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【ディスレクシアと共感覚】ビジュアライゼーションが起こす活字恐怖③ー苦手意識と得るもの

前回の続き記事です。ビジュアライジング=共感覚、活字恐怖=ディスレクシアと意識する前に書いている記事なので引き続きそう呼んでいます。

結論からいうと「活字恐怖症」はいまだに克服できていない。

克服しよう!と思いトラウマの原因になった「こころ」を図書館で借りてみた。でも、冒頭のバケーションのあたりでもう無理だった。

自分と向き合っていくうちに、

苦手なものは苦手なままでもいいのかもしれないと思った。

この世は確かに本で溢れているけれど、哲学や思考整理の本は読めている。物語は漫画や、映画化されたものもたくさんあるだろう。

それらに触れる方が私は合っているんだ。
そう落とし込むことができた。


誰かの頭の中で作り上げた物語は、上手に別の形に起こせる誰かの表現した別の形で私は感じていきたい。

自分と向き合う=嫌いなものをなくしていく、ではない。
嫌いだ、苦手だと感じるマイナスの感情をそのまま受け入れてあげること。

そしてその「苦手」と向き合ううちに何かプラスに出来るものが見えてくるのなら、それを掘り下げて武器にしていけばいい。

活字恐怖と向き合って得たものは大きい。

私の中のビジュアライジングが、握ることをやめたカメラをまた握らせたのだから。

人を見ると浮かぶ頭のイメージを、カメラを通して表現していけたら。
自分では見たことのない輝きがあることを、その人に伝えられたら。


ファインダーにイメージを載せて、

こんなにも輝きがあることを知ってもらいたい。

私の頭の中のイメージがどれほど
貴方を煌かせているかを知ってほしいと。


それはきっと自信につながる。

私も、そして貴方にも。


活字恐怖、つまりディスレクシアを克服できなかった昨年私は、
「苦手を受け入れる」ということで自分に納得をさせることにした。

その後、共感覚を知り、ディスレクシアを知り、今に至るわけだが
苦手を苦手なままで受け入れることも大事だけれど、

それを理解したうえで、より良い方法を見つけ出す

そう言ったことが出来るということを、学びながら知っていった。

自暴自棄になるくらいなら、苦手を受け入れる方がきっといいだろう。
だけど、「いい解決法」がもしかするとこの世界の中にはあるかもしれない。

それは自分に苦手なものがあるということを知る、まずはそれができてから進められることだ。

苦手を知り、受け入れる。去年はここまでは出来た。

そして今はその苦手を理解し、少しでも解決できる方法がないかを見つけ出し、実践する。そんな風に動けるようになった。

去年の私の「活字恐怖」を知ろうとする取り組みは無駄ではなく、
目を瞑っていた自分の中のものと向き合ういいきっかけであった。

だからこそ、解決策を見つけ出せる自分になれたのだ。

試行錯誤、まさに三歩進んで二歩下がる、そんな毎日だった去年の私。

それでも、
それでもその日々は無駄ではなかった。

泣きながらひとりぼっちで眠りながら自分自身と闘い続けた、
そんな自分を認め、癒してあげたいと、思う。


山口葵

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