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創作大賞2024 | ソウアイの星⑨

《最初から 《前回の話 


(十一)

 朔也さくやと公園を歩いた。ぽつりぽつりと会話をしても盛り上がるようなことはなく、年の瀬の空気を感じながら、ただ二人でどこへ向かうともなく進んだ。
 途中、公園の何処かから二胡の音色が聞こえた。
「どこだろう、もしかしてあの人かな」
 わたしは期待して耳を澄ませた。
「あの人って?」
 と朔也が不思議そうな顔で訊ねた。
「あのときの人だよ、ほら」
 わたしは、音楽堂で初めて朔也がわたしの前でアカペラを披露した日のことを話した。
「ああ、そうだっけ。正直、あんま覚えてない」と朔也は言った。
「そうなの? 息ぴったりで演奏してくれてたんだよ。間違いなく朔也くんの歌声に対する反応だったと思うな、あれは」
 都合よく考えてない? と朔也は困ったような顔で笑ったけど「はなちゃんも言ってたし」とわたしは譲らなかった。
 二胡の音色は、その後も時々聞こえてきた。
 しばらく無言で歩いた。気まずくはなかった。
 そうして池にかかる橋のたもとまで来たとき、ふいに朔也が立ち止まった。
流香るかって変わってるよね。ずっと思ってたけど」
 突然の告白に、わたしの鼓動は速くなった。
「前はもっと積極的に関わろうとしてくれてたのに、いつからか俺との関係にはっきり線引をして、気がつけば、流香は俺から遠いところにいた」
 朔也の言葉にわたしは動揺した。こういうときに限って、ルナは口を閉ざして頼りにならない。だけど、ルナがそうなってしまう理由はよくわかっている。
「ごめんね。きっと冷たく感じたよね。だけど、あのときは本当に距離を置くことが正解だと思ったの。朔也くんはバンドの顔だし、これからという時期だったし……」
「他のメンバーだって付き合ってる相手はいるし、けんと華だって、結構知られた仲だったと思うけど」
 わたしは困惑した。朔也が言いたいことがわからなかった。わたしたちは何年も、今の距離感で上手くやってきているのに。
「ずっと引っかかってたことを今になって言われても困るよね。俺自身、何を言いたいのかよくわからないけど。ただ、流香はたまに流香じゃない・・・・・・ときがあった気がして、なんだったんだろうって」
 ま、良いんだけど、と言って朔也はまた歩き出した。わたしは一歩遅れて朔也のあとを追った。
 結局その日は、それ以上追求されるわけでもなく、手術の話を深刻に語り合うでもなく駅で解散した。
 別れ際、朔也はわたしに言った。
「手術が終わったら連絡するよ。だから、祈ってて。またステージに戻れるように」
 力なく笑った朔也は、不安を抱えながらも、どこか吹っ切れたように見えた。

 (十二)

 朔也と別れて家に戻る途中のコンビニで、わたしはルナが好きそうな弁当を買った。なんとなく、ルナが落ち込んでいる気がしたからそうしたのだった。
『外、寒かったあ』
 部屋に入るとルナが言った。一人暮らしの部屋は暗く、外と同じように冷えていた。わたしは黙ったまま洗面所へ向かい手を洗った。そしてうがいをする時になって朔也を思った。するとなんとなく、自分の喉に詰まるような感覚を覚えて苦しくなった。
 せっかく買ってきた弁当もやはりすんなりとは喉を通らなかった。それでも無理をして半分を食べた。ルナはわたしが食事をする間、一言も言葉を発しなかった。
 食事の後ソファに横になって、華に今日のことを報告すべきだろうと考えていた。だけどすぐには連絡する気になれなかった。まずは自分の気持ちを整理しなくては。一番話をすべき相手はすぐ近くにいる。
「朔也くん、どうだった?」
 わたしからルナに話しかけた。
『元気なかったね』
「うん。声もやっぱり、かすれてた」
『うん』
「朔也くん、ルナの存在に気づいてたんだね」
『あたしの存在っていうか……』
 ルナは黙った。ルナ自身も気持ちに整理がついていないのだと思った。
『まさか流香の中にあたしがいるとは思ってないだろうけど、思わせぶりな女だと思われてたんだろうなって。さっきの朔也くんの言葉聞いたら』
「そうだと思う」

 わたしたちは複雑だった。
 わたしにとっては朔也こそが光り輝く一等星で、ようやく見つけた希望の星だ。わたしの生きがい。それは、四人でよく集まっていた頃からそうだった。朔也が一番輝く瞬間はステージにあることを知っているからこそ、距離を保って接していた。同い年で親しい関係にあっても、決して踏み入ってはいけない領域を意識していた。わたし自身は。だけどルナは違った。わたしの中の友人は、あの頃、朔也に対しはっきりと恋心を抱いてしまった。
『あのとき流香は、あたしが朔也くんに好きな気持ちを伝えたことを責めたけど、今でも、あたしがしたことは間違ってたって思う?』
 真面目に話すルナの声はいつもより少し低い。
「間違いというか……だって、この体、この身はわたしのものなんだから。わたしが朔也くんを恋愛対象としないと決めたのに、例え言葉であってもわたしの思いに反することはしないでもらいたいかったの。だからあの後、はっきりと意思を示すために、朔也くんとは距離をとった」
 ルナが震えている。姿は見えないのに、どうしてだろう。彼女の怒りが伝わってくる。
『じゃあ、どうしてさっきは朔也くんに抱きついたりしたの。一ファンとしては出過ぎた行為なんじゃないの』
「さっきはなんというか」
 友情。そう、友情のハグ。ファンとアーティストの関係にあっても、わたしと朔也の間に、友情だけは消えないものだと確信していた。
『あたしが朔也くんを好きだったときには距離を置くように説き伏せておきながら、自分は都合よく彼を抱きしめてる』
 ずるいよ、とルナは泣いた。
『なんであたしには、あたしだけの体が無いんだろう』
 ルナの悲しみはわたしを覆い隠すように迫ってくる。このルナの強い想いに、本体のわたしは耐え抜かないといけない。そのことは、ルナがかつて朔也を諦めた時に起こした混乱で一度学んでいる。
「わたしはね、ルナ。朔也くんをずっと見ていたいの」
 泣いているルナが聞いているかどうかわからなかったけれど、わたしは話し続けた。
「わたしの想いは、あのときルナに伝えたものと変わってないの。わたしはずっと朔也くんといっしょにいられる関係を選んだの。朔也くんを支えて、一緒に夢を見て、ずっと好きでいられる、そういう関係を望んでるの。これから先も」
『華ちゃんと健くんは、恋人同士でもうまく支え合ってるじゃない』
「他人のことはわからないよ。二人の関係だって色々変化してると思うし。そもそも他人と比べても仕方ないじゃない。わたしの問題なんだから」
『流香とあたしの問題でしょ』
 あたしたちが逆だったら良かったのに、とルナは言った。
『あたしはそのままの朔也くんを好きでいたかったし、そのままのあたしを見てほしかった。それがたとえ、結果的にひとときで終わったとしても』
「一度関係が破綻したら、ひどく傷ついて、もう二度と会えなくなるんだよ」
『それでも良かったよ、あたしは。だってつまらないじゃない。何も起こらない、安定した人生なんて!』
 わたしは刺されたような衝撃で思わず笑った。わたしの中にいて、時々おしゃべりをするだけの友人が、実際の人生を生きているわたしに何をいうのだろうと、ひどく呆れてしまった。
「実生活は色々起こってるよ。仕事でのトラブルも、人間関係で嫌な思いもするし、むしろ良いことの方が少ないの、知ってるでしょ。そんな毎日の〝癒やし〟なの。〝希望〟なの。CALETTeカレッテは、わたしの全てなの!」
 奪おうとしないでよ! と叫んで、わたしはクッションを壁に投げた。それでも気持ちは収まらず、スリッパを投げ、最後にハンドバッグも投げつけた。すると壁の向こうから拳で叩くような音が三回響いた。
『お隣に迷惑だから。一旦落ち着こう』とルナが言った。
「今日はもう寝る。疲れたよ」
 わたしはそのままベッドに突っ伏した。
『せめて顔だけは洗いなよ。あと、歯も』
 お節介なルナに、わたしは閉じかけた瞼を押しあげ、言った。
「ほらね、面倒なことをやってるのはわたし。全部、わたしなんだよ。こんなに疲れてるのに、力を振り絞って起き上がって、顔を洗ったり、歯を磨いたり。だるくてだるくて、やりたくないことを頑張ってこなして生きてるの、わたしは」
『わかったよ。ごめんて……』
「だけどね」
 わたしはベッドの上でゆっくりと体を起こし始めた。
「もし、今からCALETTeのライブがあるって聞いたら――」
 ベッドから跳ね起き、しっかりと立った姿をルナに見せつけた。
「こんなに元気になる。動けるの、大好きだから。〝推し〟に会えるから!」
『わかったって! もう寝て!』
 今日のところはわたしが勝利したようだった。これだけ言ってしまえば、しばらくはルナから話しかけてくることはないだろう。
 わたしは重い体を引きずるようにして洗面所へ向かった。




⑩へつづく


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