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価値観の違いと共感、そして発信のむずかしさ

タイトルが意味不明ですが、今から書く文章も意味不明かもしれません(笑)

今週はお金の記事を書く予定でしたが、最近読んだnoteや読んでいる本たちから色んなことを考えさせられ過ぎていて、思考が完全にそっちに持っていかれ、お金記事を書くことができませんでした。

あまりにも頭がごちゃごちゃし過ぎてアップアップしてるので、ちょっと整理するためにアウトプット先としてnoteを使わせていただきたいと思います。

注)私の発信は基本的に「私はそう思う。私はそうしている」ということのシェアです。誰かに対し「そうするべき! あなたは間違っている!」というニュアンスを出さないように気を付けているつもりですが、配慮が足りない文もあったり、それらは受け取る側が判断することであり、完全にそれを成し遂げることはとても難しいことだと思っています。今日の記事は自分も消化しきれてないことなので、いつも以上に不手際があるかもしれません。今から書くことは私の思考の吐き出しなので、嫌な気持ちになった方は申し訳ありませんが「即離脱」を。興味のある方のみ読み進めていただければと思います。


💛


最近は読みたい本が多すぎて、同時に何冊もの本をそのとき読みたいタイミングで読んでいます。

現在読んでいる本は、この3冊。

ファクトフルネスはかなり前に購入済みでしたが、開いた瞬間に「難しそう!」と思ってしまい、なかなか読みはじめることができなかった本。

サラリと読みやすい他の2冊と同時進行することで、今ようやく読めていますが、とてもとても面白い本でした。


みなさんは、世の中はどんどん良くなっていると思いますか?

悪くなっていると思いますか?

私は何度もnoteの中で「人はみんなそれぞれ自分の価値観のメガネをかけ、世の中を自分の見たいように見ている」と書いてきました。

同じものをみても、そこから何を感じるのかはその人次第。

この世が優しい世界だと感じる人もいれば、厳しい世界だと思う人もいる。

そしてその意見に、「正しい正しくない」のジャッジは私ができることではないと思っています。


私が見てる世の中は「優しい世界」

でも、もちろんそんな場面ばかりではないことも知っています。

それでも基本的には「優しい世界。素敵な人がたくさんいて、人を信じられる世界」

そして私の人生の大前提は「すべてはうまくいっている」

それなのに、

みなさんは、世の中はどんどん良くなっていると思いますか?悪くなっていると思いますか?

この問いに、ファクトフルネスの中で私が出した回答は「世界はどんどん悪くなっている」だったのです💦

これはかなりの衝撃でしたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン


この本では、最初に3択で13の質問をされるのですが、多くの人がチンパンジーの正解率(適当に選んだ正解率33%)を下回るのです。

しかも正解よりも悲観的な答えを選ぶ人が圧倒的に多い。

データで冷静にみれば「世界はどんどん良くなっている」にも関わらず、多くの人が数々の思い込みにより「世界はどんどん悪くなっている」と思っていることを証明した本。


著者のハンスさんは、人類の素晴らしい進歩を語るたびに「楽観主義者」とレッテルを貼られてきたそうです。

けれどハンスさんは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安をもたない「可能主義者」だと自分のことを語られています。(「可能主義者」はハンスさんの造語)

世界は良くなっていないと考える人は、「何をやっても無駄だ」と考えるようになってしまいがち。

世界は少しずつよくなっているのだと知ることができれば、多くの人が「さらなる進歩は可能だ」と前向きに考えられるようになるはずだ。

そのために様々なデータを集め、データという証拠を使い「世界は少しずつ良くなってきている」を、ご家族の力を借りながら人生を懸けて証明されてきた方です。


私が現時点でこの本の中で最も注目した点は、その証明自体ではなく(笑)

「悪い」と「良くなっている」は両立する

ということでした。

何かが「良くなっている」と聞くと、「大丈夫だから、心配しないで」とか「目をそらしてもいい」と言われている気になる。しかし、わたしは「世界はよくなっている」とは言っているが、「世界について心配する必要はない」と言ってはいない。もちろん、「世界の大問題に、目を向ける必要はない」と言ってるわけでもない。「悪い」と「良くなっている」は両立する。


これをわかりやすく解説するために、「”世界”は保育器で育つ早産児のようなもの」と例として挙げられていました。

ある赤ちゃんが保育器に入ってから、1週間たつ頃には体調がだいぶ回復したとします。

すべての数値が最初と比べ良くなってきているものの、いまだ危険な状態なので保育器から出ることはできない。

この場合、赤ちゃんは少しずつ良くなってきているけれど、それでも状態はまだ悪い

「悪い」と「良くなっている」は両立する

この考え方と説明に、私はとても感動しました。

それとともに、「発信には、ハンスさんが『楽観主義者』と言われたような誤解がたくさんあるよな。こうした詳しい解説やそう思った自分の背景、それをすべてうまく言語化して語り切れない、不特定多数の人に向けての発信はやはり難しいな」と感じました。


ハンスさんも本の中で書かれていましたが、たとえ「世界は良くなっている」ことが事実であったとしても、災害のさなかに苦しんでいる人に対し、「それでも世界はよくなっている」というのは場違いだと書かれています。

現在苦しみの中にいる人に対し、そんな言葉を投げかけるのは被害者の想いを踏みにじる行為だと。

私もずっと同じように思ってきました。

noteのように不特定多数のどんな状態の人が読むのかわからない中で、「すべてはうまくいっているが大前提!」

こんな記事を私が投稿し、それを現在悲しみの中にいる人が目にした場合、到底「すべてはうまくいっている」なんて思えないし、読んだその人を傷つけてしまう恐れがあります。

それでも、この記事に共感してくれる人もいる。

すべての人に配慮しようとすると、書きたいことを何も書けなくなってしまうという葛藤。

いろんな価値観、そして様々な状況の人がいる中で発信を続けるということは、とてもとても難しいことだなと思っています。

特にコロナ禍に突入したころは、お金で悩む人が多くいる中で、誰かを傷つけるんじゃないかと、前向きなお金の話題を記事に書くことができなくなりました。


今までたくさんの本を読み、自分の中でもいろんなことを考えてきましたが、これに似たような「両立」の矛盾のようなものを感じることが多々ありました。

たとえば、私はいま自分が夢に向かって努力中なため、「がんばろう! 行動! 行動!」という類の記事が多くなりがちです。

でも、そういった記事を読むのが辛い人もきっといます。

「頑張ろう! うん。私もがんばる!」と共感してくれる人もいれば「がんばらなくていい」という記事に安心する人もいる。

そして現在の私の中にも「がんばらなくていい」という価値観は存在します。

苦手なこと、自分が苦しんでまで何かをやらなきゃいけない。

そんなことは「がんばらなくていい」という私の中での価値感です。


また、私は自分自身が大きく思考を変えることで人生が好転してきた経験をnoteで綴ってきました。

それでも、いま読んでいる本『育てたように子は育つ』の中にある

そのままでいいがな

この言葉にも大きく共感します。

私は自分の思考を変化させてくることで幸せを実感できるようになったけれど、「変化しないこと」が100%悪なわけじゃない。


「がんばる、がんばろう」と「がんばらなくていい」

「自分を変えよう」と「そのままの自分でいい」

また、「自分を大切にすること、自由に生きること」と「他人への配慮」

それらは両立すると思っていますが、まだうまいこと言語化する術が私にはありません。

そうしたことをすべての記事の中に漏れなく埋め込み、誤解なく読むひとすべてに伝えること、さらに誰も傷つけない記事、それを書くのは本当に難しい。


数年前に、あるベストセラーの本を読んだことがありました。

その本が伝えたいメッセージは「あなたはそのままでいいんだよ。がんばらなくていいんだよ」だったと思います。

その本を読みだして数分後。

その著者の方が「この世は厳しい世界」という視点で世の中を見ていることが文面からものすごく伝わってきて、私は苦しくなってそれ以上読み進めることができなくなりました。

でも、私が苦しくて読めなかったその本は、たしかに多くの人を癒している。


現在読んでいるこちらの本も、「あなたはそのままでいいんだよ。がんばらなくていいんだよ」というメッセージの含まれた本です。

幸福な人生を送るために、まずやるべきこと。
それは、ひとりの人間として、どれをがんばるべきで、どれを諦めるべきかを見極めることだと、私は考えます。

生物学的に、それぞれの人間のもつ遺伝子の働きから「〇〇しちゃうのしょうがない! 無罪!!」と、一般的にダメとされることの言い訳を肯定してくれます(笑)

何度も爆笑してしまう本でした。

たとえ同じメッセージであっても、それを発信する人の背景や伝え方、読む側の好みとそのときの心の状態で、癒しや学びをくれるものは変わってくると思っています。


だからこそ、より多くの人が、自分の想いを安心して発信できる場所があることは、とても重要だと考えています。

1人1人の発信に、その場所を心地よいと感じ、共感し、救われる人はきっといるからです。

noteは誹謗中傷をする人はほとんどいませんが、今までに数人、コメントで反対意見を投げかけられ、傷つき、noteを去られてしまった方がみえました。

ある大学生の男の子は、そのコメントをくれた方のnoteを読みにいったが、その人自身は何も発信しておらず、相手がどんな人なのかわからないまま不安を抱えて傷つき、いなくなってしまいました。

相手のことを少しでも知ることができれば、同じコメントでも全く受け取り方が違ってきます。

「相手のことがわからない不安」

その子の最後の発信から痛いほど伝わってきました。


私が読ませていただいた最近のnoteでは、勇気をもって自分自身の体験や考えを綴って下さっているかたがたくさんみえました。

自分の考えを発信する時、率直な意見を綴ることで、自分が変に思われないか?という自分を守りたい気持ちとともに、

 人に不快な思いをさせないか? 自分の言葉が誰かを傷つけてしまわないか?

という怖さを抱えながら、多くの人が「自分の経験が誰かの役に立ちますように」と想いを込めて発信してくれています。

本当に感謝しかありません。


文章を書くという行為は、「人のため」だけではなく、私がいまこうして頭の整理に使っているように、「自分のために書く」という大きなメリットもあります。

私も含め、このnoteを使う多くの方が文章の素人だと思います。

思考の言語化はとても高いスキルを必要とするし、書籍を発行する前のように、第三者の添削が事前に入ることもありません。

「これはちょっとな」と思う一文があったとしても、それを温かく見守れるような……

このnoteが、自分の庭の中だけでも、自らの想いを安心して綴れる場所でありつづけてくれることを心から祈っています。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。



お札おばけありがとう

(粘土作品&写真提供💛糸、ラムネ好き成りさん)







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