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神秘学講義/高橋巖【読書ノート】

シュタイナー研究の第一人者による「神秘学」入門の名講義、初文庫化!
予感や憧れといった情動の根源は一体どこにあるのか。魂の故郷を現実世界を超えた場所にあるとみなす神秘学。理性と感性を融合させた学問に向き合い、人間を霊・魂・体の存在として捉え直す著者の言葉は、極端に外面化された現代の私たちに新たな視点を投げかける。ゲーテ、ニーチェ、フロイト、ユングへと連なるヨーロッパ精神史を辿りながら、シュタイナーの実践的秘儀を紹介。ユングの章を増補した完全版。
解説・若松英輔
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もし魂がもっぱら表象と判断だけの生活を続け、知覚を働かせる機会が少なくなると、その魂はだんだん枯渇し、弱くなっていく。
なぜかというと、判断というのは、ある客観的な結論だけで終わるのだから、その結論に魂が自分を無にして従わなければ、判断にならないわけです。
何らかの意味で表象活動をする場合、数学の問題を解いたり、人文科学系の思想書を一生懸命読んでいる場合、その人間の魂の営みは、いつもなにか別なものに奉仕するというかたちをとりますから、神経組織は活発に働くかわりに、新陳代謝や性的本能はそれによって弱まっていくわけです。
思考作業は我々の生命活動から言うと、死へのプロセスであり、それに対して情動作用は、知られざる無意識の深みから意識の方にあらわれてくる生へのプロセスなのです。しかしこの営みは、判断が客観的であるのに対して、主観的です。そういう矛盾した二つの精神の営みを持っていることになる。しかしこの二つは、或る別な第三の精神の営みによって統一されることができます。
それは情動作用がいったん知覚の門にぶつかって、そしてもどるときに、同時に判断が、客観的な判断が働いているような場合、しかもそのとき情動も満足をもって終わるような場合です。
それは美的体験、芸術体験の場合です。芸術体験が生活体験に対してもっている意味というのは、そういうところにあって、それは情動の低さを基本としながら、同時に表象と判断をいつも伴っているために、客観的な結論と情動の満足とが同時にあらわれうる唯一の魂の営みなのです。
それ以外の場合には、一方では自分を客観的にする表象活動ばかりすることによって、たとえば偉大な学者になったり、社会人として立派な仕事をしたりはできるかもしれないけれども、当然その立派な仕事をすることの代償として、自分の内面生活をだんだん荒廃させていきます。
一方そういうことを一切せず、社会から眼をそむけ、自分の満足だけを追求していくと、今度は自分自身が社会的な営みをもてない為、良心の呵責を絶えず背負っていなければならなくなる。
この両方の均衡をとることが生活の知恵になるが、それは特に、美的判断を働かせることによって可能になる。
したがって美的判断は、神秘学にとって一つの基本的な意味をもつようになります。芸術をやっている人は、神秘学に対して非常に感受性がゆたかになっているのです。

[神秘学講講義/高橋厳]

外面的世界=思考活動(表現と判断) 内面的世界=情動活動(知覚を働かせる場) 思考⇒生命活動としては「死へのプロセス」(進行過程) 情動⇒無意識よりの誕生の故を以て、生への過程 相反する精神活動の統一⇒魂(一種のエネルギー体) 第三の精神の営みとしての『美的体験』

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