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記事一覧

【三国志正史】05曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 195年豫州侵攻~196年献帝奉戴

曹操の豫州侵攻(195年冬)曹操は張邈の反乱を鎮圧し、兗州を再び支配下においた。 張邈の反乱以前、曹操は徐州を攻略目標にしていた。 徐州牧の陶謙は袁術・公孫瓚寄り…

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2週間前
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【三国志正史】04曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 徐州侵攻~張邈・呂布の反乱

陶謙の兗州侵攻(193年)192年頃、陶謙は公孫瓚の求めに応じて兗州に出兵した(前述)。この時のことは詳しく分からないが、発干まで進出した陶謙軍は袁紹・曹操の軍に敗…

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2週間前
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【三国志正史】03曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 192年東郡太守~袁術の兗州侵攻

黒山賊との戦い(192年春)192年(初平二年)春、曹操は東郡太守・行奮武将軍として東武陽に政庁を置いていた。 曹操は兵を率いて出陣し、頓丘に陣を敷いた。 東武陽から…

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2週間前
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【三国志正史】02曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 190年反董卓連合の結成~

反董卓連合の結成(190年春)190年正月、反董卓連合が結成された。 この年から193年までが初平年間。 連合の結成を呼び掛けたのは、東郡太守の橋瑁。三公による決起の檄…

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2週間前
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【三国志正史】01曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 189年霊帝死去~曹操挙兵

霊帝死去 当時の曹操と周辺西暦189年4月(年は西暦、月は旧暦)、当時後漢の皇帝だった霊帝が死去した。 このとき、曹操は都の洛陽にいて、典軍校尉を務めていた。当時…

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3週間前
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【三国志正史】00曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 前書き

はじめにこの回はただの前書きです。 『三国志』は読みにくい。時系列がわからん。 三国志の正史について調べるとき、もっとも基本的な資料は陳寿が書いた『三国志』に…

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3週間前
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飛騨神岡の武士「江馬氏」 史実に残る姿をまとめてみた(メモ)② 戦国時代

江馬時経の時代三木氏代替わり直後の戦い(1516) 1516年(永正十三年)、三木氏の当主だった重頼が死去し、直頼が後を継いだ。このとき、三木直頼は弱冠十九歳だった。 …

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3か月前
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飛騨神岡の武士「江馬氏」 史実に残る姿をまとめてみた(メモ)① 14~15世紀

はじめにこの記事では、戦国時代の飛騨国北部「高原郷」を中心に勢力を持っていた江馬氏について調べる。 調べた内容をまとめた記事ではなく、調べながら書いたメモである…

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3か月前
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子供が粉薬を飲んでくれないのでカプセルに詰める(神岡で入手できるものだけを使う)

息子氏8歳がインフルエンザにかかった。 ちびっ子がインフルにかかると、抗ウイルス薬のタミフルが処方される。 「朝夕二回、処方された全量を飲み切るまでやめてはいけな…

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8か月前
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『高原郷土史』から江馬氏に関わる記述を抜粋して読みやすくしたもの

「高原郷土史」より江馬氏に関連する部分を抜粋し、 旧字体を新字体に、送り仮名を現代風、数字をアラビア数字に改めたもの。 分かりにくそうな箇所には※印をつけ、その段…

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3年前
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【三国志正史】05曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 195年豫州侵攻~196年献帝奉戴

【三国志正史】05曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 195年豫州侵攻~196年献帝奉戴


曹操の豫州侵攻(195年冬)曹操は張邈の反乱を鎮圧し、兗州を再び支配下においた。

張邈の反乱以前、曹操は徐州を攻略目標にしていた。
徐州牧の陶謙は袁術・公孫瓚寄りで、曹操とは敵対関係にあった。
しかし徐州牧が陶謙から劉備に移ると、劉備は袁術と敵対するようになった。
曹操は袁術との戦いを優先し、徐州攻略は中止したようだ。

張超の籠っていた雍丘が陥落すると、曹操はその月のうちに南進を始めて豫州陳

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【三国志正史】04曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 徐州侵攻~張邈・呂布の反乱

【三国志正史】04曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 徐州侵攻~張邈・呂布の反乱



陶謙の兗州侵攻(193年)192年頃、陶謙は公孫瓚の求めに応じて兗州に出兵した(前述)。この時のことは詳しく分からないが、発干まで進出した陶謙軍は袁紹・曹操の軍に敗れた。

下邳で闕宣が挙兵し、天子を自称して数千人の軍勢を集めると、陶謙は闕宣と同盟を結んだ。
翌193年、陶謙は闕宣の軍勢を加えて、再び兗州に侵攻した。曹操軍が袁術との戦いで手薄になったところを狙ったか、あるいは袁術を支援しようと

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【三国志正史】03曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 192年東郡太守~袁術の兗州侵攻

【三国志正史】03曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 192年東郡太守~袁術の兗州侵攻


黒山賊との戦い(192年春)192年(初平二年)春、曹操は東郡太守・行奮武将軍として東武陽に政庁を置いていた。
曹操は兵を率いて出陣し、頓丘に陣を敷いた。
東武陽から黄河沿いに南西へ進んだところで、黄河を挟んで濮陽の北にある。

曹操とすれ違う形で、黒山賊の于毒・眭固は東武陽を攻撃した。
諸将は東武陽を救援するよう提案した。この時点の諸将と言えば、夏侯惇・夏侯淵・曹洪・曹仁・史渙らであろうか。武

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【三国志正史】02曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 190年反董卓連合の結成~

【三国志正史】02曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 190年反董卓連合の結成~


反董卓連合の結成(190年春)190年正月、反董卓連合が結成された。
この年から193年までが初平年間。

連合の結成を呼び掛けたのは、東郡太守の橋瑁。三公による決起の檄文を偽造し、諸侯に挙兵を呼び掛けた。
連合に応じた諸侯は、袁紹を盟主に推したてた。袁紹は車騎将軍を名乗った。

連合の呼びかけ人である東郡太守橋瑁は、兗州の陳留郡酸棗に駐屯した。
酸棗には、陳留太守張邈、山陽太守袁遺、兗州刺史劉

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【三国志正史】01曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 189年霊帝死去~曹操挙兵

【三国志正史】01曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 189年霊帝死去~曹操挙兵


霊帝死去 当時の曹操と周辺西暦189年4月(年は西暦、月は旧暦)、当時後漢の皇帝だった霊帝が死去した。

このとき、曹操は都の洛陽にいて、典軍校尉を務めていた。当時曹操は35歳。
典軍校尉は西園八校尉の一つ。新設された霊帝直属軍の指揮官だった。典軍校尉のほかに中軍校尉袁紹や、佐軍校尉淳于瓊などがいる。

この前後に都にいて、のちに曹操配下となるものには、守宮令荀彧、黄門侍郎荀攸、尚書郎華歆がいた

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【三国志正史】00曹操とその配下たちの記録を時系列順に整理する 前書き



はじめにこの回はただの前書きです。

『三国志』は読みにくい。時系列がわからん。
三国志の正史について調べるとき、もっとも基本的な資料は陳寿が書いた『三国志』になる。
3世紀に書かれた歴史書だ。

中国語(漢文)で書かれた歴史書なので、分かりにくいのも仕方ないのだが、ちくま学芸文庫から現代語訳が出ているので、内容が理解できないということはない。

しかし『三国志』は紀伝体。各皇帝の本紀にその時

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飛騨神岡の武士「江馬氏」 史実に残る姿をまとめてみた(メモ)② 戦国時代

江馬時経の時代三木氏代替わり直後の戦い(1516)

1516年(永正十三年)、三木氏の当主だった重頼が死去し、直頼が後を継いだ。このとき、三木直頼は弱冠十九歳だった。

三木氏代替わりのタイミングで、飛騨では戦乱が起こった。
例によって戦いの詳細は不明だが、三木氏の隙をつき、江馬氏が勢力拡大を図って戦いを仕掛けたものと考えられている。

戦いは翌1517年まで続き、最終的には江馬氏が敗退した。

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飛騨神岡の武士「江馬氏」 史実に残る姿をまとめてみた(メモ)① 14~15世紀

飛騨神岡の武士「江馬氏」 史実に残る姿をまとめてみた(メモ)① 14~15世紀

はじめにこの記事では、戦国時代の飛騨国北部「高原郷」を中心に勢力を持っていた江馬氏について調べる。

調べた内容をまとめた記事ではなく、調べながら書いたメモである。

江馬氏については軍記物に描かれていたが、現代では軍記物を読む機会がない。
軍記物に描かれた江馬氏の姿は、『高原郷土史』という本にまとめられていた。
そこで、前回の記事では『高原郷土史』を書き写した。

今回は逆に(?)、史料に残る史

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子供が粉薬を飲んでくれないのでカプセルに詰める(神岡で入手できるものだけを使う)

子供が粉薬を飲んでくれないのでカプセルに詰める(神岡で入手できるものだけを使う)

息子氏8歳がインフルエンザにかかった。
ちびっ子がインフルにかかると、抗ウイルス薬のタミフルが処方される。

「朝夕二回、処方された全量を飲み切るまでやめてはいけない」と病院で説明を受けた。
「インフルエンザには特効薬があるから苦しいのも今だけだよ。薬があってよかったね」と息子に話しながら、薬局で薬を受け取った。

んで、袋から出てきたのがコイツである。

量が多い。
ただでさえ粉薬には拒否感が強

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『高原郷土史』から江馬氏に関わる記述を抜粋して読みやすくしたもの

「高原郷土史」より江馬氏に関連する部分を抜粋し、
旧字体を新字体に、送り仮名を現代風、数字をアラビア数字に改めたもの。
分かりにくそうな箇所には※印をつけ、その段落または文の終わりに注釈をつけた。

一部の字はひらがなに置き換えた。
例:其→その。之・是→これ。専ら→もっぱら など。

一部の字を(ほぼ)同義の別字に置き換えた。
例:遁れる→逃れる。嗣ぐ→継ぐ 鬩ぐ→攻める など。

『高原郷土史

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