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部派仏教から大乗仏教へ【仏教の基礎知識06】


ゴータマ・ブッダは最初に何を説いたのか(初転法輪)
ゴータマ・ブッダは、まず苦楽中道ということを説きました。
これは、快楽原理で動く世俗生活も、その逆の極致でいたずらに身体を痛めつける苦行も、そのどちらからも離れたところに
真に追求すべき道があるという教えです。
具体的には八聖道(八正道)だとされます。
正しくものごとを観察する正見・正しく思考を運用する正思、
正しいことば遣いをする正語、不殺生などの正しい行いをする
正業、正しく生活規律を守る正命、正しく努力励む正精進、正
しくものごとを頭に刻み込む正念、正しく精神集中する正定、
以上の八つです。(p76-78)
五蘊非我
ヤージュニャヴァルキヤは、常住の自己こそ愛すべきものであるけれども、自己は認識主体であるがゆえに認識対象たり得ない。したがって、自己をことばや概念で捉えることはできず、したがってまた執着の対象とはなり得ないと説きました。
ゴータマ・ブッダは実存主義的経験論者でしたから、経験(認識)の対象となり得ない自己を主語に立てた議論を拒否しました。しかし、見ての通り、五蘊非我という教えは、ヤージュニャヴァルキヤの自己についての教えを実存主義的な問題の立て方に引きつけて展開したものです。したがってまた、そういう意味では、ゴータマ・ブッダは自己論者ではありませんでしたが、自己はないとする無我説を主張したわけでもありません。
自我(身心)を自己と勘違いして執着することの愚をゴータマ・ブッダは説いたのです。(p81-82)
初期仏教における自己
仏教の開祖ゴータマ・ブッダは、すべての実践の中核を成す我執を払うために、無常である五蘊(要するに身心)のいずれも常住の自己(パーリ語でアッタン)ではない(五蘊非我)、両者を混同してはならないと説きました。
ところが、ゴータマ・ブッダが入滅して300年ほど経ちますと、ゴータマ・ブッダが自己を主題とする議論を展開しなかったのは、自己の存在を否定していたからだとして、自己は存在しない(無我)とする説が急速に広まるようになりました。
そのため、これ以後の仏教は、認識主体も因果応報・自業自得の担い手も認めないがために、他派から猛烈な論難を受け、防戦に暇ない状態となりました。無我説は理論的には無理なのです。(p159-160)

「インド人の考えたこと」宮元啓一/春秋社

仏教の新たな展開
仏教の出家教団(サンガ「僧伽」「僧」)は、ゴータマ・ブッダの入滅からおよそ百年ほどは一枚岩でした。この時代の仏教を「初期仏教」あるいは「原始仏教」といいます。ところが、やがて、戒律をどう遵守すべきかということをめぐって対立が起き、保守的な「上座部」と改革推進派の「大衆部」とに分裂しました。これを「根本分裂」といいます。そしてその後、両部はさらなる分裂(枝末分裂)を起こし、最終的には20ほどの部派が分立することになりました。こうした、ゴータマ・ブッダのことばの伝承(アーガマ「阿含」)を奉じながらも、部派が分立している状態の仏教を「部派仏教」と呼びます。
やがて前3~2世紀になりますと、在家信者の間から、仏の徳を讃える運動(讃仏乗)が盛んになりました。壮麗な仏塔が建立され、人々はそこに参詣し、仏の徳を説く法師(在家信者)の話に熱心に耳を傾けました。また、神話的な潤色に満ちた仏伝(ブッダの伝記)が次々と新たに作成されていきました。
大衆部の出家も絡んでいるようなのですが、このような讃仏乗に参加している在家信者のあいだから、仏は、成道前は菩薩(ボーディサッタ、ボーディサットヴァ)として無数の前生において六波羅蜜(布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧【般若】波羅蜜)を行じ、その結果、仏となって自利を成就し、また教えを広めて衆生を救済するという利他をも成就した、自分たちもそうした仏への道に進みたいという切実な願望が生まれてきました。(p87-88)
そして、これまでの出家たちは、自利のみを追求する利己主義者だという批判も生まれてきました。そして、利他に関していいますと、当時、新興のヒンドゥー教が、濃厚な救世主義で民衆宗教として成功を収めているのを見て、そうした人々は、自分たちも新しい仏教を創造しようと考え、ついに、一種の霊感を得た人々が、ゴータマ・ブッダに仮託した新しい経典を精力的に作成していきました。ここに成立したのが大乗(マハーヤーナ「偉大なる道、あるいは大きな乗り物」)仏教です。紀元前後のことでした。そして大乗仏教徒は、部派仏教を小乗(ヒーナヤーナ「劣った道、あるいは劣った乗り物」)として批判しました。

大乗仏教の原点:浄土三部経説

「浄土三部経」ゴータマ・ブッダが霊界で弟子たちを招集して説いた教え説。

ゴータマ・ブッダが直接弟子たちに語り、その教えが教典として降りてきたという説は非常に興味深い。天界での説法が地上に伝えられ、それが浄土三部経としてまとめられたということだ。
浄土三部経はゴータマ・ブッダの教えそのものであり、初期仏教の八正道や四聖諦とは異なる独自の教えを持っている。この教えを信じたのがマイトレーヤー、すなわち弥勒菩薩で、彼が中心となって無数の転生を経て六波羅蜜を実践し、仏となった。
このことに感銘を受けた弟子たちは、自分もその道を歩みたいと思うようになり、それが大乗仏教運動として広がっていった。

原始仏教教団の分裂と僧院の仏教
 大乗経典は西暦紀元前後から盛んに制作・編集されはじめたものであるが、大乗運動そのものはそのころになって急に興ってきたものではないであろう。シャカムニ・ブッダはしいて教団を統一規制することをしなかったから、当時でも弟子たちの傾向はさまざまであったであろう。ただ、ブッダの死んだ時にいちはやく教団の建て直しをはかり、一定の経典と規律を定めたのがマハーカーシャパ(大迦葉)を中心とする保守派であっただけのことである。この派にくみしない弟子たちもおおぜい存在していた。ブッダの死後100ないし200年たったころにこの対立は表面化し、仏教教団は正式に保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂した。(p12-13)
 比丘たちが雨期の間を除いてつねに遊行するという習慣はブッダの死後間もなく失われたらしい。やがてほとんどの者たちは、僧院の中に定住し、説法や托鉢のとき以外は社会と切り離された環境の中で、学問と瞑想に専念するようになった。王権の拡大に伴ってしだいに規模が大きくなり、経済的にも発展してきたインド社会の中で、僧院が学問的研究と教育、さらに性的禁欲の義務を負った出家者の集団として独立し、かわりに王者や在家の信者から経済的保護を受けるようになったのは、いわば一種の社会契約として当然のことである。このような僧院の安全と独立と義務とが確保されていなかったならば、たとえばやがて説一切有部が樹立するような壮大な体系的学問が成立してくるはずはない。(p13-14)`
 けれども、そうなった僧院の仏教には少なくとも二つの致命的な問題が生じてきた。シャカムニ・ブッダはその死後、出家教団の修行者の目標としてはあまりにもけだかい理想像となった。そのために出家僧たちはみずからブッダになることを断念し、もっと手近な理想像としてのアルハトを修道の目標と定めた。かりにそれを達成しても、ブッダになることは及びもつかないと考えたのである。
 第二には、アルハトの理想は僧院の出家者にのみ可能な煩瑣な修行の階梯を経てはじめて到達できるものであり、一般の在家仏教者には望むことも許されなかった。いわば、僧院の仏教は在家信者をその宗教から実質的にしめ出してしまったのである。だから在家の仏教者は結婚と家庭、社会的な義務と享受の生活と共存しうる宗教を他のところに求めなければならなかった。

梶山雄一著作集第四巻「中観と空Ⅰ」春秋社

問題点:『アルハト=阿羅漢あらはん』と『悟りを得た人ブッダ』の違いが明確化されていない。

如来=解脱した存在(物質界に生まれ変わらない)
菩薩=解脱にむけて修行中

分裂後の大衆部の教義

原始仏教は、最初に上座部と大衆部に分かれた。大衆部の教義には、すでに「空」の概念や「永遠の理仏」という言葉が含まれており、これが大乗仏教への道を開いていった。

『般若経』にあらわれた英雄
 上座部と大衆部に分裂した仏教教団は、それぞれがさらに次々と技術的な学派を分出しながらも、上座部系は僧院定着化の傾向をますます強め、大衆部系は在家仏教者を代表する傾向をさらに強めた。
大衆部系は教義の面においても、空の観念、ことばへの不信、歴史的なシャカムニ・ブッダを、永遠の理仏である法身の化身と考える仏身論などを発展させた。これらはいずれも大乗仏教への道を準備するものであった。大乗仏教が旧来の諸部派と独立した新興の宗教運動として展開したのは西暦紀元前1世紀ごろからであろう。やがて大乗経典の先端をきって『般若経』類が続々と制作・編集されるようになった。(p14-15)

『般若経』にあらわれる英雄の一人を見てみよう。彼は精力的で、ハンサム、あらゆる教養と徳を備え、すべての学問に通じ、弁舌さわやか、おまけに社会的な地位も高い富豪で、すべての人々に敬愛されている。彼は一家眷族を伴って旅に出るが、ふとしたことで密林の中に踏み迷ってしまう。愚かな同行者が恐れ騒ぐと、この英雄は、恐れるな、私がすぐにおまえたちを導いてこの密林から出してやる、と励ます。そしてどんな困難や危険が迫ろうとも、人々を見捨ててひとり逃げ出すようなことはしない。彼はそれぞれの場合に適した方便をわきまえて人々を一つ一つの危険から守り、ついに自分の都市までみなを引き連れて帰る。
 彼はみずから空性を悟り、救済の門に達してはいるが、迷い悩む衆生を見捨てることができないばかりに、自分の涅槃を断念して、衆生とともにこの世の苦難の道を歩むのである(梵本『八千頌』第二〇章)。

梶山雄一著作集第四巻「中観と空Ⅰ」春秋社

八正道から六波羅蜜へ
初期仏教や僧院仏教の修道規範に八正道というものがある。正しい見解(正見)・正しい決意(正思惟)・正しいことば(正語)・正しい行為(正業)・正しい生活(正命)・正しい努力(正精進)・正しい思念(正念)・正しい瞑想(正定)の八つの道である。これらは、道徳的な自己訓練による精神の清明化を経て瞑想の完成に至る修道を表わしている。そして八正道の各項を貫くものは沈着・冷静・中庸の精神である。極端な禁欲・苦行と極端な放恣・逸楽の二辺をさけて中道を守ることが八正道の根本精神であった。

これに対して、大乗菩薩の徳目としては六種のパーラミター(六波羅蜜)が説かれている。完全な慈善(布施)・完全な戒律(持戒)・完全な忍耐(忍辱)・完全な努力(精進)・完全な瞑想(禅定)・完全な知恵(智慧)の六つである。パーラミターとは完成とか完全とかを意味する。それは中庸の精神とは、むしろ、うらはらなものである。一つの徳の極端にまで至り、さらにその極端を突破してその徳自身を否定するというような精神である。完全な慈善とは、自分に余裕があるときにひとにものを分け与える、ということではなくて、あらゆる場合に、あらゆる命あるもののために、みずからの身命をささげ犠牲にして悔いないことを意味する。虫けら一匹を救うために自分の命を捨てるということは、極端といえば、これほど極端な慈善はない。(p15-16)
しかも、その慈善において、与える人、与えられる人、与える物または行為の三つを意識してはならないという。常識の立場では慈善を徳だとする意識がじつは慈善の本質をなしている。その意識を否定して無私の気持で行なわれる完全な慈善、パーラミターとしての慈善においては慈善自身が否定されてしまう。
戒律ということも、ただ世間的な意味での善人であるということや、瞑想の準備として心を落ちつけるために道徳的な生活をするということではない。毒も薬になることがあり、不善も人を救うために必要であることもある。世間的には不徳であることすら、それが利他行の道にかなうなら恐れずに行なうということでもある。ここでも、戒律は戒律自体を否定してしまう。(p16-17)

梶山雄一著作集第四巻「中観と空Ⅰ」春秋社

無私の行為とは、見返りを求めない行為

人々を仏道に引き込むためには、嘘も嘘でないという考えがあり、それを「善」として捉えることができる。それは究極の善であり、完全な善であるという。「空」の観点から見ると、善も悪も存在しない。善に本質はなく、悪にも本質はない。究極的には善も悪もないということになる。それが利他行であり、人を救うためにはどんな手段でも自由自在に使えるというのが自在の境地だという。
そのためには、悪ですら、人を殺すことですら、人を救うためになると考えられる。この思想はすごいもので、それが「空」であり「空」の悟りである。善も悪も本質はないという考えだ。
すべてのものが「空」であるから、慈善においても与える人、与えられる人、与えるもの、これら全てが本質的には「空」である。彼らは「空」であるため、無私の行為として捉えられる。とんでもないぶっとんだ内容になっている。

六種のパーラミターのうち前の方にある五つはそれぞれ第六の完全な知恵によって裏づけられなければならない、という。慈善が完全な慈善であるためには、完全な知恵を伴ってそれが行なわれなければならない。完全な知恵とは空の知恵――すべてものに本質はないという知恵である。慈善はじつは慈善でないときに、戒律が戒律でないときに完全であるということでもある。空ということの意味については、のちに詳しく述べるが、いまは、徳が徳自身を否定するというようなはたらきであると理解しておけばよい。

梶山雄一著作集第四巻「中観と空Ⅰ」春秋社

空の知恵によって裏付けられて初めて般若波羅蜜は完全なものになるという。完全な知恵を伴って行わなければならない。それが空の知恵。すなわち全てのものの本質はない。すべてのものには本質がない。善もないし悪もない。正直も不正直もない。それが「空」の知恵なのだ。本質がどこにもない。したがって、戒律というのは方便にすぎない。集団を維持するための方便だ。彼らの言う戒律というのもは平気で破ることができる。なぜかといえば、空の知恵があるからだ。人々を救済するためなら何でもあり。空の知恵があれば、嘘をつくことも問題ない。

参考文献


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