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中観派の分裂/大乗仏教【仏教の基礎知識14】


中期中観派と後期中観派

ディグナーカ・ダルマキールティ・シャーンタラクシタ

インド仏教の思想史において6-7世紀という時代は独特な意味をもっている。一言でいえばこれは知識論の時代であった。とくにディグナーカ(陳那、480-540)とダルマキールティ(法称、600-660)が出て、認識論論理学とを飛躍的に発展させた。この二人の仏教哲学者に対する時代的な先後、またこの二人の理論への反応の仕方の相違が中期中観派と後期中観派とをはっきりと区別することになるのである。
シャーンタラクシタ(725-788)に始まる後期中観派はダルマキールティの認識論の影響を決定的に受けた。その結果、後期中観派は中観派と唯識派との総合学派となる。それは中観哲学の中に、ナーガールジュナには見られなかった異質の要素を導入したことでもある。このような後期中観派に比較すると、中期中観派は第一に、認識論に無関心な、そしてもっぱら唯識派と対決しようとした中観派である。第二に、中期中観派は新思想を創設するよりも、初期中観を論証する方法論に力を注ぎながらも、全体としてはその注釈者、解釈者にとどまった、といえる。(p118)

中期中観派は、ナーガールジュナの思想を論理学や認識論を通じて強力に弁護しようとした仏教の学派である。ナーガールジュナの主張は、すべての現象が「空」であり、本質的な実体を持たないというものである。この難解な思想を他者に納得させるため、中期中観派の僧侶たちは高度な論理学と認識論を駆使し、彼の教えを理論的に説明し、正当性を主張した。
しかし、後期中観派になると、論理学と認識論だけではナーガールジュナの思想を完全に支えることが困難であることが明らかになった。論理的な裏付けが頓挫し、論証の限界が露呈したのである。このため、後期中観派は新たな方向性を模索することになった。後期中観派は、従来の中観派の方法論を超えて、仏教全体の教義を総合する新たな哲学体系を打ち立てようとした。これは、過去の様々な仏教の部派の教えを取り入れ、一つの包括的な哲学を構築する試みであった。この総合的アプローチにより、後期中観派はナーガールジュナの「空」の思想をより広範な視点から再評価し、全体的な仏教哲学として再構築しようとしたのである。
このように、中期中観派と後期中観派は、それぞれの時代背景と課題に応じてナーガールジュナの思想を解釈し、発展させていった。中期中観派は論理学と認識論を駆使してその正当性を証明しようとした一方、後期中観派は仏教全体の教えを総合することで、より包括的な哲学体系を目指したのである。

中観派の認識は、どんな命題も成り立たないというものである。
命題とは、数学的に言うと、ある文章が真であるか偽であるかが確定するものである。数学の命題は必ず真か偽が確定するものとして捉えられているが、これは数学の話であって、中観派は、あらゆる命題は成立しないと考えている。表現を変えると命題が真にも偽にも同時になり得るということだ。

背理法

帰謬論証派と自立論証派
帰謬論証派という名称は帰謬法(背理法)を用いる学派という意味であり、自立論証派とは定言的論証を用いる学派ということである。帰謬が間接的論証であるのに対して、定言的論証は直接的・自立的である。この二つの学派名はブッダパーリタ、チャンドラキールティまたはバヴィヤなどがみずから名づけたものではなくて、後世、それらおそらくはチベット人がインド仏教の諸学派を整理して理解しようとしたときに作られたものであろう。
帰謬法の原理
インドのニヤーヤ学派や仏教論理学で用いられた帰謬法は西洋論理学におけるものと原理を等しくしている。ある立言Aが真であることを証明したいとき、まずAが偽であること、言い換えれば非Aを仮定し、この仮定から不合理な結論――明らかに偽であることが知られていたり、自己矛盾的である結論を演繹する。偽なる結論が非Aという仮定から妥当に論証されるのだから、この非Aという仮定は偽であったはずである。非Aが偽であるから、最初に証明したかったAが真であることが決定される。

「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻/春秋社

背理法とは、ある命題が正しいことを証明するために、その命題が正しくないと仮定し、その仮定から矛盾が生じることを示すことで、元の命題が正しいことを証明する方法である。

中論の諸問題

中観思想とインド論理学
ナ―ガールジュナはニヤーヤ学派の成立とほぼ同じ時代に生きたのであるが、彼の論理は、インド論理学の伝統とは異質なものである。ディレンマや四句否定は伝統的なインド論理学では推理として認められなかっただけでなく、表記の方法すらなかった。
それはともかく、ナ―ガールジュナの論理がインドの論理学――ニヤーヤ学派やディグナーガの論理学で裏付けることのできない異質なものであったということは、5世紀以後の中観学者にとってはかなり困ったことになってきた。当時のインドは論理学と認識論が哲学の主流となってきた時代であったので、中観派も、自己の哲学を主張するためにも、他派と論争するためにも、その教義を論理的に発表しなくてはならなかった。なんらかの工夫がなされないことには、中観派は一つの哲学派として存在しえないことになった。
『中論』解釈の諸問題
ナ―ガールジュナの論理を定言論証式に書き換えるというバヴィヤの努力は、帰謬法を武器としたブッダパーリタの努力ともども不成功に終わってしまった。ナ―ガールジュナの本体の論理は現象の論理で書くことのできないものである。後者の立場で理解しようとすれば、ナ―ガールジュナの論理そのものも誤謬であるといわねばならない。したがって「中論」の論理は形式論理によってではなく、これを弁証法として理解すべきものであろう。しかしインドや中国の仏教学者が「中論」を弁証法的に解釈することに努力し、成功したといえば嘘になる。その課題はむしろ現代の学者、仏教者に課せられていながら、いまだ十分に果たされていないものといわねばならない。
ブッダパーリタを弁護してバヴィヤを批判したチャンドラキールティは、形式的な帰謬法の確実性を回復したのではない。彼は帰謬ということばを論理の超越という意味に取っている。いわば、中観の論理的証明そのものを放棄し、その非論理性ないし超論理性を主張することによって、中観を主体の問題、実存の思想としてとらえようとした。しかしチャンドラキールティがそれに十分に成功したということはできない。むしろそのような方向は中国の禅家によって発展させられ、さらに今日の実存哲学者の学問的解明を要求しているのだというべきなのである。

「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻/春秋社

マイスター・エックハルトの4つの解釈

無である神について
パウロは地面から起き上がって目を開けたが何も見えなかった[使徒言行録:9章8節]
この言葉には四重の意味があると私には思われる
第一の意味は次のものである
彼は地面から起き上がって目を開けたが何も見えなかった(無を見た)
※エックハルトはこの無が神なのだという
第二の意味は、彼が起き上がった時その時に彼には神以外の何も見えなかった
第三は、全ての事物の中に彼は神以外の何も見なかった(全ての事物の中に神を見た)
第四は、彼が神を見た時その時彼は全ての事物をひとつの無として見た

後期中観派

後期中観派(瑜伽行中観派)
8世紀の末にチベットにおいてインドの中観学者カマラシーラと中国の禅者摩訶衍まかえん(マハーヤーナ。大乗和尚)との間に論争が行なわれたことは『ブトン仏教史』の記述などによって以前から知られていた。
チベット人は摩訶衍の一派を頓門派、カマラシーラの一派を漸門派と、きわめて的確に呼んでいる。
摩訶衍は中国の頓悟禅宗を代表していたのである。漸門派の態度は次のようなものである。慈善や戒律などの善根の蓄目の実践、小乗・大乗の諸学派の教義の学習、さらに善根のヨーガの方法として十地というような階梯、このような一般に修行の段階といえるものは、仮のものであって、悟りそのものにとって本質的ではない。
無想、無心、あるいは無思というようなことばで摩訶衍が表現するものの、一言でいえば、思惟からの脱却ーを達成すれば、悟りは一瞬に成就され、輪廻はそのまま涅槃である、と。
これは、後期中観派、特に瑜伽行中観派の成立と発展の一端を表すものであり、インド仏教とチベット仏教の間における思想的な交流と対立を示している。
これに対して、漸門派の方は、三乗の学習、六種のパーラミター、十地のヨーガの段階的修習という順序を経てはじめて空性の知は得られる、という。その階梯を無視して、ただちに輪廻が涅槃である、というのは誤りである。要するに、知恵というものは慈悲と方便を離れてあるものではない。そして慈悲と方便とは修行の階梯と必然的に結びつくものだ、と主張している。(p133-136)
このように、批判的精神を基軸として、慈悲と方便と知恵の同時的追求を説く後期中観派は、歴史的に存在した仏教の主要学派である説一切有部、経量部、唯識派の哲学を一定の順序で配列し、先に並べられたものを一つ一つ学習し、批判してしたいに後に並べられたものに進んでゆくことを、最高の立場である中観に至る方法と考えたのである。(p137)
偉大なるシャーンタラクシタ
シャーンタラクシタは仏教の四学派の哲学に順位をつけ、しかもそれぞれの哲学を最高の哲学である中観に昇り着くために必要な学習の段階として評価している。(p139)
『中観荘厳論』に展開されたシャーンタラクシタの哲学の階梯に関する理論を紹介する前に、比較的後代におけるインド仏教哲学の発展の素描をあらかじめ行なっておく。インド仏教はヴァスバンドゥ(世親。400-480頃)の活躍した5世紀ごろになると、説一切有部、経量部、中観派、唯識派という四大学派の教義と学派としての自立性が確立された。それ以後のインド仏教は各学派の相互批判、学派の分裂と総合化へ進む時代となる。(p140)
無形象知識論と有形象知識論
説一切有部の立場を説明したときに、この学派の区別の哲学においては、意識というものは照らすもので、見るものではないこと、意識は表象をもちえないことを述べた。私が書物を認識しているとき、書物の形象は外界にある書物という対象にあるのであって、知識そのものの中に書物の表象があるのではない。このような認識論をインドでは無形象知識論と呼ぶ。
これに対して経量部は、人が書物を見ているとき、その書物の形は、対象がその人の知識の中に与えた形象、つまり表象であって、外界の対象そのものではない。対象とは知識の中に表象を生ぜしめる原因であり、知識はその結果である。人は知識の原因として外界における対象の存在、厳密には、存在したことを推理することはできるけれども、対象そのものを知覚しているわけではない。外界の対象そのものはいわば不可知なXである。このような理論をインドでは有形象知識論と呼ぶ。(p141)
無形象唯識派と有形象唯識派
唯識派は、いわば、経量部が、知覚はされないが推理されるXとして残しておいた外界の存在を消去してしまって、世界を表象のみに還元してしまうのである。もしわれわれの認識しているものが表象であるならば、外界の存在は不必要である。現在の瞬間の認識の原因が必要であるというならば、それは外界にはではなくて、一瞬間前の認識に求めればよい。意識は瞬間ごとに生滅しながら、前刹那の意識が次刹那の意識の原因となって、絶えず相続してゆく流れである。認識の原因である種子は意識の中に蓄積され、生長しながら流れつづけ、時を得て認識の表象として顕現する。認識された世界以外に世界はないから、すべての存在は表象として説明できるわけである。
『般若経』の思想家たちが最高の真実を直観したときにそれを、すべての形やしるしを離れた「清く輝く心」として表現したことはすでに述べた。ナーガールジュナの直観も同質のものである。この系統では、心の本質を汚れのない明鏡のようなものと考え、そこに映る誤謬や迷妄をまじえた形象を偶然的な客塵とする。
同じ考え方は唯識派の内部にもあった。すべての存在は認識にほかならないとしても、われわれの認識には誤謬もある。貝を見て銀だと思い込み、縄を見て蛇とするような誤認はつねに経験されることである。もし一つの表象が他の表象によって否定されることがあるならば、それは表象一般が迷妄である可能性をもっていることを意味する。だから、表象は認識の本質と見ることはできない。表象、つまり認識の形はわれわれの思惟の所産であって、その思惟を離れた認識の本質そのものは、形を離れた照明そのものである、という。ヴァスバンドゥ、スティラマティなどの無形象唯識派といわれる人々はこの系統に属する。この系統の唯識派の考え方が、結果的には中観派にきわめて近くなることを注意しておこう。内容のない、清く光り輝く心とは空の境地とほとんど同じことになるからである。(p141-142)
唯識派の他の一派はそうは考えない。誤った表象があるとしても、それをただちに存在しないとすることはできない。本来存在しなかったものが表象という存在としてあらわれることはできない。矛盾や対立というものは二つのものが同時にあってこそなりたつ。時間を異にして生ずる二つの知覚の間に矛盾はないし、一方が他方を正すということもない。銀の知覚も貝の知覚も、知覚としては同じく正しいのであり、そのような形象を離れた認識そのものなどがあるわけはない、という。
人が迷っている、といわれるのは、その人が形象を見ているからではなくて、形象を思惟によって解釈するからである。その思惟の解釈を除けば、人は認識の形象を見ながら迷妄から解脱する。柳は緑、花は紅のままに悟っているのであって、形のない光り輝く心などが別にあるわけではない。このように考える唯識家を有形象唯識派と名づける。つまり無形象唯識派にとっては、表象は思惟と同じものであって、いずれも迷妄である。有形象唯識派にとっては、認識の表象とは、形象に思惟の加わったもので、そのうち、思惟は迷妄の原理であるが、形象は汚れのない認識の本質である。(p142-143)
シャーンタラクシタはすべての哲学体系を、心理的な世界と物質的な世界を共に実在とする二元論と、物質的な存在を否定して認識のみを実在とする一元論とに大別する。仏教の学派でいえば、説一切有部と経量部が二元論に、唯識派が一元論に属する。また彼は、二元論の体系を無形象知識論を説く有部と、有形象知識論の立場をとる経量部とに分ける。唯識派についても、後に出るように、有形象唯識派と無形象唯識派とが分かれる。(p144)
シャーンタラクシタは、有部も経量部も、有形象唯識派も無形象唯識派も、中観の批判に耐えることのできないことを示す。その批判の原理はただ一つ。すべてのものは単一性と複数性という矛盾する二つの性格をもつということである。すべてのものはそのために最高の真実として実在するといえない。物と同じように心も実在ではない。ここにいたって、ナーガールジュナのいったように、すべてのものが本体をもたず、空であるという中観の真理が確立されるのである。(p150-151)
ラトナーカラシャーンティ(略称ラトナーカラ)は10世紀後半から11世紀初頭にかけて活躍した学者で、この時代の無形象唯識派を代表するとともに、中観と唯識とが二つの異なった伝統ではなくて、一つのものであることをしきりに強調し、また両学派の理論を一致させることに努めた。
ラトナーカラが主として対決した唯識の分派は、認識の形象を実在とするものと、究極的には認識も外界の対象と同じように実在でないとするものである。前者は有形象唯識派であるが、これに対してラトナーカラは次のように論ずる。
世界のあらゆる現象はわれわれの認識の表象にすぎないが、この表象は青や赤という形象とそれを現象させる照明との二つからなっている。そのうち形象は無始以来の誤った印象から生じたもので、夢の中の知覚のように非実在である。その形象は認識の本質である照明作用に依らないで、ひとりであらわれるわけではないし、また、青の形象は誤りとして赤の形象によって訂正されることがある。形象一般は他の形象によって否定され、またそれ自身独立に顕現するのではないから、虚偽のものであることがわかる。けれども認識の照明作用そのものはつねに変わらず、つねに自覚される。だから形象は実在しないが、照明の実在性を疑うことはできない。(p156-157)
有形象論者はいう。青なら青という形象が照明されて顕現するならば、それは形象が照明と同一であり、同じように実在することである。そうでなければ、青が照明されるということ自体が成り立たない、と。有形象唯識派は、形象と思惟とを区別する。思惟は虚構であるが、それを離れた形象そのものは認識の本質として実在すると。ラトナーガラは、形象と思惟とを同一視して、ともに虚構であるとし、それを離れた照明そのものを認識の本質と考えている。この二つの立場の対立はインド仏教の最後まで解決されなかった。
唯識派の中には、すべてのものは認識の表象であって、外界の対象は存在しない。対象が存在しないから認識もまた存在しない、という形の理論があった。これは無形象唯識論の初期の一形態である。この理論を脱ぐ一派に対して、ラトナーカラは、その主観と客観との二つの契機を離れた照明そのものは認識の本質として実在する、という。もしそうでなければ、たとえば、聖者が形象の無という空性を直観しているときの真実の知と、暗黒にも喩えられる単なる知の欠如、無知との差別もできなくなる。(p158)
この時代、中観派は、唯識派に対する態度によって二派に分かれている。バヴィヤの跡を継ぐ経量中観派の系統は、一般的理解の立場では外界の対象と、内界としての心との両者を共に存在すると認め、最高の真実としては両者とも存在しない、という。
シャーンタラクシタなどの中観瑜伽派は、一般的理解の立場では、外界の存在を否定して心のみの存在を肯定する。けれども最高の真実としてはその心の実在性さえも否定する。
このような立場に対してラトナーカラは、たとい認識の形象は虚偽であるとしても、照明そのもの、つまり本質的な知としての最高の真実を存在しないと考えるべきではない、という。(p159)
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無顕現は照明そのものを越える、といわれているが、それは照明そのものを対象とすることを越えそれと一体となることである。照明そのもののほかに、それより高い立場が空である、というわけではない。照明そのものと一体となった立場が唯識の真理としての実在であり、中観の真理としての空性の知であるというのである。(p161)

後期中観派にいたって、シャーンタラクシタは最高の真実を心の形象や照明を越えた絶対的な空として表現した。他方、ラトナーカラは、最高の真実としての空が単なる無知とは異なったものであることを強調し、それを知の本質としての「光り輝く心」と表現した。最高の真実に対する消極的な表現と積極的な表現との二つは、インド仏教の最後に至るまで対立的に残存したのである。(p162)
はっきりしていることは、中観の空が、有に対する無、知に対する無知ではないことである。その点を強調して『般若経』は「清く輝く心」といい、ラトナーからは「光り輝く心」という。一方、ナーガールジュナやシャーンタラクシタは、その同じものがあくまで人間の言語と思惟、つまり表現一般を越えるものである点を強調して空といい、無顕現というのである。
表現は異なっていても、最高の真実が、人がヨーガにおいて到達する究極の境涯であることに変わりはない。それは直観そのものとしては有無の表現を越えているが、反省の立場で空といわれ、光り輝く心といわれるだけである。それは言葉の相違であって、真実の相違ではない。

「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻/春秋社

中観の「空」は、単に「有」の反対である「無」や、「知」の反対である「無知」といった意味ではない。『般若経』ではこれを「清く輝く心」と表現し、ラトナーも「光り輝く心」と呼んでいる。一方で、ナーガールジュナやシャーンタラクシタは、この「空」が人間の言語や思考、つまり一般的な表現を超越していることを強調している。彼らはこれを「無顕現」とも呼んでいる。表現の仕方は異なるが、ヨーガを通じて到達する究極の境地が「最高の真実」であることには変わりはない。この境地は直観としては「有」や「無」を超えたものであり、反省的に見ると「空」や「光り輝く心」として表現されるに過ぎない。言葉の違いがあるだけで、その真実自体に違いはない。

ヨーガの階梯

シャーンタラクシタが中観派と唯識派(瑜伽行派)を総合したということは理論的な領域においてだけ果たされたのではない。むしろ実践面においてそれはもっと完全に行なわれた。(p150)
カマラシーラの「修習次第」初編によりながら、後期中観派の実践の大綱を簡潔に記しておく。
知恵は三種の方法によって得られる。学習と批判と瞑想(聞・思・修)とである。学習はブッダの教えやすぐれた哲学書の勉学を意味する。批判というのは、大乗の経典の説く空性の教えを権威としながら、論理をもって不生の意味を研究しその過程においてインド哲学諸派、仏教諸派の実在論を批判してゆくことである。ヨーガ(瞑想)は学習と批判的に研究したことを明瞭なヴィジョンとして体得することである。(p152-153)
止心は選ばれたヨーガの対象に心を統一的に専注するために心の動揺や沈静などを止息することをいう。尋求・思惟・喜・楽・対象に対する心の統一という心作用を伴っている初禅から、それに対する執着を棄てて、より高い心作用を伴った第二、第三、第四禅へ進んでゆく四禅の階梯なども修習される。
そのまま瞑想の階梯として実践され、明らかに直観されるのである。
止心は選ばれたヨーガの対象に心を統一的に専注するために心の動揺や沈静などを止息することをいう。尋求・思惟・喜・楽・対象に対する心の統一という心作用を伴っている初禅から、それに対する執着を棄てて、より高い心作用を伴った第二、第三、第四禅へ進んでゆく四禅の階梯なども修習される。
止心によって瞑想の対象に統一された心を専注し、静寂な境涯を得ることに成功すると、こんどはその対象が実在しない、空なものであることを知るように努める。それが、後期中観派の哲学と瞑想の体系において重要な位置を占める観察(観)の段階である。物質的な対象は心の顕現にほかならず、その心も究極的な実在ではないと批判して、最高の真実としての空性にまで昇ってゆく。この観察の過程は、シャーンタラクシタの哲学の階梯と一致する。哲学の階梯がそのまま瞑想の階梯として実践され、明らかに直観されるのである。
(形象をもった)心のみがあることを悟って、ヨーガ行者は外界の対象があると考えるべきではない。(主観・客観の二つを離れた光り輝く心である)ものの真相を対象とした瞑想に沈潜して、彼は(形象をもった)心のみということをも超越すべきである。(256)
このように彼は、(形象をもった)心のみということを越えたのちに、(主観・客観の)無頭現(である光り輝く心)をも超越すべきである。かくして(光り輝く心すらも)顕現することのない瞑想に沈潜して彼は大乗を見る。(257)
彼の得る境地は努力を要さず保たれ、静寂で、(彼の菩薩としての)本願によって浄められている。(光り輝く心さえも)顕現することのないことによって、彼は(先には)最高の知恵と思われたもの(つまり、光り輝く心)を本体のないものと見る。(258)
十地
止観の統一的修習を完成すると瞑想者は、菩薩十地の予備段階である信解行地に入る。仏の境涯に至るまでに、合計すれば十二の段階が数えられる。
信解行地
まだ人に自我がなく、ものに本体のないことを直観はしていないけれども、その真理に対する強い確信をもって瞑想を続ける。すべてのものに本体のないことについての知の光が少し明らかになった段階を燄位、その光が明瞭度を増した段階を頂位、形象のある心のみであるという真理が直観される段階を忍位、光り輝く心のみが直観される段階を世第一法と名付けて、四つの階位が細分される。(p155-156)
初地(歓喜地)
その世第一法の直後に出世間的な、すべてのことばの虚構を越えた空性が最も明瞭に直観されると初地に入って、大きな歓喜が生ずる。この地はまた見道とも呼ばれ、ここにおいて断滅されるべき112種の煩悩を断つ。この地においては利他心が盛んになるので慈善(布施)のパーラミターが向上する。
二地(離垢地)
この第二地から第十地に至るまでを修道という。修道によって断滅されるべき16種の煩悩が次第に断たれてゆく。第二地においては非道徳な行為の垢がとり除かれて、戒律のパーラミターがすぐれてくる。
三地(発光地)
忍辱のパーラミターがすぐれ、多くの世界的な三昧が得られる。超越的な知の光が生ずるので発光地という。
四地(焔慧地)
精進のパーラミターがすぐれ、悟りの助けになるものが修習され、不浄の薪が燃やされるので焔慧地という。
五地(難勝地)
禅定のパーラミターがすぐれ、悟りの助けになるものの修習がさらに進む。きわめて得がたい段階の意味で難勝地という。
六地(現前地)
依存性(縁起)の真理を瞑想して知恵のパーラミターがすぐれ、すべてのものにしるしがないこと(無相)を修習する。ブッダの教えに面前するから現前地という。
七地(遠行地)
無相の知を完成するが、それを維持するのになお努力を必要とする。方便のパーラミターが向上する。はるかに行って無努力の境地に近づく意味で遠行地という。
八地(不動地)
努力を用いずにすべての徳が得られ、菩薩の本願のパーラミターがすぐれてくる。もはや無相と無努力の境地が動揺しないから不動地という。
九地(善慧地)
きわめてすぐれた知力、つまり力のパーラミターが向上する。教えを説くための非難されない資格を得る。
十地(法雲地)
直観知のパーラミターがすぐれ、人々を訓練するために必要な化身術を得る。世界中に法の雨を降らせる雲の意味で法雲地という。
仏地
全知を得、化身術を完成してブッダとなる。

「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻/春秋社

参考文献


仏教の基礎知識シリーズ一覧


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