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中年ラブ・ストーリー(前編)

「あっちゃん。それでどうするの、結局」
三原さんはさっきから私に同じ質問ばかりしている。相当酔っぱらっているのだ。
「んー。だから、まだ誘われたわけじゃないけど、誘われたなら行こうかな、とは思ってますよ。せっかくだから」
「せっかくだから?」
「だって。そうそうない機会だから」
「そうそうない機会?好きでもない男と寝ること?」
やっぱり。相当酔っている。
「私、そんなこと一言も言ってないですよ?もう、寝るだなんてそんな……。クリスマスデートの話でしょう。おじさんとおばさんの、爽やかなクリスマスデート。いけませんか?」
自分で言ってて変な感じ。おじさんとおばさんのクリスマスデートって。
「独身のおじさんとおばさんがクリスマスにデートして爽やかに終わったら逆に気持ち悪いでしょう」
「どういうことですか」
三原さんたら。発想が下品な人なんだ。いくらだって爽やかに終わらせられるのが大人ってことでしょう?
「甘いよ……あっちゃん……」
三原さんの大きなため息は向かいに座っている私の顔面を直撃した。
「うわっ。三原さん、お酒臭すぎる。そんなんで帰って怒られませんか?ご主人に」
「いいのいいの。そんなことでうるさく言わないよ、あの人。そもそも私に興味無いでしょ、とっくに」
顔が笑っていなくて怖い。私、地雷を踏んでしまったかしら。
「また、相談に乗ってくださいね。今日のところは帰りましょう。私タクシー呼びますから」
私が立ち上がると、三原さんは私の腕にぶら下がるようにして動きを阻止してきた。
「ねぇ、何か進展があったら教えて?ほんと言うと私、すっごく聞きたいの。あっちゃんの恋バナ。大人の恋バナ。純粋な恋物語。飢えてるのよ、あたし……」
三原さんは目をぎゅっと瞑ってそんなことを言っている。思いが強いと言うよりは、眠くて目を再び開けられなくなったのだろう。
「わかりました。私も三原さんにアドバイス貰いたいですから。また、ちゃんと連絡しますから。ね?」
腕に絡みついた三原さんの手を優しく解いてソファに体を沈めさせると急いで二、三歩離れた。三原さんは目を瞑ったまま、私のいない所で「うん。うん。絶対だよ」と呟いていた。

翌日。休日の朝なのに、いや、休日の朝だからか、7時ぴったりに彼からメッセージが届いていた。私は8時に一度トイレに目を覚ましメッセージを確認したものの、昨夜の帰宅が遅かったこともあり、まだまだ寝るつもりだった。
「おはようございます」
彼からのメッセージは一言だった。挨拶だけのメッセージへの返信というのはなかなか困るものだ。
「おはようございます。今起きました。克也さんは今日も早起きですね」
私はベッドに再び横になり、片目だけを薄く開けてスマホの眩しさから目を守っていた。
「今日の夜、もしお時間が合えばお食事でもいかがですか」
返事は直ぐに返ってきたが、彼が私の言葉をスルーする力は見事だ。本題にさっさと移る潔さも兼ね備えている。
「あいにく、やることが山積みなんです。それに加え、昨晩は友人としこたま飲みまして二日酔いもしています。今日はできるだけぐーたらして、夕方になったら駅前のユニクロに行って下着を買い揃えます。それから日高屋に寄って、一杯やりながらラーメンでも食べて早寝するつもりです」
こんな文面を思いついたが、当然打たなかった。
「ごめんなさい。今日はちょっと用事があって。明日でしたら御一緒できるのですが」
短くそう打ってから、最後に泣いている顔文字なんていれてみる。

約束は日曜の夕方五時、渋谷に決まった。
「今日は渋谷で五時~♪」
そんなに気分が乗っているわけではないのに、懐かしい歌を口ずさんでしまう。
昨日買ったばかりのユニクロの下着を出して値札を切り離す。シンプルなデザインで、デート向きかと問われたら迷う。だけど、別に何かあるわけではないのだし。
シャワーを浴びて、脱衣所に置いておいた新品の下着を身につけた。悪くない。ミントブルーの明るい色を選んでみたのは挑戦だが、色の白い私には似合っている。去年から、お腹をすっぽり隠すデザインのショーツに変えた。一度これを履き始めたら、もうヒップハングには戻れない。私は深めのショーツを履く女なのだと自分にも他人にも言い聞かせて生きていきたい。
体全体にWELEDAのオイルを塗った。友人が誕生日にくれたもので、なかなか値段のするものだと知って、大事な時にだけ使っている。手に余ったオイルを濡れた髪の毛先につけた。これだけでいい感じに仕上がるのはくせ毛のボブヘアのいい所。
着替えを済ませて顔にパックを貼った。美容液を染み込ませる間にできることをと考えて、友人のなつに電話をすることにした。
「もしもーし」
なつはいつも反応が早くて助かる。
「ああ、なつ。今大丈夫?15分くらい」
「うん。平気平気。どした?」
相変わらずせっかちな喋り方のなつ。私とは真逆の話し方をする。
「今日ね、あの例の人と食事に行くのよ」
「え!あのパン教室で出会った人?何回目?えっ、もう、付き合ってる?」
「ふふふ。なんで。まだ2回目だし、付き合ってないわよ」
「そーなの?で?今日はなに?また向こうから?付き合うんじゃない?そろそろ」
「そろそろって。何か決まりでもあるの?大人の恋愛って。ねぇ、私こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、ほんとに大人の恋愛のルールがよくわからないのよ」
へ?と変な声を出したなつは大声で笑った。
「ルール?逆にルールがないのが大人の恋愛なんじゃないのぉ?面白いなぁ、あつこは」
何故かなつは喜んでいる。私はパン教室で出会った冴えない男とデートを重ねた先に恋愛が待っているとは思えないでいる。
「ルールはないのね。逆にうっとおしい」
「あつこ、そんなこと言わないで楽しんできたらいいじゃない。セクシーな下着でもつけて、たまには自分から誘ってみたら?」
「よしてよ。そんなタイプじゃないの知ってるでしょ。そんな肉食系なら、もう少し早く相手がいたと思うわよ」
「相変わらずのんびりしてるわね、あつこ。それならなぜデートするのよ」
そこなのよね、とため息が出る。恋愛に奥手な上に、少し面倒な気さえするのに、久々にデートをする相手ができたことは素直に嬉しいのだ。だからといって、深い関係になりたいかと言われれば複雑な気持ちがする。なんたって、今の独り身の生活が苦ではないのだから。むしろこのマイペースな生活が崩れることを望んでいない。
「なんでデートするの、かあ。そうよね。
こんなに中途半端な気持ちで良くないわね。今日で確かめてくるわ。自分自身の気持ちを」
「もう、あつこは真面目なんだから。いいのよそんなもん、適当で。流れに任せて、楽しんできてよ。相手が迫ってきたら……受けちゃえって」
受けちゃえってなによ、と笑いながら、そんな強引なことをするタイプではない彼の顔を思い浮かべて、不思議と気持ちがリラックスしてきた。私は今さら恋愛に熱をあげることが怖いのかもしれないな、と思う。

グレーのコートに、中はベージュのワンピースを着た。寒かったのでタイツとブーツも欠かせない。肩にかけたショルダーバッグはやや年季が入っているが、使いやすいことがベストなのだ。
夕方五時に井の頭線の改札を出たところで待ち合わせをしている。少し早めに着いてトイレを済ませ、壁に沿うように立った。相変わらず人の多い渋谷の駅で、行き交う人を眺めて少し酔いそうになった。
「あつこさん、お待たせしました」
五時ぴったり。同じくグレーのコートを着た克也さんが片手を上げて近づいて来た。
「あら、お揃い」ふふっと笑ってしまう。
「ああ、僕はグレーとか黒とか、そんなのばっかり着てます。無難でしょ」彼ははにかんでいた。
「私はシンプルな服装の男性、いいと思いますよ。私自身もシンプルですし」
無難すぎる私たちのファッションに関する話はこの辺で切り上げ、早速2人で渋谷の街を歩く。
「渋谷で待ち合わせは意外でした。克也さんはもっと落ち着いた街を選ぶんじゃないかと思っていたので。前回お会いした時は下町でしたし」
「いや、こんなに混んでいる日に渋谷を歩かせて申し訳ない。ただ、すごく美味しいおでんを出す呑み屋があって。御一緒したかったんです」
「あら、それは楽しみです。私日本酒も大好きなので」
「ああ、そうですか。僕は芋焼酎を合わせるんですけどね」
あら。そこは一緒に、ではないのね。自由な人。

ガラガラガラ
風情あるお店の戸を、なかなかの勢いで開ける彼はよっぽど通い慣れているのか。もう少し静かに開けたら?なんて声をかけたくなった。
「2名様ですか。ご予約は……」
「してないです」
あら、してないんだ。
「そうですか。今日はテーブルが予約で埋まっておりまして、カウンターになりますがよろしいですか」
「はい、構いません」
いいか悪いか、私には聞かないの?
頭の中でぶつくさ言っている私をよそに、さっさと入口近くのカウンターに腰を下ろす克也さんが私のために椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
ま、気楽なデートだし。こういうのも嫌いではないわ。私だって随分とずぼらな人間なのだから、人に求めすぎる方が間違っている。
荷物を足元のカゴに入れ、カウンターの椅子にかける。すぐさまおしぼりとお通しが運ばれてきた。飲み物のメニューを見ていた克也さんが私に言う。
「今日はあつこさんと日本酒を呑もうかな」
「あら、いいの?芋焼酎がお好きなんでしょ?」
「今日はデートですから」
大真面目に言っている。ちゃんとこの人、デートのつもりだったんだ、と今更感心してしまった。
40半ばを過ぎた男女が、今日はデートだものね、なんて確かめ合いながらおでんをつつくなんて楽しいじゃない。私は急に気分があがってきた。




(つづく)



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