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私がムーブメントコーチになった理由②高校ウインターカップ予選〜大学受験編
こんにちは!
ストレングス&コンディショニングコーチでありムーブメントコーチの山越です!
前回の記事では、「私がムーブメントコーチになった理由①」として、高校ウインターカップ編を書きました。
記事はこちら
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前回までのお話
高校の部活をインターハイ予選で引退することなく、勉強しながら冬の選抜大会=ウインターカップ予選まで残り、大学受験を成功させる。
あわよくば、ウインターカップ予選を優勝、本戦出場までいければ「推薦で大学行けるんじゃね?」という淡い期待を持っていました。
そんな、自分の高校生活最後の大会の2週間前の練習中に重度の足関節捻挫をしてしまいました。
負傷後、親は仕事で迎えに来られないので痛みに耐えながら死に物狂いで自転車を漕いで家に帰り、親が帰ってきてから行きつけの接骨院に連れて行ってもらいました。
そこで院長の先生に足首の腫れを見せたら、「そんな驚きます?見慣れているでしょ?」って思うレベルで大層驚かれ、知り合いの整形外科に紹介状を書いていただきました&松葉杖を貸していただきました。
整形外科に連れて行ってもらう
次の日だったかな?その整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったり、触診(触ってどこを痛めているのかを確認する)と簡単なテスト(どの方向に動かすと痛いかを確認する)をしてもらい結果が出ました。
結果は、外くるぶしにあたる腓骨にくっついている靭帯に強い引っ張る力が加わり、それにより腓骨ごと剥がれてしまう剥離骨折とその靭帯そのものが部分的に切れてしまう靭帯損傷を起こしていると診断されました。
当時は全く知識もないのでわからなかったのですが、腓骨と、距骨という外くるぶしと内くるぶしの間にある骨を繋ぐ前距腓靭帯と、これまた腓骨と、踵(正式には踵骨「しょうこつ」)を繋ぐ踵腓靭帯の二つの靭帯が部分断裂していました。
ちなみに靭帯が部分断裂することを専門的にはII度損傷と言います。診てくれた先生曰く「ほぼ切れかかっている。かろうじて繋がっているレベル」と言われました。
II度損傷だとケースバイケースですが、復帰までの目安や大体4〜8週間と言われています。
軽度の損傷=I度損傷でも腫れと痛みが引き、リハビリをしっかり行って、復帰できるようになるまで2〜3週間かかると言われます。
多くの指導者に言いたい。
「足首の捻挫を甘く見てはいけない。」
捻挫をして、そのまま直ぐプレイをさせたり、選手自身が大丈夫というから次の日から練習に参加させてします光景をよく見かけるけどこれはまじで良くない!!
軽度であってもしっかりと休養とリハビリを段階的に行うことが重要です。
話が逸れてしまいましたね。
で、僕の怪我の場合普通なら4〜8週間かかる。でも、引退がかかった試合は2週間後にある。
さて、どうしたものか。
整形外科の先生や、接骨院の先生に相談して、とりあえず毎日接骨院で治療してもらうことになりました。
とりあえずやれることをやるということで2週間後の試合に備えて行きました。
ふと思ったこと
この負傷から試合までのリハビリ期間に、「怪我をした時に専門的にアドバイスをしてくれる人がいたらいいなあ」なんてふと思ったことを覚えています。
元々、鍛えることは好きだったし、
どうやったら高く跳べるか?
どうやったらディフェンスが上手くなるか?
どうやったら速く走れるか?
など身体の使い方、というかどうしたら運動神経が良くなるか?いわゆる「センスのある動き」ができるか、ということには興味がありました。
その運動に対する日常的な疑問と、日々行っているトレーニングに加え、実際に自分が専門家を必要とする状況に陥ったことで身体を鍛える専門家というものへの興味が湧いてきました。
この時はまだトレーナーの「ト」の字も知りません。
まだ、保健体育の先生になりたいと思っていました。
試合当日
当日は試合前に接骨院に行き、先生に足首のテーピングを巻いてもらいました。
痛みどめの薬を飲んだかどうかは覚えていません。
最大2ヶ月かかる怪我を2週間でなんとか動けるようにするなんてのは無理な話で、試合そのものは苦行でした。
痛みに大層弱い僕はまじで戦力にならなかったと思います。
それでも、なんとか試合は勝ちました。
県ベスト8進出です。
試合後、流石に足首が痛かったので親に迎えに来てもらいました。
その次のベスト4決めの試合までまた数週間空いていたのでさらにリハビリを進めて行きました。
もうこの時はどれくらいの期間があって、どんなことをしていたのかは覚えていません。
ただし、唯一覚えているものがあります。
そのベスト4決めの試合のスコアです。
対戦相手は強豪の私立校。
県内(外?)から推薦で良い選手を獲得してきて、確か指導者もそのタイミングで代わり優勝候補にまでなっていたチームです。
そんなチームに僕たちは
44ー132
という大差、というかトリプルスコアで負けました。
完膚なきまでに叩きのめされました。
まあ、圧倒的な実力差があったし、ここまでの点差をつけられたら残る悔いもなく「あー負けたー」って感じでしたね。
指定校推薦、センター試験、そして私立・国立大学受験
引退後、まずは指定校推薦で大学を受験しました。
息子が心配だったのか、隣県の大学だったというのもあり、お父さんと一緒にホテルに泊まりました。
夕食に行った居酒屋で「晩酌セット」というお酒+おつまみがついてくるセットを注文していてびっくりしました。
息子は次の日受験で緊張しているのに。
思わず「俺明日試験なのになんでその俺を目の前に晩酌セットなんか頼んでんの?」的なことを思わず言ってしまいました(笑)
息子を心配してついてきてくれただけでも優しいお父さんです。
そんなお父さんのいつもと変わらぬ姿を見て若干リラックスした気がしました。(ホテルに戻った後もビール飲んでましたw)
当日、面接試験だったのですがめちゃくちゃ緊張してましたね。
結果は落ちました。
そこからはメインのセンター試験と大学受験に向けて勉強をさらにしていきました。
センター試験では相変わらず英語のみ驚異的な点数(確か9割以上)をたたき出し、それ以外がズタボロ。
数学、理科は苦手なのは分かっていたのですが、古文漢文が想像以上にできなかった。
センター試験は惨憺たる結果でした。
僕らの学年から大学受験に必須なセンター試験の受験科目が5教科5科目→5教科7科目に変更になりました。
ただ、あまり多く勉強したくない僕は5教科5科目で受験できる大学を探しそこを受験しました。
多分、当時同じことを考えていた人は多かったのではないかと勝手に思っています。
確か私立の大学の受験が先だったと思います。2月頭くらい。
某有名体育大学に受験しにいきました。
そこでは、学科試験と体力テストがありました。
学科試験に関しては申し訳ないけどレベルは高くなかったです。
ただ、体力テストに関しては化け物揃いでした。
それもそうでしょうね、高校時代、各競技で名を残し、大学でも名を残そうと志願してきた人たちが多数いるわけですから。
シャトルランや垂直跳びとか、すごいなーって思うことが多々ありました。
そんな、同じ受験生の身体能力の高さに圧倒されながら帰路に着くと、大学の最寄り駅でアンケートを実施していました。
ここでのアンケートが僕の人生を変えるきっかけになったのです。。。
しかも、僕の頭がちょっと悪かったがためにやってしまったことです。
ですが、結果的には今の仕事を志すきっかけができました。
それについてはまた次の回で書きますね。
ちなみに、国立大学も受けました。
ここでも体力テストがあり、バスケットボールを選択したのですが、在学中の大学生と1対1を行いました。
大学生のフィジカルを見せつけられ、圧倒されてしまいました。
手応えもなく、国立大学も落ちましたとさ、、、
ではまた!
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