【私は私らしく生きている?】自分と向き合いながら見つけた私の「夢」
今日こちらの企画にて、「夢について語る」機会をいただいた。
スタエフで数分だけ話しただけだが、私の持つ2つの夢の中の
「目に映るもの全てを愛すこと」
これについて詳しく書いたブログがたしかあったはずなので、引っ張り出してきた。続き物になっていたので、これらを少しずつ出していこうと思う。
プライベートや仕事、諸々色々なことがあった。
ふと立ち止まった時に、自分と向き合う時間が出来て自分と対話することで少しずつ傷ついた心を癒していくことの大切さと、方法を学んだ。
いや、今もまだ学んでいる最中だ。
今までの私は
「人のために何かをする」だけでもなく誰かに幸せにしてもらいたい、と
幸せの定義すら人任せにして、自分という軸から大きく外れていたことに気づいた。
自分の中にあった「本当は嫌なこと」を手放していくことから始め、少しずつ本来の自分らしく戻るように。
幸せを感じるのは私自身なので、
私を幸せにするのは他の誰でもない私なのだということ。
自分をたくさん愛して満ち足りていくことが増えると、
今度は人に優しくできるようになった。
最近はもうあまり怒りの感情を持つことがなくなり
それと同時に深い悲しみや憎しみなどマイナスの感情も減っていった。
自分と向き合うことで不思議と向き合えていなかった周りの人とも
うまく向き合えることになり、
苦しい自問自答の日々は決して自己満足の世界では終わらないような、
とても価値のある時間だったと感じる。
これから自分がどんなことをしていきたいのか、どんなことを学び、
誰と居たいのか。
まだまだ学ぶことはたくさんあれど、少しずつ前に進んでいこう。
そんな中で浮かんだ私の想い。
尾崎豊さんの「存在」という曲の中の歌詞の中の一文だ。
親が好きだから私も好きで、高校時代からずっと聴いていた。
彼が出て行ったことをきっかけに、自分の中にある「不必要なもの」と向き合うこととなり、その時に流れたこの言葉がとても印象的でメモしていて、
自分で自分を楽しませる、喜ばせる、幸せにさせることが出来ると
この言葉の意味がとてもよくわかるようになった。
いらなかったものを手放したあとは空っぽになることも多く、それだけでは心が満たされるわけではない。
マイナスになってゼロになったら、今度はそこにプラスを足して行こう。
嫌いなもの、嫌な感情。嫉妬や、エゴ、執着など
簡単に消せるものではなく意識して消せないものもたくさん。
なくしたと思っていたのにまた顔を出すことも何度も何度もあり、
最初はそんな自分を責めてばかりだった。
でも「なくしたい」と思うことが大切で、
なくしたところに何を入れたいか?を考えていけばいいということ。
私が好きなもの、
何をすれば楽しい!嬉しい!
幸せ!と感じるか。
好きなものを足していく作業は、
手放しの作業よりとても楽しいことだった。
考えているだけでわくわく。自分は本当はこれが好きだったなぁ。
そういえば昔、こんなことがあってあれはとても楽しかったなぁ。
私はそう感じたことや、思い出したことをノートにメモしていった。
そしてそんなことを考えていること自体が実は自分を癒し、
満たしていることに気づいていった。
山口葵
この記事が参加している募集
文章を楽しく書いている中で、 いただくサポートは大変励みとなっております。 いただいたサポートは今後の創作活動への活動費等として 使わせていただこうかと思っています。 皆さま本当に感謝いたします。