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ベスハチとライヴ現場の空白期間の行方

【前回記事↓】ライヴジャンキー引退?

前回、
年間ライヴ参戦本数 最大100本前後というライヴジャンキーだった わたしが
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ のワンマンライヴを最後に
突然ライヴ通いをやめたことについて書いた。

今回は
前回に引き続き失われた数年間についてと、
ベスハチの推し活再開に至るまでを書いていく。

数年分をギュッと圧縮しても大半がブランク期間の話にはなるが、
お付き合いいただける方がいれば幸いである。


如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。






▼ 崩壊は一瞬


2014年初夏。

夢だった音楽CDのジャケット製作に携わることが出来た わたし。

従来では隙間なく創作活動をしていたが
このCDイラスト制作期間ばかりは
それだけに神経を注ぐことに集中し、
その後は再びデザイン・フェスタへの出展を予定していた。


仕事が長引いたりすることを見越して
しばらく他の予定も入れずにいたものの

予想外に早く完遂出来たため、
出展活動の開始から5年目にして初めて
まとまった期間 活動を休む形となった。


その間、
改めて自身を振り返り考える機会となったが、

いざデザインフェスタが近付くと
何故か体が動かなかった。


休み無く活動を続けてきたところへ
急に長い期間休んだことで
肉体的にも精神的にも疲れていることに、
体の方が気付いてしまったのかもしれない。

それに加えて
何度か出展した某商業施設での催事に関して、
懇意にしてもらっているギャラリーさんへの不信感を得るような出来事も重なり、


それ以上に

自分の生活の中にライヴが無くなった上、
体が動かず創作活動も満足にできていない自分。

共に致し方無い休止状態ではあっても、


目標とするところへ常に全力疾走でなければ
いつまでもたどり着けないような気がした。

自分に表現したいものがありながら
それをせず頭の中に閉じ込めておく行為は、
それだけで罪だとも感じていた。

ライヴに行けないという状態は、
永遠に終わらない罪の償いをしているかのようだった。


自分の中の2大柱だったものが無い生活に
わたし が、
わたし自身に対して、
価値を見出だせなかった。


明らかに、
精神的にはくしゃくしゃで、
ドン底の、
底の底の底っぷちにいた。



「暇だから病むんだ」
とも言われた。

常に忙しくして深く考えず、
自動書記の如く淡々と作業的に物事をこなすのは確かに楽ではある。

前に進んでいるのかどうか、
根本的に道を間違えていないかどうかさえ、
忙しさを理由に
見えていないふりをすることができる。


ただ、一度向き合ってしまったからには、
見えていないふりなど
出来る訳がなかった。


ぐだぐだと中途半端なところで立ち止まっていても仕方がない。

一度きっぱりと、
長い時間をとって休もうと決めた。


とはいえ、
デザインフェスタには前年の時点で申し込み済み。

携わったCDリリース後
初めて表に立つということと、
前回 先行公開していた新作絵本の発売も予定していたこともあり、
さすがに出ない訳にもいかない。

一度休むと決めたら
多少気持ちが楽になったのか、
準備から出展まで どうにかこなすことが出来た。

恒例のブース内ライブペインティングをする気力は
ギリギリ残っていた様子。

精神的に かなりギリギリな状態での出展だった。


CDのリリース直後にこんな状態になり、
申し訳ない思いでいっぱいだった。


こうして、

SNSを含めて
対外的な活動のほぼすべてを
病気療養という形で
一旦休止する方向に落ち着いた。


翌年の春には
大規模な展示会の主催も控えていたこともあり、
休止期間は約1年程度を見積もっていた。


しかし予想に反して、

この休止期間の開始が

数年間にも及ぶ
長い長い人生の春休みの幕開けとなったのだった。



▼ 生存戦略


ライヴだけでなく、
創作・出展活動も無い期間。

本来であれば
2015年春には大規模展示会を予定していたが、

企画内容を詰めれば詰めるほど
当の企画を持ち込んで来た恩師の条件と
主催を任された我々OBとの条件が折り合わず、

結局のところ企画自体が流れたため、
わたしの活動の復帰も当面は延期となった。


それから しばらくは本当に
何もしなかった。


おいしいものを食べて、
景色の良いところに行く。

おいしいもの①
おいしいもの②
景色のいいところ、
の ついでにポケモンGO

友人たちと
様々なアクティビティやゲームに興じたり、
打ち上げの飲み会で笑い合ったりする。

マジック:ザ・ギャザリングやらTRPGに興じる合宿
ポケモンGOのイベントのため横浜近辺を徘徊

帰れば録り溜めたアニメを観る。

TVアニメ『ユーリ!!! on ICE』の影響で
一時期パートナーとブームになったアイススケート。
一時のブームのためだけにマイシューズまで買った。

そこそこ『普通』の人間の
『普通』の生活だった。


なるべく何も考えないように
ゆっくりと心を回復させるべく過ごしたのち、
改めて思いを巡らせた。



一方 ライヴは、
実は全く行かない訳ではなかった。


2013年5月、
高校生の頃から追っていて
2008年に解散したバンドである
Syrup16g のヴォーカル&ギター
五十嵐 隆 氏によるワンマンライヴ。

ライヴに行かないと決めた後
うっかりチケットを取ってしまったライヴだが、

この公演はソロ名義であるにも関わらず、
Syrup16gのメンバー全員がステージに立ち
シロップの楽曲を演奏するという形で、
実質 Syrup16g のワンマンライヴとなった。

のちの2014年、
syrup16g として正式に再結成し、
以降 毎年1度行われるワンマンライヴにだけは
友人Kと共に足を運ぶこととなった。


元々シロップの五十嵐氏は解散前から
希死念慮が高い傾向にあり、

以前からも
シロップ解散が早いか
五十嵐氏の自死が早いか 
という

ハラハラした気持ちでライヴを観るのが常で、
観客も地蔵状態・お通夜状態の空気のなか
一挙手一投足を緊張の面持ちで見守る会となっていたという経緯もあり、

シロップのライヴに行くことは
彼の生存確認の意味もあった。

一緒にライヴに行くことも すっかりなくなり
会う機会が激減したライヴ相方の友人Kだが、

共にシロップの生存を見守ってきたことから、
彼らのライヴにだけは連れ立って行くというのが
近況報告も兼ねた恒例行事にもなっていた。


シロップ再結成後も、
五十嵐氏がまたいつ解散前のような
死を匂わせる精神状態にならないかどうか
ヒヤヒヤしながら毎年見守っていたが、

この数年で 引き時、休み時を以前よりわきまえるようになったようで、
徐々に『年刊・俺』として定着してきた活動を
安心して温かい目で見守れるようになってきた。

五十嵐氏が生きて元気にやっている姿を
自分に重ねているような感覚もあり、

彼らのライヴで五十嵐氏の生存確認することは、
自らの生存確認をするかのようでもあった。


また、これらのライヴは全て奇跡的に
パートナーの家に行く日から外れていたため、
こっそりと行く事ができていた。

わたしにとっては、
唯一残された生命線であった。



▼ ライヴ遠距離恋愛は続く


シロップのライヴに年に1度は行きつつも、
対外活動を休止していた間。

散々ライヴに通っていたベスハチについては、
深見之春氏の入院と共に
SNSを含め情報をほぼシャットアウトしていた。


深見氏が心配であることには変わりなかったが、
自身が精神的に落ちていたところに
10年間 最も近くで見続けたバンドのメンバーの病気というのが

あまりにも身近で
さらに落ちてしまいそうになるのが怖かった。


また、ベスハチは自分の中では
ライヴ現場の象徴たる存在でもあるため

ベスハチのライヴに行く 
= ライヴ現場への復帰

という意識が強くあり、
ベスハチのSNSに触れてしまえば
この状況に身を置く自分を呪い続けることにもなる。

そういう意識をもってベスハチに向き合うのも、
なんだか違う気がした。


しかし いつかは、
また以前のようにライヴが観られるようになる日が来るのだろう。

大手をふるってライヴに行けない状況でも、
それだけは頭のどこかで感じていたのだった。


その間のベスハチが
とんでもない事態になっていようとは、
つゆほども知らぬまま。



▼ WAITING FOR MY FOOD


長い期間ライヴに行けないでいるうち、
音楽を聴くための基本ツールであった
iPodに入れた約3万を越える曲の中から
その時 自分の中でブームしている音楽をひたすらループする日々。

こうした音源を聞けば聞くほど、
ライヴへの渇望が沸き上がってくることと、

単純にiPodに曲を入れ過ぎて
新たに曲を追加しようとするとPCが極端に重くなってしまうこともあり、

音楽の新規開拓も中々できずにいた。


これまではずっと
音楽を聞く = ライヴ現場に行く
だったこともあるが、

わたしにとって音源というのは
さしずめ B級レトルト食品や冷凍食品であり、

ライヴの現場というのは
出来立てが味わえる5つ星の食堂やレストランでの食事だ。


極希にレトルト品が勝ってしまう場合もあるが、
ほとんどの場合において
この認識は揺るがない。

レトルト品を試して少しでも好みだとわかれば、
本物の味を知りたくなるのが人の性だろう。


ライヴに行けないことで開拓も抑えたために
すっかり音楽から離れた生活になったが、
その中でも自分の中でブーム化していた音楽を
わずかながら貼っていく。

例によって 興味がなければ次の章まで読み飛ばしていただき、
興味のある方はお付き合いいただければ幸いである。



AL(アル)

※元andymoriのヴォーカル&ギターの小山田壮平氏とシンガーソングライターの長澤知之氏を中心に、元andymoriのオリジナルメンバーである藤原寛氏と後藤大樹氏を加えたというスペシャルなバンド。
メンバーがメンバーなだけに、初動の時点から当時話題となっていた。
長澤知之氏はフェスで観て以来注目していたこともあり、願ってもないメンバーによる編成とであることも手伝い、目が離せないバンドであった。

kidori kidori(キドリ キドリ)

※知ったきっかけは忘れてしまったが、この手のバンドの音を聞くのも久しぶりだったこともあり、急激にハマったバンド。
聞いているうちに元andymoriの藤原寛氏がベースとして加わったことにより、さらにバンドとしての音が強化された。

核P-MODEL(かく・ピーモデル)

※元はといえばTVアニメ『妄想代理人』から入って聞いていた、70年代80年代ニューウェイブ・パンク・テクノ御三家のうちの一端を担う平沢進(ヒラサワススム)のバンドで、近年活動が活発になるうち、自分の中でも再燃した。
いまだにチケットが取れず、配信ライヴやDVD等で楽しんでいる状態だが、配信に乗ってもなお高いクオリティのライヴである。

D.A.N.(ダン)

※フジロックの配信ライヴか何かで観てドハマりしたバンド。
それまで毎年通っていたロッキンには自分の好きなバンドが徐々に減っていっていることを感じていたが、
この年のフジロックの配信を観て、自分の好みのバンドの多くはロッキンからこちらに移行したと同時に、自らの趣味もこちらの系統に移行したのだなという認識を得た。
基本はこうした型にはまった音源よりもライヴ音源やライヴ映像が好きでよく観ていた。

fresh!(フレッシュ!)

※以前から追っていたバンドdownyのドラマー秋山タカヒコ氏、ベースの仲俣和宏氏を中心に結成されたバンドで、それなりに長く活動していることは知っていたものの、中々音源が出なかったところでようやく出たものがこれだった。
ライヴにも足を運んでみたかったが、HPもろくに存在せず、ほぼSNSを中心に告知がされていたため活動を追いきれていなかったので、こうして形になって手元にきただけでも御の字と思ってしまった。
活動からリリースに至るまでの様子を見ていると、流動的なSNSをインフォメーション代わりに使用するのも考えものだなと強く感じさせられた。
ただ実際はそのすべてをはね除けるくらいには素晴らしい音源なので、全ては取るに足らぬことなのだ。
音楽でぶん殴って全てを黙らせるスタイル。

サニーデイ・サービス(さにーでい・さーびす)

※わたしが通っていた頃のフェス等では『曽我部恵一BAND』として出演しており、フェスでは必ず観に行くバンドのひとつでもあった曽我部恵一氏によるバンドで、2000年に一度解散後、2008年に再結成された。
元は渋谷系ロックの代表格のベテランバンドでもあるが、フォークロック寄りのイメージもあり個人的にはそこまで深く聞き込んではいなかったのだが、
このアルバムに至ってはこの頃の流行も縦横無尽に取り入れた挑戦的なサウンドや楽曲になっていて、今までのサニーデイにあった渋谷系フォークロックの型におさまったイメージを完全に覆すポテンシャルの高さを見せつけた作品として衝撃を覚えた。
「サニーデイってこんな音楽もやるんだ!?」とポジティブな驚きとともに改めて聴いてみようとなったのだった。

TRI4TH(トライフォース)

※TVアニメ『博多とんこつラーメンズ』のエンディング曲として使用されたことでハマったジャズ・クィンテット。
基本的に自分の行くような界隈にはこの手のジャズバンドがほとんど居ないため、レトルト状態の音源を聞く限りではあまり手が伸びなかったが、こちらのバンドは楽曲の良さに惹かれたということもある。
このバンドは のちにチバユウスケ氏ともコラボしており、下記に貼ったのでよければ観て欲しい。


くるり

※アルバム『ワルツを踊れ』を最後にしばらく離れていたが、
偶々耳に入ったこの曲に頭をぶん殴られる程の衝撃を覚えてからというもの再び追うようになり、慌ててライヴDVDを買い集めた。
くるりは特にだが、ライヴでの演奏アレンジが毎回ガラリと変わる上、セッションのようで最終的には始めから計算されていたかのように元の楽曲に戻ってくるという遊びの部分など、同じ曲でもライヴ毎にひとつとして同じアレンジの楽曲が無い程に多様なパフォーマンスを魅せてくれるところがすごい。
そしてずっと言っているが、この曲(通称 上海蟹)を複数人で雑に歌うカラオケ会をやりたいと常々思っているが、中々叶わずにいる。


音楽的にも潜っていた数年となったので、
カラオケに行く度にフェス常連の音楽仲間から
レパートリーの増えていなさ加減を突っ込まれていたが、

カラオケで歌うには不向きな曲や
そもそも配信自体されていないような楽曲ばかりを好んで聞いていたからでもある。


そうして音楽から離れていた数年ではあったが、

この期間に観るようになった深夜アニメでは
徐々にバンドの器用が増えていっており、

かつてのアニソン専門アーティストの楽曲が席巻するカルチャーでは無くなってきたことを
肌で感じるようになってきた。


特に松本大洋 原作漫画である『ピンポン』が
TVアニメ化された際、
主題歌に爆弾ジョニーのようなロックバンドが器用されたことも驚いた。


他にもTVアニメ『血界戦線』で器用された
BUMP OF CHICKEN であったり、


TVアニメ『十二大戦』に器用された
パノラマパナマタウン であったり、


TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』で器用された
batta であったり、


TVアニメ『アルスラーン戦記』で器用され
以前ベスハチとも対バン経験のある
NICO Touches the Walls であったり、


TVアニメ『BEASTARS』で器用され
わたしが追っていたThe John's Guerrillaの後継バンドである
ALI であったり、

挙げればキリがないほどである。

中でも特に驚いたのが、
TVアニメ『ニンジャスレイヤー』では
メインテーマがBOOM BOOM SATELLITES
毎回変わるエンディングテーマは
8otto6EYESLillies and Remainsを始めとして
完全にわたしの趣味と一致したラインナップであったことも衝撃であった。


これまでのアニソンとしてのバンド音楽は
どちらかというとエンディングテーマでの器用が多かったように思うが、

近年では主題歌での器用も増え、
それらがライヴの現場から離れた わたしを
密かに支えてくれているかのようでもあった。



▼ ダイナマイツすれ違い


2016年頃。
立ち消えになった大規模展示会の代わりに
学生時代のクラスメイトとグループ展を開催し
久しぶりに作品制作が出来た。

しかし出展経験のあるメンバーが ほぼおらず、
必要な様式作りに加えて著作権、
果てはネットリテラシー講座のようなものまでさせられる羽目になり、

結果的には自分の作品制作以外の部分で大きなストレスを食らい、
このグループ展を復帰のきっかけとするどころか
まだまだ休養が必要であるとの結論に至った。



そうして引き続き
人間らしい普通の生活をして早数年が経ち、
時は2018年秋頃。


パートナーとの普段の何気ない会話のなかで、
子どもについての話になった。


どうしても子どもが欲しいパートナーに対し、
どうしても子どもは欲しくない わたし。

はっきりと別れを示唆したつもりは無かったが、
これを交渉決裂とみたパートナーは

「こんなことで別れることになるなんて…」

と、呟いた。
実質のお別れ宣言と受け取ったようだった。


そしてその瞬間
子どもを理由に別れる = 自分より子どもが大事
という図式が浮かび、

その時点で わたしも
パートナーへの気持ちが
完全にスッと冷めてしまった。


20代の自分なら特に深く考えないうちに子どもを産んでしまえたと思うが、
これだけの年数が経つと、
流石に何も考えずに産めるフェーズはとっくに過ぎている。

それどころか、
具体的に結婚の話が出たこともない。

周囲の友人カップルは大体結婚していて、
当然 我々も結婚すると思われていただろう。


しかし
互いに目指すところが交わらないと解れば
ダラダラと一緒に居る理由はない。

話し合いの末、
ゲーム仲間との合宿をもって、
別れることとなった。


別れるからといって
すぐに全ての活動復帰とまではいかないが、

少なくとも創作活動においては
いざ立ち止まってよく考えてみれば
見えていなかった自分の思いが浮き彫りになり、

あれだけガツガツと活動した先にあるものが
本当に自分の求めていたものではなかったことに気付くことが出来た。

それだけでも、
この休止期間は無駄ではなかったといえる。


パートナーとも長い期間一緒にいたので
多少の寂しさはあれど、

心はとても穏やかで、晴れやかなものだった。



▼ 本格復帰までの様子見


パートナーと別れることが決まってから、
2018年、2019年にかけての
気になっていたライヴチケットを速攻申し込んだ。


まずはブランク期間中の新譜の数々でわたしを支えてくれた
GRAPEVINEのワンマンライヴに、

downySOIL&"PIMP"SESSIONStoe 等が出演する
LITE 主催の LITE15周年記念イベント、

そしてファミコン大会+ライヴ+DJのイベント、ファミ詣だ。

場に馴染めるか やや不安でもあったが、
ライヴ映えするバンドばかりを本当に久しぶりに観られる。
それが心底嬉しかった。


バインは長く会えなかったバインファンの友人ともニアミスに終わったが、
久しぶりに現場で音楽を聴くことの良さを
存分に噛み締められたライヴとなった。

下記の動画はこのライヴの翌日0時から先行配信された新曲。
バインをデビュー時のままのイメージを持っている人にこそ薦めたい。
何度聞いてもすごいとしか言いようがない仕上がりに震えた。


LITEの15周年ライヴについては
当時のライヴ映像が残っていたので貼っておく。

このライヴも他のバンド含めて最高だったし、
あれだけすごいバンドが揃っていながらも
ベストアクトとしては完全にLITEだったと思わせるライヴだった。


ファミ詣は初めてのソロ参加となったが、
いつの間にかオールナイトではなくなっており、
この回をもってファミコン大会はラストとのことだった。

上位陣は知人含めお馴染みの面子ではあったが、
数年ぶりのイベントでも難なく場に馴染むことも出来、嬉しかった。

下記はこの前年のものになるが、
だいたいこのような雰囲気。
出演者の中では音楽的に最も好きなKPLECRAFT(プレクラフト)。


ただ、
解放されたからといって
ほとんどライヴに行かなくなっていた人間が
いきなりトップギアで短期間に予定を詰めたため

これらのライヴ後は一気に疲れが出てしまい、
また悪癖が出てしまったと
さすがに反省した。

これによって、
次のライヴまでは
再び しばらく間があくことになるのだった。



▼ コロナ禍がこじ開けた宝箱


創作・出展活動はともかく、
ライヴ現場には復帰するつもりでいた2019年。

ペース配分を考えず
初動からトップスピードで走るマラソンの如く、
早くも息切れしたため深く反省。


音楽情報を取り入れるのもまだ控え目にし
2019年春頃からは

高校生の頃から数年間友人と遊んだゲームのスマホ版がリリースされたとのことで、
そちらを楽しむこととした。


しかし案の定、
このゲームもまた極端に時間を費やしてしまい、
その中で知り合ったメンヘラさんに粘着され、
結果的に再び精神を病むというオチとなった。

我ながら学習しない。



そこからの2020年。
そろそろライヴ現場にも行けそうな程度には回復してきたかな、という頃。

世間ではコロナウィルスが蔓延し、
ライヴどころではない状況となっていた。


行く予定だった恒例のシロップのワンマンも
配信ライヴという形態になり、

特にライヴハウスの現場では
観客を集められずに阿鼻叫喚、
という話も流れてきていた。

ただでさえ閉塞感のある空気のなか
そのあたりの負の感情を食らえば
ひとたまりもないことも予想できたので、

やはり音楽情報を得るのはやや控え目にし
在宅時間を充実させるべく、

しばらくの間は 漫画や
あつまれ どうぶつの森』に
ひたすら のめり込む日々となり、
2020年を終えた。

ライヴ現場が恋しすぎたあまり、
あつ森内でフェスのステージをこさえるなど。
こちらは2023年時点のもの。
ライヴの醍醐味は音の圧のみならず、
人々の熱狂もまたスパイスなのだ。


2021年、
コロナ禍となって約1年。

ふと、
根っからのライヴバンドであるベスハチ
この状況でどうしているのだろう?
と気になった。

2013年以降は
ろくに彼らの活動を追っていない。
ただ、
どうやら現在も精力的に活動しているらしい。

ひとまず音源を一気に買い集めた。


追えていなかった間のことを調べてみると、
知らなかった事件のオンパレードであった。


ヴォーカル ミワユータ総帥の
脳炎により入院し死の淵をさ迷った上、
双極性障害であることが判明し、
失音楽症にまでなったにも関わらず
見事生還を果たしていたこと。

↓総帥による当時のエピソード現在連載中

↓見事復帰を果たしたのちに公開されたMV

ユータ総帥の失音楽症が治る保証もないうちに、
他のメンバーは復帰を信じて居場所を守るべく

ギターマン こふじ氏をギターヴォーカルに据え、
ベースの菅原俊司氏、ドラムの和泉大佐という
3ピースバンドとして活動していた時期があったこと。

知らない間にキーボードのメンバーが加わり、
知らない間に脱退していたこと。

↓キーボードメンバーが在籍していた頃のMV

恒例のユータ総帥の誕生日イベント シカト祭り
2019年の時点で最終回を迎えていたこと。

兼ねてからメジャーバンドのライヴで通った
渋谷CLUB QUATTROのステージに立ったこと。

ライヴ自粛中に新設されていた
Zepp Diver City Tokyoの大舞台に立ったこと。

入院後の状況が気がかりだった
深見之春氏が余命宣告までされたのち、
骨髄移植の適合者が見つかり無事手術が成功し、
現在リハビリに励んでいること。

そしてファンの呼称が
ゼルバニア
という、
やたらと強そうな呼称になっていること。


情 報 過 多 !!!!!!


本当に長い間、
彼らの様子を追えていなかったことを実感した。

これだけの困難を乗り越えるのは
一口に大変とは言い切れぬものだったと思う。


ライヴ自粛開始からの状況が不明だった深見氏も快方に向かっているとのことで、
すぐにも現場に駆け付けたいのは山々だったが、

やはり これだけ長いことブランクがあると
現場に行くのもやや躊躇してしまう。
(ゼルバニア、名前が強そうで こわいし)

何よりコロナ禍だ。

とりあえず当面は
SNSでゆるくベスハチの活動を追いながら
現場復帰の機会をうかがうのだった。



▼ エピソード過多、上乗せ


2020年12月。
相変わらずコロナ禍は続いた影響で
ライヴらしいライヴも観られずにいた頃。


突如、
ベスハチの公式Twitterより
以下のような告知がされた。


このツイートを見ても、
何のことかわからなかった。

次第に状況がわかってきても、
どうしたらよいのかわからなかった。

もしかして音楽の神様、
好きな子程 いじめたい というやつでは?

そうでも思わないと、
これだけ降りかかる苦難の度合いと数は
説明がつかないようにも思えた。

現場への復帰どころではない。
祈るような気持ちで、続報を待った。


そのうち、
この時のような自分の立場の者でも
総帥の役に立てる企画が立ち上がった。

その名も
セイブザクイーンプロジェクト』。

こうして支援させてもらえる上、
それがグッズとして手元に残る。

こちらが支援する立場なのに、
こんなに格好いい素晴らしいグッズまでいただいて良いんですか?
実質無料なのでは???
という思いしかなかった。

知るや否や、即座に購入。

このような身の上でも支援させてもらえる事がありがたい。
まさにユータ総帥の存在感を象徴するデザイン。
ステージ下から見上げるようなアングルで撮ってみた。


そうして
ユータ総帥は無事に手術を終え、
左胸を全摘出するに至った。

以前から衣装の一部でもあったお胸だが、
それが無くなったとしても、
元気に生きていてくれることが何よりである。


乳がん闘病の模様は ユータ総帥自らが
面白可笑しく綴っているので、
是非下記のブログを読んでみて欲しい。

↓ミワユータ総帥ブログ
笑える乳がん闘病日記

転んでもタダでは起きない精神性は、
まさにアイアンガールだ。


久しぶりにグッズを購入したことが弾みとなり、
以降はユータ総帥による乳がん闘病記を読み
徐々にベスハチへの距離を詰めていった。


コロナ禍を無事切り抜けることが出来た時は
再び必ず現場に駆けつけよう。

そう誓ったのであった。


次回へ つづく。


最近配信ライヴでも聞いていて好きだな、
と思うと同時に
めちゃくちゃライヴ映えする曲。

この音源に関してはキーボードのメンバーが在籍していた頃のものだが、
キーボードのサウンドがギターサウンドに変換されたことでより一層わたし好みの楽曲となった。

👑 Elizabeth.eight(エリザベス エイト)

Webサイト
https://beth8.net/

YouTube公式チャンネル
https://m.youtube.com/@ELIZABETHEIGHT

X(旧 Twitter)
https://twitter.com/ELIZABETH_EIGHT

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