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エゴの統合

『「私普通の容姿なのになぜかモテちゃって、女の子たちから嫌われるの」

という悩みの正体は無意識にやってる媚びを同性は見抜くから。

媚びずともモテる女の子は尊敬される。

そして私が一番人として好きなのは…意識的に「媚び」を駆使してたっぷりとモテを楽しむ女の子!

人生味わい尽くしてるねえ』

↑ということを、先月Twitterで呟きました。

が、今朝ふと、一番最初の「女子からは嫌われる女子」みたいなひとの生命力の強さみたいなものに触れて、そこに小さく自分が羨ましく思っているのを掴みました!

ああ、なるほど。羨ましいんだな、私。

三番目の女子が精神的には最も大人で、人生を歩く達人に感じて、すごく好ましいです。

しかし、この三番目の女子ようなひとは、自分のエゴに意識的になった分、実は配慮も優しさも含んで行動しています。つまり、味わいたいものを味わいながらも、ちゃんと自分も周りも大事にする、という、ある種の大人の手加減が起きるのです。

だから、明らかに生きる上でのガツガツエネルギーは、最初の女子のほうが圧倒的に強い。他者の痛みをスルーできる分、自分の欲望に罪悪感なしでいられるから。

そのガツガツを、はしたない、とか、意地汚い、ずるい、とか思ってジャッジする私を横にどけると、明らかに「羨ましいなあ」が現れました。「思い切り生きてやがるな、こいつ。羨ましいぜ」と。

意地でも、自分の思い通りに生きてやる!って本音、下心、いいじゃん、やるじゃん、なんて気持ちまで湧いてきました。

なーんてことに気が付いたら、最初の女子のような人を、なんか、愛おしく感じてしまった。

エゴイスティックさは生への執着。これはきっと、レッド段階の持つ、煌めく生のエネルギーですね。

原始的な、生きるパワーを感じて羨ましくなったのでしょうね。

ちょっと最近、最初の女子のような人(「モテるための媚び」とは違う状況だけど、意識と無意識が乖離してる系のひとね)が目にちらつき、わたしは胸がチリチリしていたのです、はい。

ふう、楽になった。
統合完了です。

追伸:もちろん最初の女子の状態のままでは世界の調和も命のバランスも社会も許さないのでこのまま生きたら、周りをむやみに傷つけて負のフィードバックつまり周りからの阻害やいじめに会い結局自分も傷つくことになるのだけれどもそんなプロセスを経て自分の欲望に意識的になりやがて三番目の大人女子になるものなのだろうな


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