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本音と建前【憂世で生きる智慧】

  • 理想や目標、それを設定しているのが建前。
    それ自体が正しくなければ意味をなさない。

  • 自分のことだけで構成されたのが本音。
    気とか感情とか私利私欲、建前が実現できない自分の弱さ、あきらめ。

[南出喜久治]


日本社会における「本音」と「建前」の概念は、まるで二枚の鏡が互いに映し合っているようなものである。理想や目標を掲げ、それを公に表明する「建前」は、その存在自体が美しく、正しければ意義深い。だが、それは往々にして現実とは隔たった存在となることが多い。理想を追い求めることは素晴らしいが、それが空回りすることもある。

一方、「本音」はもっと泥臭いもの。自分の内面に抱える感情や欲望、失望や諦め。それは、建前という美しい理想に向き合いながらも、自分自身の限界や弱さを痛感させるものだ。本音は、私たちが日常的に直面する人間らしい弱さや、現実の厳しさを映し出す鏡のようなものである。

南出喜久治氏が指摘するように、建前は正しいものでなければ意味がない。理想や目標が曖昧であったり、現実に即していなければ、それはただの空虚な言葉に過ぎない。一方で、本音は常に私たちの内面にあり、その正直さゆえに私たちを成長させる糧となる。しかし、あまりに本音に忠実すぎると、建前という理想から遠ざかり、結果として何も成し遂げられなくなる危険もはらんでいる。

理想と現実の狭間で揺れ動く「本音」と「建前」の関係性は、時に矛盾し、時に補完し合う。その微妙なバランスを保ちながら、私たちは日々を生き抜いている。理想を追い求める勇気と、現実を受け入れる謙虚さ。この二つをいかにして調和させるかが、人生の大きな課題と言えるだろう。

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