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自分を大切にする vs 自己中の違いとは

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今回は、昨年からずーっと綴ろうと思って考えてたテーマ、「自分を大切にする(ありのまま)」vs 「自己中(わがまま)」についてです。

あるお坊さんの法話では

まずは、あるお坊さんの法話で、この違いについて聞いていた方がいました。お坊さん曰く、その時々で、自分を優先したり、自分以外を優先したりするものだ、と言われていました。うーん、抽象的。私的には、少しモヤモヤが残りました。

Google先生の見解たち

そして、やっぱり、google先生に聞いてみました。そしたら、結構、みなさん、こんな壮大なことについてまとめられているのですね。

まずは、南阿蘇のライフコーチさんの見解

「わがまま」は我を通して、相手に我慢を強いたり、苦い思いをさせつつ、
自分の意見を押し切ってしまう。
または、思いが通らないとわかると、思いっきり拗ねたり暴れたりする。
俺がえらいんだぁー!一方、「ありのまま」「自分らしく」いようとするとは、どっちかが我慢、という簡単な結論に飛びつくのではなく、
(よく話しあったうえなら、場合によっては、我慢もありとは思います。)
まずは、自分を大切にする。
自分の思い・ニーズを大切にし、相手に表明する。
さらに、相手の言い分。本当の想いやニーズに好奇心を向けて、よく聴く。
その上で、どうすれば良いか、お互いで対話を重ねて智慧を絞り、合意点や第三の案などを生み出し、、、という、まさに「人とともに生きる」ことをガッツリやっていくことになるのです。ともに生きようぜぃ。
だって、
自分も相手も幸せになることを諦めないのが、
「ありのまま」「自分らしく」いようとすることだから。

こちらは、新宿の心理カウンセラーさんの見解

ありのままの人とわがままの人のちがいは、弱い自分を自分で受け入れられているか、怒り・悲しみ・不安などのマイナス感情を受容できているかどうかのちがい。

とあるブロガーさんが心屋心ノ助さん案をまとめた見解

自分中心に生きるというのは、本当はどうしたい?と自分に聞いて自分の本音で生きること
率先して迷惑をかけることでもなく、誰かをわざと傷つけることでもない
自己中は、自分だけがよければいいということ
そして責任をとらないこと
わざと意地悪になること

先述とは別のお坊さんの見解(ビデオ)

こちらは、自己理解プログラムをされている方の見解

理論整然として、わかりやすいから、ついこれが正しい!って無意識に思ってしまうかもしれないので、「見解」であることに意識的になって読んでみるといいかもしれません。

とにかく、異なる視点、立場の人たちが色々な見解を提示してくれています。

え、私の見解ですか?

私は、この点に関しては、まだ考え中なのですが、今の時点で言えることを、では、綴ります。

まずは、どちらにしても、

まず自分の声が聴けていること

は大きな共通点だと思っています。

ありのままの自分も、自己中も、自分の思いが聴けるようになり、それにしたがって行動していることは類似している。

ただ、自己中でないというのは、「自分の思い」が、最終的には、他者の思いと重なり合うとか、妥協点を見出すとか、そのように「意識的→無意識での寄り添いに」なってくると思います。

ありのままと自己中の違いは、どちらにせよ「社会性」が関係してくるでしょうね。社会性との関数によってどちらかに決まる感じ?

そして、その妥協や合わせてあげられる「寄り添い」は、その関係性に「愛」があるかないかで違ってくるとも思う。

マズローの欲求理論で真骨頂?

マズローの欲求理論に無理やり当てはめてみると、5段階目のピラミッドの頂点「自己実現」は、ひょっとしたら「ありのまま」になる?!(それでも、この5段階目の人々は欠乏感があるらしいのですが、確かに、自分だけの自己実現だと空虚感があるのかもしれないと想像に難くないです。) 

マズローが後年、編み出した、その上、6段階目の頂点「自己超越」これが「ありのまま」に社会性を帯びた、「使命」を帯びた、ありのまま+愛=自我超越、悟り、大我なのかなー・・・・うーん、どうかなあ。

大乗仏教、お釈迦様は?

お釈迦様の例をとると、「悟る」までは、社会性を帯びていないんですよね。お釈迦様、悟るのに、次第に全部捨てちゃって、社会性ゼロ(ごめんなさい!)でしたから。が、本当に大乗仏教(社会性を帯びる)となったのは、その「悟り」を人のために教えることを始めたからだそうです。

と言うことで、ありのまま、自己中、には、社会性の違いがあり、社会性へつなげるのが「愛」(慈悲や思いやり、創造性)で、自分の思いが他者の思いと重なったりしてくる、、。人のために動いて喜べる超理性の域になる?と言うか、もうそこには、「人のため」とか「自分のため」とかの境もない。「よりよくなるため」と思ったら、自然に自分にも他者にも益できる発想になっている、そんなイメージ。

魂が望むことが、自己中→自分軸→超理性(博愛?)みたいに経時的に時間軸で変化しつゆく部分もありそう。
ただ、上記の経時的な各段階のどこにいても、自分の思いの強さで変わって来る場合もある、、、思いの強さ軸もありそう。

私もまだモヤモヤしたまま、、一旦the endです。笑

自分の声が聴こえない場合

だけど、自分の声が聴けなくなっちゃってる場合は、まずあなた自身を大切にするといいのかもしれません。

ここでの見解は、各個人の思いを言語化しているだけなので、選ぶのはあなたです。「自主性」を大切にすることも、ご自身を大切にすることにつながると思っています。 GOOD LUCK❣️




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