大乗仏教の原点:浄土三部経説
「浄土三部経」ゴータマ・ブッダが霊界で弟子たちを招集して説いた教え説。
ゴータマ・ブッダが直接弟子たちに語り、その教えが教典として降りてきたという説は非常に興味深い。天界での説法が地上に伝えられ、それが浄土三部経としてまとめられたということだ。
浄土三部経はゴータマ・ブッダの教えそのものであり、初期仏教の八正道や四聖諦とは異なる独自の教えを持っている。この教えを信じたのがマイトレーヤー、すなわち弥勒菩薩で、彼が中心となって無数の転生を経て六波羅蜜を実践し、仏となった。
このことに感銘を受けた弟子たちは、自分もその道を歩みたいと思うようになり、それが大乗仏教運動として広がっていった。
問題点:『アルハト=阿羅漢』と『悟りを得た人』の違いが明確化されていない。
如来=解脱した存在(物質界に生まれ変わらない)
菩薩=解脱にむけて修行中
分裂後の大衆部の教義
原始仏教は、最初に上座部と大衆部に分かれた。大衆部の教義には、すでに「空」の概念や「永遠の理仏」という言葉が含まれており、これが大乗仏教への道を開いていった。
無私の行為とは、見返りを求めない行為
人々を仏道に引き込むためには、嘘も嘘でないという考えがあり、それを「善」として捉えることができる。それは究極の善であり、完全な善であるという。「空」の観点から見ると、善も悪も存在しない。善に本質はなく、悪にも本質はない。究極的には善も悪もないということになる。それが利他行であり、人を救うためにはどんな手段でも自由自在に使えるというのが自在の境地だという。
そのためには、悪ですら、人を殺すことですら、人を救うためになると考えられる。この思想はすごいもので、それが「空」であり「空」の悟りである。善も悪も本質はないという考えだ。
すべてのものが「空」であるから、慈善においても与える人、与えられる人、与えるもの、これら全てが本質的には「空」である。彼らは「空」であるため、無私の行為として捉えられる。とんでもないぶっとんだ内容になっている。
空の知恵によって裏付けられて初めて般若波羅蜜は完全なものになるという。完全な知恵を伴って行わなければならない。それが空の知恵。すなわち全てのものの本質はない。すべてのものには本質がない。善もないし悪もない。正直も不正直もない。それが「空」の知恵なのだ。本質がどこにもない。したがって、戒律というのは方便にすぎない。集団を維持するための方便だ。彼らの言う戒律というのもは平気で破ることができる。なぜかといえば、空の知恵があるからだ。人々を救済するためなら何でもあり。空の知恵があれば、嘘をつくことも問題ない。
参考文献
仏教の基礎知識シリーズ一覧
#仏教 #仏法 #禅 #ブッダ #仏陀 #釈迦 #小乗仏教 #原始仏教 #大乗仏教 #瞑想 #マインドフルネス #宗教 #哲学 #生き方 #人生 #仏教の基礎知識シリーズ