中期中観派と後期中観派
ディグナーカ・ダルマキールティ・シャーンタラクシタ
中期中観派は、ナーガールジュナの思想を論理学や認識論を通じて強力に弁護しようとした仏教の学派である。ナーガールジュナの主張は、すべての現象が「空」であり、本質的な実体を持たないというものである。この難解な思想を他者に納得させるため、中期中観派の僧侶たちは高度な論理学と認識論を駆使し、彼の教えを理論的に説明し、正当性を主張した。
しかし、後期中観派になると、論理学と認識論だけではナーガールジュナの思想を完全に支えることが困難であることが明らかになった。論理的な裏付けが頓挫し、論証の限界が露呈したのである。このため、後期中観派は新たな方向性を模索することになった。後期中観派は、従来の中観派の方法論を超えて、仏教全体の教義を総合する新たな哲学体系を打ち立てようとした。これは、過去の様々な仏教の部派の教えを取り入れ、一つの包括的な哲学を構築する試みであった。この総合的アプローチにより、後期中観派はナーガールジュナの「空」の思想をより広範な視点から再評価し、全体的な仏教哲学として再構築しようとしたのである。
このように、中期中観派と後期中観派は、それぞれの時代背景と課題に応じてナーガールジュナの思想を解釈し、発展させていった。中期中観派は論理学と認識論を駆使してその正当性を証明しようとした一方、後期中観派は仏教全体の教えを総合することで、より包括的な哲学体系を目指したのである。
中観派の認識は、どんな命題も成り立たないというものである。
命題とは、数学的に言うと、ある文章が真であるか偽であるかが確定するものである。数学の命題は必ず真か偽が確定するものとして捉えられているが、これは数学の話であって、中観派は、あらゆる命題は成立しないと考えている。表現を変えると命題が真にも偽にも同時になり得るということだ。
背理法
背理法とは、ある命題が正しいことを証明するために、その命題が正しくないと仮定し、その仮定から矛盾が生じることを示すことで、元の命題が正しいことを証明する方法である。
中論の諸問題
後期中観派
中観の「空」は、単に「有」の反対である「無」や、「知」の反対である「無知」といった意味ではない。『般若経』ではこれを「清く輝く心」と表現し、ラトナーも「光り輝く心」と呼んでいる。一方で、ナーガールジュナやシャーンタラクシタは、この「空」が人間の言語や思考、つまり一般的な表現を超越していることを強調している。彼らはこれを「無顕現」とも呼んでいる。表現の仕方は異なるが、ヨーガを通じて到達する究極の境地が「最高の真実」であることには変わりはない。この境地は直観としては「有」や「無」を超えたものであり、反省的に見ると「空」や「光り輝く心」として表現されるに過ぎない。言葉の違いがあるだけで、その真実自体に違いはない。
ヨーガの階梯
参考文献
仏教の基礎知識シリーズ一覧
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