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短編小説 | Message~私はあなたを許す~

どこかの、やさしい、だれかは
わかっているよ。

あなたが、こどもをあいせなくて
くるしんだこと。
そのことを、だれにも、うちあけられずに
くるしんだこと。

こどもから、にげるように
トイレにこもったこと。
SNSにいぞんして、げんじつから
にげていたこと。

ゆうがた、なきさけぶ、こどものこえに
みみをふさいで、ないたこと。

こどもの、ねがおに
なきながらあやまった、ひび。

どこかの、だれかは
そんなあなたを

ゆるしてくれるって。



 「お父さんとお母さん、ちょっと出かけてくるけど、大丈夫?」
 わたしが声をかけると、子どもたちはテレビ画面に釘付けのまま、いいよと口々に言った。
 小学校高学年の長男を筆頭に、わたしには三人の子供がいる。パートに、育児にと忙しいわたしと、土曜日だけが休みの夫は、子どもたちがテレビゲームをしている間に、二人だけの時間を過ごすことにしている。それは、つい数ヶ月前から始めたことで、今となっては毎週恒例になった。
 長男が高学年になり、末の子供も小学校へあがった。互いの親の協力の一切もなく子育てをしてきたわたしと夫が、二人きりで時間を過ごすことは、実に十年ぶりだった。
 長男が生まれるその日、散歩がてら行った喫茶店が、十年前の最後のデートだったと記憶している。

 子どもたちに早めの昼食を食べさせ、家をでた。
閑静な住宅街には人が住むばかりで、商店などは少ない。わたしと夫は十五分ほど歩いたところにあるファミリーレストランを目指した。

 話しながら、ゆっくりと二人で歩いていく。初めのうち、十年ぶりの夫とのデートはぎこちなかった。いつでも三人の子どもたちが周りにいて、走ったり転んだり、喧嘩をしたりしていた状況から、急に二人だけになった時間を持て余した。わたしたちは、子どもたちが小さかった頃は、一緒にいても互いの顔を見る余裕もなかった。いつもわたしは怒っていて、疲れていて、泣きたかった。時間があれば独りになりたかったし、なによりも眠りたかった。
 わたしたちは段々と、こころの距離が出来ていることを感じてはいたが、目の前のことに必死で、外に助けを求める事もできず、多くのくるしい時間を過ごした。そんな私たちが、会話こそ多くはないが、今はのんびりと二人だけのペースで歩くことができている。

 ちょうど昼時のレストランは混み合っていた。それでも、タイミングが良かったのか、わたしたちはすぐに席に案内された。
 休日のファミリーレストランは、小さな子どもを連れた家族がたくさんいて賑わっていた。わたしたちだって、普段はそちら側の人間だというのに、どこか自分とは無関係のことのように賑わうフロアを眺めた。
 わがままを言って親に注意される子どもの様子や、なんども席を立つ子どもを座らせるのに必死な親の様子。泣いている子もいれば、不機嫌な親の声も聞こえる。

以前どこかで聞いた話で、母親になった女性というのは、子どもの世話をするため、わが子の泣き声がひとより不快に聞こえるようになるのだと言っていた。その情報が確かであるのか、実際のところはわからないが、どんなにフロアが子どもの声で溢れていても、わが子が側にいないわたしは、たしかに、幼い彼らの声が少しも気にならなかった。
 「ねえ、不思議だけどさ、こどもがたくさん来てるのに、全くうるさく感じないよね」
 わたしが夫にそう言うと、夫は、そもそも子どもの存在に気づいてすらいなかったような顔をした。そして「うちの子どもたちに比べたら誰もうるさくはないよ。うちの子どもたちほど賑やかな子どもは、そうそういないからな」と言って笑った。

 わたしと夫が食事の注文を済ませて落ち着いたころ、一組の親子が私たちの隣の席にやってきた。若いお母さんと、小さな男の子だった。男の子は、はっきり言葉を話していなかったところをみると二歳くらいなのだろう。席につく前から声をあげて泣いていた。若い母親はというと、明らかに苛立っているようだった。
 四人がけのソファー席の窓側に、泣き止まない息子を押し込んで、母親はメニューを開いたようだ。わたしたちと親子の席は、隣同士であっても、互いの様子が見えない席の造りになっている。
 わたしの、ちょうど背後に親子がいた。
 席についてもいっこうに泣き止まず、なにかを訴え続ける幼子の泣き声に被せるように、母親が声を荒げて言った。
 「うるさい、泣くな。うるさいのきらいだって言ってんだろ」
母親がそう言ったのと同時に、軽く叩くような音が響いた。
フロア全体に聞こえているわけではないが、わたしと夫にははっきりと、親子のやり取りの様子がうかがえる。わたしと夫は無言で目を合わせた。わたしは、自分の鼓動がはやくなるのを感じていた。

 やがて親子は注文を済ませると、飲み物をとりに席を離れた。それまで無言でいたわたしと夫は、同時に息を吐き出した。親子の、特に母親のいらいらが、席の仕切りを越えて私に直接伝わってくるような時間を過ごしていた。わたしは、既視感のある状況を目の当たりにして、動揺していた。
 「かわいそう……どっちも」
 わたしは思わず、そう漏らしていた。夫はだまって頷いている。
 まるでこの状況は、長男が二歳未満のころの自分たちを見ているようだった。わたしは、この若い母親に、ある日の自分を重ねていた。
 なかなか思うようにならない初めての育児にこころが疲弊し、睡眠時間を奪われ、まったく余裕のない状態で息子に接していた頃を思い出していた。笑わない息子。なぜ息子は、同じ年のころの他の子どものように、かわいく笑ってくれないのかと、焦り、苛立った自分の顔こそ、まったく笑顔のない寂しい顔をしていたのだ。そんなことにも、当時は気づく余裕がなかった。

 「千絵だったらどうしてた?」夫の問いに、意識を現実に戻した。
 「はやく、なにか食べさせるしかないよ。あの子は、お腹が空いて泣いているんだろうから」

 そのあと、飲み物を手に席に戻ってきた親子とわたしたち夫婦には、それぞれに食事が運ばれてきた。ジュースを飲み、食べるものを与えられてからの男の子は泣きやみ、静かだった。たまにカチャカチャと食器で音を立てる男の子にきつめに注意する母親は、先ほどよりは落ち着いたようだが、やはりストレスを感じている様子だった。
 食事の時間だけでも、男の子を預かってあげたい。わたしはそう思った。
この若いお母さんに、一人でゆっくり食事をする時間をつくってあげたい。温かいものを温かいうちに食べる時間をあげたい。そんなことを思いながらも、わたしは何か行動に移すことをせず、静かになった親子の無言の食事を背中に感じていた。

 帰り道、夫と久しぶりに手を繋いで歩いた。互いに思うところがあったのか、無言ではあったが、なにか通じ合うものがあった。
 この日は天気もよく、暖かかった。公園で遊ぶ子どもたちを見て、わが家の、ゲームに夢中になっているであろう三人の子どもたちを思った。
 「このあとは子どもたちを連れて、公園にでも行ってよ」
 わたしは夫に言った。
 「千絵は?こないの?」
 夫はわかりきった答えを今日も聞きたがっている。
 「行くわけないでしょう。わたしはあなたのいない週六日間、子どもたちにつきっきりなの。たまには独りの時間をちょうだいよ。でないとわたし、ストレスで頭がおかしくなるわ」
 わたしは冗談ぽく、しかし本音をぶつける。わたしはこのセリフを、今では笑いながら言うことが出来ている。大きく鼻から息を吸って、ゆっくりと吐く。かつて涙を流しながらさんざん夫に訴えたこのセリフを、今では穏やかな気持で伝えることが出来ていた。

 夕方、外でめいっぱい遊んで帰ってきた子どもたちを、夫が風呂に誘う。温かい風呂に浸かりながら夫と過ごす時間を子どもたちは楽しみにしているから、誰ひとり文句を言うこともなく、賑やかに脱衣所へと向かった。わたしはキッチンに立ち、ふと、昼間に会った親子のことを思い出した。
 親子に会ったのは十二時過ぎだった。私たちの方が先に店を出たとはいえ、せいぜい彼らも十三時過ぎには店をあとにしたのだろう。
それからの時間を、あの親子はどう過ごしただろう。

 あの若い母親は言葉遣いが荒かった。しかし周りをとても気にしていた。わたしは近くにいたから、あの母親が周りを気にして必死に子どもを静かにさせようとしていた空気を感じていた。
今はどんなところでも子どもが泣くことを寛容に受け入れない人が多い。そんな中、唯一子連れで入ることができるファミリーレストランでも、わが子が泣いていては気が休まらなかっただろう。

 今日は暖かく、晴れて天気が良かった。母親は泣き止んだ男の子を連れて、近くの公園にでも行っただろうか。二歳前の子どもであれば付きっきりで遊んであげなければならない。何度も一緒に滑り台を滑って、ブランコを押して、砂場あそびに付き合ったのだろうか。
 何度も転んで、ひたすら汚れた帰り道、急に眠たくなった子どもが、またぐずって泣き出したり、帰りたくないと言い出して困ったのではないだろうか。それをなんとかなだめて、抱っこをして家路を急ぐ。いつしか寝てしまった子どもの重さは、男性であってもなかなかしんどい重さになる。まして小柄なあのお母さんだ。背負ってきたリュックと子どもの重みで肩も腰も腕も相当疲れたに違いない。

 家に帰ればすぐにお風呂に入れなければならない。中途半端に寝て起こされた子どもの機嫌は悪い。それでもなんとか、汚れた体を洗うため、風呂に入れる。子どもと自分の体を洗ったら、ゆっくりお湯に浸かることなく風呂から上がり、今度は夕飯の支度だ。
 子ども番組をテレビで流し、子どもが集中している間に料理をする。その間も何度か子どもの要望に答えながら簡単な調理をすませる。
 出来上がった料理を食卓に並べ、子どもを席につかせる。せっかく風呂できれいにした顔周りを大胆に汚しながら食べる子どもを見守り、手伝い、時間を掛けて食事をさせる。食べたくないという子どもに、ある程度まではなんとか食べさせようと必死になる。気づけば、自分の食事は終わっている。子どもを見ながら食べた食事に味など感じることはなく、ただかき込んだに過ぎない。ふと、久しく自分の食べたいものを食べていないことに気づく。辛いものを好きだった自分が、ラーメンを好きだった自分が、カフェ巡りが趣味だった自分が、そんな自分が本当に過去に存在したのかと思うくらい、遠くに感じてしまう。

 そうこうしているうちに、あっという間に寝る時間はやってくる。子どもの歯を磨き、布団に入って絵本の読み聞かせをする。たくさん公園で遊んだからか、子どもはすぐに眠りに付いた。その横で、同じ時間公園で過ごした母もうたた寝を始める。完全に寝落ちしたと気づいたのは、子どもの泣き声で目覚めたときだ。公園で遊ばせすぎてしまったらしい。子どもは興奮して、夜中に何度も起きては泣いた。夕食の皿洗い、洗濯物を畳むことを翌日に回すことにして、体力の続く限り子どもの夜泣きに付き合う。そうして全く寝た気がしないうちに夜は明けて、朝になり、また同じような一日が始まる。
 昨日も、その前の日も、まともに人と会話をしなかった。

 親子に関する勝手な想像は、いつしか自分の過去の記憶となり、長男と過ごした日々の回想となっていた。子育てをしている人であれば多少は想像のつくことでも、その人の背景にどんなことが起きているかなんて、真実は誰にもわからない。

 長男の子育てに必死だったころ、友人から久々にメッセージが届いた。
その頃、知り合いのいない土地で孤独に子育てをしていたわたしにとって、メッセージでのやりとりですら、唯一、言葉の通じる大人と会話できる有り難い機会だった。
学生時代からの友人は、わたしが出産する前は五時間もバスに乗って会いに来てくれるようなこころ許せる人だった。
 「久しぶり」からの会話だっただろうか。子どもが生まれてから、報告を兼ねて何度かメッセージを交わしていたものの、それから間が空いたこともあり、友人の近況を尋ねた。
 彼氏のこと、転職したこと、旅行に行ったこと。いくらでも話題に事欠かない友人の話を、その時はただただ聞いて楽しんでいた。
 しかし、その後友人から言われた何気ない一言が、妙に粘っこく、今でもこころにこびりついて離れない。
 「ねえ、千絵は毎日、なにしてんの?」
 本当に何気ない、近況報告をし合う会話の中の一言だ。わたしはこのとき、友人からの問いになんと答えたか覚えていない。ただ、とても衝撃を受けたことを覚えている。
 わたしは毎日、家事と育児をしている。完璧ではない状態だが、なんとか毎日、幼い息子と二人で多くの時間を過ごしている。
 こんなにも体力をつかい、ときにこころをすり減らしながら、小さな命を守るために必死で毎日を過ごしているのに、それを言葉にすることはとても難しかった。

わたしは、まいにち、なにをしているのだろう。

 友人とのメッセージのやり取りがあってから、わたしはさらに日々の暮らしに虚しさを募らせていった。
 目の前にいる幼い子供の成長は著しく、瑞々しい生命力に満ちている。それなのに、喜びよりも不満が勝り、悲しみにさえ襲われることがあった。子どもへの苛立ちを感じるたびに、自分の醜さを思い知る。こんな感情が自分に潜んでいた事を知り、絶望する。
子どもが出来て、無事に生まれて、すべて順調なんて人はいない。だけど、そんなこと、若かったわたしは知らなかったのだ。わたしが子育てに向かない人間だったなんて、少しも信じられないことだった。

 そんなとき、あるSNSで見かけた、障害児を持つ母親の投稿に目が止まった。
 「私はあなたを許す」

 わたしは食い入るように文章を目で追った。


 わたしは投稿を遡り、彼女のことばを夢中で読んだ。
 わたしとは比べ物にならないくらい大変な育児のさ中、彼女は仲間たちに呼びかけてくれる。

 私はあなたを許す。




 風呂からあがった子どもたちの賑やかな声がする。夫が笑いながら彼らを追いかけていた。
 わたしが今立っているキッチンは、わたしが作業をしやすいようにいつも整っている。洗い物がたまることもなく、途中、一息つくための椅子もある。
 キッチン栽培をしようと買ったハーブは残念ながら上手くいかなかったが、子供たちと選んだ小さなサボテンはまだまだ元気だった。

 わたしはあのとき、見ず知らずの人のことばに救われたのだ。見ず知らずの人は、わたしの状況をわかってくれた。そして、ゆるしてくれた。

 子どもを愛せない時間があること。
 声を荒げて、ときに激しい感情をぶつけてしまうこと。
 人生を悲観すること。
 誰とも会話せず一日が終わること。

 わたしが許したくなかったことを全てゆるして、味方になってくれたのだ。
 それでも実際は、わたしはいつまでたっても自分を許さなかった。子どもにつらく当たった日々を許してなるものかと、心の中では自分の醜さをずっと憎んできた。

 だけど今、わたしは、あの若い母親が自分をゆるしてあげられる日がくるといいと思った。頑張った自分を、もっとゆるしてあげて欲しいと、こころから願った。そのために、わたしは今まで許してこなかった自分のことを、今こそ許すべきなのだと思った。

 わたしは、わたしを許す。
 これからの自分のために。

 許されず苦しんでいる仲間のために。
 わたしが、わたしを許す。


 子供部屋から漏れてくる声が一層賑やかになった。
 長男の、声変わりしそうな不安定な笑い声が響いてきて、わたしはキッチンでひとり、微笑んでいた。







[完]


この物語は、やっちんさんが投稿された文章を読んだことをきっかけに創作しました

やっちんさんに許可をいただき、Xの投稿のリンクを貼っています。


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