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【自分らしく生きる】求める答えを「内」から「外」へ

自分自身と向き合い始めたのは去年の8月。これはそれから4カ月ほど経った時の記事だ。

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自分の中のいらなかった感情を知ることができたし、本当は認めたくないけれど確かに心の奥に在る感情や大切にしているもの、これからどうして進んでいけばいいか、

自分との対話では色々な発見があった。

自分が今までいかに自分自身を蔑ろにしていたかにも気づくことができた。

答えはすべて自分の内にあった。

…と、思っていた。

自分自身を愛して受け止めて、いらないもの必要なものを区別してそれもまるごと受け入れる、そんな毎日を送る中で、私は以前にも書いたように

「目に映るものすべてを愛したい」と強く願うようになった。

眼に映るもの、それは自分の外側にある人やもののことだ。

先日ある人に指摘された、

「あなたは人に興味がない。」

そして、また別のある人にも同じようなことを言われた、

「あなたは人を信用していない。人を信用しなさい。」

その言葉を言われた時に私は咄嗟にこう答えた。


「誰を?」

その言葉が紛れもなく人を信用していない証拠なのだろう。


今まで深く考えていなく、また考えようとしていなかった、自分自身の癖と向き合わなければ「目に映るものすべてを愛する」ことはできないことにきづいた。

そのためには、自問自答だけをしていてはだめだ。

今度は目の前にいる人と対話をしなければいけないと。

私のことは私の中に答えがたくさんあった。

だけど、私の中に知り得るものの中には限界がある。


それはその方に言われた言葉で、私の内側にはないものだった。

私は、今度は自分の「内」から「外」へ、答えを見つけに行かなければいけない。

どうして人に興味がない?どうして人を信用しようとしていなかった?

人が嫌いというわけではないし、人の日常について書かれた日記やブログなどをみることは好きだ。

瞬間瞬間にはドラマがある。それを眺めることが好きだった。

つまり私は、いつもすべての人を同じように、一歩引いたところから眺めている。

家族も、友人も、恋人も。どんな身近な人でさえ、私は人を画面越しに見ていたのだろう。

その人の見つめる先に私はうつらないように、そんな風な距離感を作っていたように思う。

今まではそれでよかった。それでもうまく回っていたのだから。


だけど私は変わりたいのだ。

人を信じたい、人を愛したい。


どうすれば、

どうすればその人と同じ画面の中に入れるだろう?

自問自答をする前、私は自分のことを信用することすらできなくなっていた。

自分の感情をまるで赤の他人の持ち物のように客観視し、その気持ちにとらわれることを避け、そうやって生きてきた。

だけど今は、自分のことも気持ちも信じることができている。

何をするにもまずは自分だ。自分を信じることができないと他の人を信じることができない。

だから、もしかしたら今からでも少しずつ他の人を、外側に出て、気持ちの循環をすることができるようになれるかもしれない。

画面越しに見ていた私の大切な人たちのそばに私も行けるかもしれない。

まだ、このことについては学び始めたばかりで確信めいたことは書けない。

だけど少しずつ、また1から挑戦していこう。

そう、自分を信じているから、きっと大丈夫だ。


山口葵

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