造

          人生は2重構造になっています。 事象の世界と、本質の世界です。 事象の世界の話は私にはどうも退屈で仕方なくて、 本質の世界の話は鳥肌が立つほどの豊かさを感じます。 お金儲けや生きるための仕事(ライスワーク)の話をされると、あくびが出そうになり、 自分の命をどう使おうとしているか(ライフワーク)の話をされると、興奮して話し込みます。 ひとの学歴やら実績やら社会的立場やらの話は、遠い目になってしまい、 ひとにどんな知的関心や夢があるのかについての話題は夢中で聞き入っ

          人生は2重構造

          「被害者・加害者・仲介者」劇場

          「被害者・加害者・仲介者」劇場というものがあります。 被害者ロールセリフの例)「〜された」「〜してくれなかった」 加害者ロールセリフの例)「〜してしまった」「わたしのせいで」 仲介者ロールセリフの例)「助けてあげる」「守ってあげる」「私が何とかしてあげる」 これらは、決して悪いことではありませんが、これらのロールを引き受けて「我を見失う」と、見事に自分劇場は他者の自分劇場と絡んで「人生劇場」が共創され、複雑な物語となり周りを巻き込んで繁殖し始めます。 やがて、そのロール

          「被害者・加害者・仲介者」劇場

          「磨く」とは

          昨年末、「自分をもっと磨きなさい」と、とあるメンター的な存在の方に(結構強めの)アドバイスを頂きました。 しかし、私は人生のどんな葛藤にも体当たりで向き合うタイプであることを自認しているので「人生全体を通して自分を磨いているつもりなのですけど、そのことと、おっしゃっている『磨く』とはなにが違うのでしょう」と尋ねました。 すると、「それは起きたことに『対応』しているだけと言えます。磨くとはもっと、能動的なことです」という旨の回答を頂きました。 なるほど、と思いましたが、そ

          「磨く」とは

          葛藤は「向き合う」ものではなくて…

          最近、体感的に掴みかけているのは、 「葛藤と向き合う」じゃなくて「葛藤と馴染む」って感覚です。 すると、自分劇場も消え、身体的・感情的苦しみも緩み、知らなかった世界が立ち現れる感じ。…すごく興味深い。 先日とあるご縁があり、厳しい環境の大自然の中に入ってみて偶然発見した体感覚なのですが、もしや、これがいわゆるサレンダーってことかな。 日常に応用できる気がして、日々の小さな葛藤を感じた時、ちょっとづつ試していますが、もうちょっとで、なんか掴めそう。 掴みたい・・これ。

          葛藤は「向き合う」ものではなくて…

          感受性は快だけ伸ばせない

          年末年始、1月上旬ごろまでいろいろと葛藤が続いて、眠れぬ夜や、抱え切れぬ情動に対応していたけれど(外で起きてることは、命を取られるほど大したことではないけど内側への刺激が大きかった)、 その後は、まるでつきものが落ちたみたいに、毎朝、「あー、幸せだなあ」と言いながらカーテンの隙間からこぼれる朝日の中で目覚め、眠るときは、「色々今日もありがたかったねえ、感謝だなあ」って言いながら電気毛布でぬくぬくに温めておいたお布団にもぐって眠っています(外で起きていることとは、その葛藤期に

          感受性は快だけ伸ばせない