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キリスト教《伝道》と新興宗教《勧誘》の違い~室賀文武のこと【憂世で生きる智慧】

芥川龍之介を伝道したのは『歯車』に登場する室賀文武で昭和2年7月14日(自殺する10日前)深夜までキリスト教について話したと記録されている。 室賀は「人間お互い愛し合って立派な世界をつくりましょう」などという笹川良一や新興宗教の教祖が語るようなアプローチをしたのではない。

[奥山実牧師]

室賀文武(むろが ふみたけ、1869年~1949年2月13日)は、芥川龍之介の幼少期からの知人で、後に俳人として「春城」の号を用いた。彼は山口県玖珂郡室木村(現在の山口県岩国市室の木町)の農家に生まれた。
同郷の芥川龍之介の実父・敏三(周防国玖珂郡生見村湯屋、現在の山口県岩国市美和町生見の出身)を頼り、政治家を目指して上京。敏三の牧場・耕牧舎で働き、芥川が三歳になる頃まで子守りをしていた。

しかし、1895年頃、政界の腐敗に失望し、耕牧舎を辞めて行商などをしながら世俗の夢を捨て去った。その後、内村鑑三に出会い、無教会系キリスト教に入信した。生涯独身で、信仰生活を貫いた。第一高等学校時代の芥川と再会し、俳句やキリスト教についての良き話し相手となった。芥川龍之介が自殺の直前にも頻繁に会っていたことから、彼が無意識に自殺回避の可能性を室賀に求めていたと考えられる。

室賀は30代から俳句を始め、1921年に「春城句集」を出版した。芥川龍之介が序文を書いたが、出版にトラブルがあったため遅れた。芥川の「歯車」の「或老人」は彼がモデルであり、晩年の芥川にキリスト教への入信を強く勧めていた。

芥川は自殺前年の1927年1月、執筆のために帝国ホテルに滞在していたが、その際に銀座の米国聖書協会に住み込んでいた室賀を頻繁に訪れ、キリスト教や俳句について長時間議論した。

春城句集」の序文は芥川龍之介によるもので、1921年に出版されたが、出版社とのトラブルで遅れた。芥川はその序文で、室賀の職業を「行商」と記している。晩年の芥川は「歯車」の「五 赤光」に出る「或老人」を室賀をモデルにして描いている。また、1927年には芥川龍之介が執筆用に帝国ホテルに部屋を借りていたが、その時もしばしば室賀を訪ねていたという。


『歯車』現代語訳
五 赤い光

日の光が僕を苦しめ始めた。僕はカーテンを閉め、昼間も電灯をつけたまま、小説を書き続けた。疲れたら、ティエンのイギリス文学史を読んで詩人たちの生涯を調べた。彼らはみな不幸だった。エリザベス朝の巨人たちさえ、ベン・ジョンソンさえも神経が疲れていた。彼の足の親指にローマとカルタゴの軍勢の戦いを想像するほどだった。僕は彼らの不幸に対して奇妙な喜びを感じていた。

ある東風の強い夜、僕は地下室を抜けて町へ出て、ある老人を訪ねることにした。彼は聖書会社の屋根裏で一人で働きながら、祈りと読書に励んでいた。僕たちは火鉢に手をかざしながら、十字架の下で様々な話をした。母が発狂した理由、父の事業が失敗した理由、僕が罰せられた理由。彼はこれらの秘密を知っていて、厳かな微笑を浮かべながら話を続けた。

「その植木屋の娘は美しくて、性格も良い。私には優しくしてくれるんだ。」
「いくつ?」
「今年で十八歳だ。」

それは彼には父親のような愛かもしれなかったが、僕には彼の目に情熱を感じた。彼の勧めた林檎にはいつしかユニコーンの姿が浮かび上がっていた。僕は木目やコーヒーカップのひびに神話的動物を見つけることがよくあった。ユニコーンはキリンに違いなかった。僕はある批評家が僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだことを思い出し、この十字架のかかった屋根裏も安全ではないと感じた。

「どうですか、最近は?」
「相変わらず神経が苛立ってね。」
「薬では駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」
「もし僕でもなれるものなら……」
「何も難しいことはないのです。ただ神を信じ、キリストを信じ、キリストの奇跡を信じればいいのです。」
「悪魔を信じることはできますが……」
「ではなぜ神を信じないのです?影を信じるなら、光も信じずにはいられないでしょう?」
「しかし光のない暗闇もあるでしょう。」
「光のない暗闇とは?」

僕は黙るしかなかった。彼もまた僕のように暗闇の中を歩いていたが、暗闇がある以上は光もあると信じていた。僕たちの論理の違いはこの一点だけだった。しかしそれは僕には越えられない溝だった。

「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇跡があるのですから。……奇跡などと云うものは今でも度々起こっているのですよ。」
「それは悪魔の行う奇跡です……」
「どうしてまた悪魔などというのです?」

僕はこの一年二年の間、自分が経験したことを話したい誘惑に駆られた。しかし彼から妻子に伝わり、僕も母のように精神病院に入れられることを恐れた。

「あそこにあるのは?」
老人は古い書棚を振り返り、牧羊神のような表情を示した。
「ドストエフスキー全集です。『罪と罰』はお読みですか?」

僕は十年前にもドストエフスキーの四五冊に親しんでいた。しかし彼の言った『罪と罰』という言葉に感動し、この本を借りてホテルに戻った。電灯の光に輝いた人通りの多い通りは僕には不快だった。知り合いに会うことは到底耐えられなかった。努めて暗い道を選び、盗人のように歩いた。

しかししばらくすると胃の痛みを感じ始めた。この痛みを止めるのは一杯のウイスキーだけだった。あるバーを見つけ、その戸を押して入ろうとした。けれども狭いバーの中にはタバコの煙が立ち込め、芸術家らしい青年たちが何人も群がって酒を飲んでいた。彼らの中には耳隠しを結った女が一人、熱心にマンドリンを弾いていた。僕は当惑し、戸を開けずに引き返した。するといつか僕の影が左右に揺れているのを発見した。赤い光が僕を照らしていた。僕は往来に立ち止まったが、影は絶えず左右に動いていた。振り返るとバーの軒に吊るされた色ガラスのランタンが見えた。ランタンは風に揺れていた。

次に入ったのは地下室のレストランだった。バーカウンターに立ち、ウイスキーを注文した。
「ウイスキーですか?Black and White しかございませんが……」
僕はソーダ水にウイスキーを入れ、黙って一口ずつ飲み始めた。隣には新聞記者らしい三十前後の男が二人、小声で話していた。フランス語を使っていた。僕は彼らに背を向けたまま、全身に彼らの視線を感じた。彼らは確かに僕の名を知っていて、僕の噂をしているらしかった。

「Bien……très mauvais……pourquoi ?……」
「Pourquoi ?……le diable est mort !……」
「Oui, oui……d'enfer……」

僕は銀貨を一枚投げ出し(それは最後の一枚だった)、この地下室を出た。夜風の吹き渡る通りは少し胃の痛みを和らげた。ラスコルニコフを思い出し、何もかも懺悔したい欲望を感じた。しかしそれは僕や家族に悲劇を生じるに違いなかった。しかもその欲望さえ真実か疑わしかった。もし神経が普通のように丈夫なら、マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ行かなければならなかった。

ある店の軒に吊るされた白い小さな看板が僕を不安にした。自動車のタイヤに翼が描かれていた。古代のギリシャ人を思い出した。彼は空中に舞い上がり、太陽の光で翼を焼かれ、海に溺死した。僕の夢を嘲笑せずにはいられなかった。同時に復讐の神に追われたオレステスを思わずにはいられなかった。

運河沿いに暗い通りを歩いていると、養父母の家を思い出した。彼らは僕の帰りを待っているに違いなかった。子供たちも。しかしそこへ帰ると、自分を束縛する力を恐れた。運河には波立つ水に一艘のだるま船が横付けされ、その船底から薄い光が漏れていた。そこにも愛し合いながら憎しみ合う家族がいるに違いなかった。僕はもう一度戦闘的な精神を呼び起こし、ウイスキーの酔いを感じながらホテルに戻った。

机に向かい、メリメの書簡集を読み続けた。それは僕に生活力を与えていた。しかしメリメが晩年にプロテスタントになっていたことを知ると、仮面の下にあるメリメの顔を感じ始めた。彼もまた僕たちと同じように暗闇の中を歩いていた。暗闇の中を?――「暗夜行路」は僕には恐ろしい本に変わり始めた。憂鬱を忘れるためにアナトール・フランスの対話集を読み始めた。しかしこの近代の牧羊神も十字架を背負っていた。

一時間ほどして、給仕が郵便物を持ってきた。その一つはライプツィヒの本屋からのもので、「近代の日本の女」という小論文を書いてほしいという依頼だった。彼らはなぜ僕に特にこの小論文を書かせようとするのだろう?しかもこの英語の手紙には「我々はちょうど日本画のように黒と白の外に色彩のない女の肖像画でも満足です」と手書きの追記があった。僕はこの一行でBlack and Whiteというウイスキーの名前を思い出し、その手紙をずたずたに破ってしまった。そして次に、手当たり次第に一つの手紙の封を切り、黄色い書簡箋を見た。この手紙を書いたのは僕の知らない若者だった。しかし、二三行読んだだけで「あなたの『地獄変』は……」という言葉に苛立たされた。三番目に封を切った手紙は、僕の甥からのものだった。僕はやっと一息つき、家事上の問題などを読んでいった。けれども最後に来ると、それは僕を打ちのめした。

「歌集『赤光』の再版を送りますから……」
赤光!僕は何かの冷笑を感じ、部屋の外へ避難した。廊下には誰もいなかった。片手で壁を支えながら、やっとのことでロビーへと歩いていった。そして椅子に腰を下ろし、何とかしてタバコに火をつけた。タバコはなぜかエア・シップだった。(このホテルに滞在してから、いつもスターを吸っていたのだが。)人工の翼が再び僕の目の前に浮かび上がった。僕は給仕を呼び、スターを二箱もらおうとした。しかし、給仕によれば、スターは生憎品切れだった。

「エア・シップならありますが……」
僕は頭を振ったまま、広いロビーを見回した。向かい側には外国人が四五人、テーブルを囲んで話していた。その中の一人、赤いワンピースを着た女性は、小声で話しながら時々僕を見ているようだった。

「Mrs. Townshead……」
何か目に見えないものがそう囁いているようだった。ミセス・タウンズヘッドという名前は僕には知らないものだった。向こうにいる女性の名前であったとしても、僕は再び椅子から立ち上がり、発狂することを恐れながら部屋に戻ることにした。

部屋に戻ると、すぐに精神病院に電話をかけるつもりだったが、そこに入ることは死ぬことと変わらなかった。僕は散々ためらった後、この恐怖を紛らすために『罪と罰』を読み始めた。しかし偶然開いたページは『カラマーゾフの兄弟』の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、表紙を確認した。『罪と罰』――本は確かに『罪と罰』だった。製本屋が間違えて綴じたページを開いたことに運命の指を感じ、やむを得ずそのまま読み進めた。しかし、一ページも読まないうちに全身が震え始めた。そこには悪魔に苦しめられるイワンが描かれていた。イワンを、ストリンドベリ、モーパッサン、そしてこの部屋にいる僕自身を。

僕を救うものは眠りだけだった。しかし、催眠剤はいつの間にか全て無くなっていた。僕は眠らずに苦しみ続けるのに耐えられなかったが、絶望的な勇気を奮い起こし、コーヒーを持ってきてもらい、死に物狂いでペンを動かし始めた。二枚、五枚、七枚、十枚――原稿は次々と仕上がっていった。僕はこの小説の世界を超自然の動物で満たしていた。そしてその動物の一匹に自分自身の肖像画を描いていた。しかし、疲労が徐々に頭を曇らせ始めた。とうとう机の前を離れ、ベッドに仰向けになった。そして四五十分間眠ったらしかった。しかし誰かが耳元で囁いたのを感じ、急に目を覚ました。

「Le diable est mort」
凝灰岩の窓の外は冷え冷えと明け始めていた。僕は戸の前に立ち、誰もいない部屋を見回した。すると、向こうの窓ガラスが曇り、小さな風景を映していた。それは黄ばんだ松林の向こうに海のある風景だった。怯えながら窓の前に近づくと、それが実は庭の枯れ芝や池で作られた風景だと分かった。しかしこの錯覚は僕に家に対する郷愁を呼び起こしていた。

九時になったら雑誌社に電話をかけ、金の都合をつけて家に帰る決心をした。机の上に置いた鞄に本や原稿を詰め込みながら。

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