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ベスハチとライヴ現場からの遠距離エンタメ生活

【前回記事↓】ベスハチVSハンズイン@渋谷AXでの伝説のツーマンライヴ

前回、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ が、
ザ・ハンズインポケッツ と共に
インディーズバンド業界前代未聞の
渋谷AX ツーマンライヴ
大成功へと導いたことについて書いた。

今回は
これを書く わたし自身が
諸々の休眠期間に入るため、
ベスハチから離れていた
失われた数年間について書いていく。

あくまでも自身のことがメインゆえ、
ベスハチ関連の描写はわずかになるが、
お付き合いいただける方がいれば幸いである。


如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。






▼ エキシビション・ドランカー


2010年に
エリザベス・エイト
ザ・ハンズインポケッツ
の完全無所属の2バンドが
渋谷AXでのツーマンを無事終え、

その後も変わらず
精力的にライヴを行っていたベスハチ。


対して わたしの方は、
数年前から自身の絵本創作・出展活動予定を
常にパンパンに詰め込んでおり、

その引き換えに、
100本前後行っていた年間ライヴ本数は
2011年にはとうとう30本前後にまで落ち込んだ。

ベスハチのイベントも
シカト祭りやナノベス企画、
ツーマン、ワンマン等の
キーイベントに行くのが精一杯で、

2003年以降は毎年欠かさず行っていた
ROCK IN JAPAN FES.へも
2011年で初めて不参加となった。



当時は大きく分けると
バイト! ライヴ! 創作・出展活動!
という生活。

ライヴのためにバイトをし、
ライヴで浴びた養分を創作活動にぶつけるという
絶妙な塩梅で成り立っていた日々であったが、

創作活動を重ねるにつれ
徐々に出展規模が大きくなってゆき、
自分ひとりでは準備や対応が追い付かなくなってきていた。

参考までに、最大限シャレオツに撮った自作絵本作品。
作品数が増えると、その分だけ必要在庫の準備に追われる。

特に
年に2度 出展していた大規模アートイベント
デザイン・フェスタでは
年々増える来場者数に対応するため、
周囲の友人や当時のパートナーにも製本作業や販売を手伝ってもらったり、

他にもこうしたイベントに限らず、
普段の展示会等の搬入出作業等もサポートしてもらったりしていた。


ひとりで回らない時点で
活動内容や出展先、
それどころか目標の再設定など、
諸々の見直しを行うべきだったのだが、

一度にたくさんの人に自作絵本を手にとってもらえる機会となるデザイン・フェスタにおいては
活動の要となっていたため
参加しないという選択肢は無く。

かといって、
普段出展する小規模な展示会では
デザインフェスタのようなイベンターズ・ハイ状態の来場者と違い、
じっくりと作品を手にとってもらう良い機会だ。

また、
そういった場に出ることで
自身においても作家同士の縦横の繋がりやギャラリー関係者との繋がりを作り、
さらに活動の幅を広げることが
先々の目的には必要不可欠であると考えていた。


当時は とにかくガツガツしていて
なりふり構わず、
創作と目標以外のことは深くも考えず、
一心不乱に活動した。

切れ目無く続く創作・展示活動で、
完全にハイにもなっていた。


そして
その活動やバイトの疲れを癒すとともに
パワーチャージ、
創作の原動力やインスピレーションを得る役割も果たしていたのが、

わたしにとっての音楽ライヴだったのだ。

永久機関の完成だった。



▼ 通告


そうしてライヴに創作活動と
目まぐるしく過ごしながらの
2012年5月某日。

デザインフェスタの出展を終えて2週間が経ち、
解放感に満ち溢れつつ
ROCKS TOKYOという、
新木場若洲公園で行われる野外音楽フェスに行くための準備をしていた。

前年にも参加したフェスだが、
梅雨の雨で水はけの悪い会場は沼のようになり、
田植えフェスなどと呼ばれたりしていた。


当時、
わたしは大抵の週末はパートナーの家におり、
この日も同様だった。
(※会う予定を毎回ダラダラと連絡し合って決めるのが面倒かつ無駄な行為に感じていたため、とりあえず何も考えなくて済むよう毎週通っていた)

パートナーはフェスには不参加で、
共通の友人である音楽仲間数人とわたしとで参加する予定だったが、
東京都内での週末2daysのフェスであったため、
都心にも近いパートナーの家から2日間通わせてもらうことになっていた。



音楽仲間とフェスの集合場所等の連絡を取り合っていたところ、
パートナーが突然、
神妙な面持ちで切り出してきた。


「ライブとか、いかがわしいところに通ってる人とは、ちょっと…先のことは考えられないかな」


いかがわしいところ?


い か が わ し い と こ ろ ?




──異議、ありありだ。


そもそも わたしは
ライヴの現場に足を運ぶ際、
音楽そのもの以外には ほぼ興味を抱いておらず、
演者どころかファン同士の交流も最低限で、
ライヴだけ楽しんでサッと帰るのみである。

所謂 古典的な意味でのグルーピー的な、
演者に恋愛的・肉体的な関係を求めて近づくファンは都市伝説的に存在するイメージこそあれど、

少なくとも わたし自身や わたしの周辺では
一切 そういった事象は観測出来たことが無い。


ファン心理として
演者のステージ上での姿が素晴らしければ、
ステージを降りてもさぞ素晴らしいのだろうと期待するのも わからないでもないが、

特に演者の人々は
ステージ上でパフォーマンスをする様が至高
であり、
ステージ上だからこそ輝くのだ。

自らもモノを作り表現する者として
作品性と本人の性質が必ずしもイコールになるとは限らないし、
磨き抜かれた作品・パフォーマンスの輝き全ては
それそのものにのみに集約されている
ということも身をもって実感するところである。


何よりも、
応援したいバンドであればあるほど、
お近づきになった結果として身内化することで
純粋なファンとは異なる存在になってしまう

身内や内輪でキャッキャするだけのバンドであると外野から認識されることで
新規ファンは寄り付かなくなり、
それ自体がバンドにとってマイナスである。

いちファンとしても、
音楽ファンとしても、
バンドにとってマイナスになる行為だけは避けなくてはならない


そういう信条のもとライヴを観て来たし、
ステージを降りた演者と多少絡みがあろうが
無駄に踏み込まず踏み込ませずにキッチリと線引きしており、
実際 極めて清く正しく健全にライヴに通ってきた覚えしかない。


ろくにライヴハウスに足を運んだこともないパートナーの言う
いかがわしいところという認識は

少なくとも年間100近い現場に足を運んだ自身の経験と照らし合わせると、

深い交流を持たぬがゆえに
ほぼ全てが極端に健全な現場だったため

あまりにもピンと来ない話であった。



元々、
当時のパートナーとは
DOPING PANDA(ドーピングパンダ、通称ドーパン)のファンによるDJイベントで仲良くなった音楽仲間の紹介で知り合ったが、
※参考↓

当の音楽仲間と違い、
音楽やライヴをほとんど嗜まない人であった。

唯一わたしと共通するところでは
POLYSICSが好きで、
幼馴染の音楽仲間とも一度ライヴに足を運んだことはあるという。
それも、恐らくわたしも行っていたライヴだ。
※参考↓

わたしがライヴ狂いであることは承知の上だと思っていたし、
それまでにもパートナーを何度かフェスやライヴに連れて行ってみたこともあった。

フェスとしては比較的 楽な屋内開催のフェスに連れて行ったが、
特に肌に合わなかったのか、
終始不機嫌だったことをよく覚えている。


そのため、
一応誘いはするものの
基本は断られるのが続くうち、
パートナーを誘うことはなくなっていた。


そこで察するべきだったのだろうとも思うが、
この通い妻状態の生活になって、
まぁまぁの月日が経っている。

何故、このタイミングで言うのか


最早、
フェスに行くどころではなくなってしまった。


が。
前述しているとおり、

創作・出展活動において、
友人やパートナーのサポート無しでは居られない状態となっている。

その、
色々と手伝ってくれた本人を置いて、
自分だけフェスに行った挙句、
彼の家をフェスの宿泊宿替わりにしようとしている。
(しかも この日に限った話でもない)


………これは
完全にわたしがクズ野郎なのでは?


何より、
そこまで溜め込む程悩ませてしまったことも、
申し訳なかった。


それまでにライヴやフェスに連れて行ったのも、
同行してもらえれば
子犬一匹で留守番をさせるかのようなことには
ならないはずだと思ったからだ。

また、やましいことなど何もないという状況も見せることが出来た、とも。


そうするうち、
いつかはライヴの楽しさをわかってくれるであろうと信じていたが、
依然ライヴに対して負の感情を抱えたまま
それを払拭させることはかなわなかったらしい。

人にも合う・合わないはあるものだ。


そして
ライヴ=いかがわしい という認識。

身近なところでは、
当時よくライヴに通ったバンドのメンバーが脱退した際、
素行不良が原因のクビだったということ。

やたらと色々なバンドの打ち上げに参加して事情に詳しい友人から耳打ちされた、
クビになったメンバーが実はファンと相当遊んでいた「らしい」という話。

別のバンドマンの友人からの、
自分やバンドメンバーを完全に恋愛対象とみて近付いてくるファンも少なくないという話。


そういう界隈・人種は都市伝説でもなく何処かには確かに存在するのだという感覚はあり、

「いかがわしさ」が存在するか否かについては
完全には否定できないものだった。


わたし自身がピンと来ない程度には関知の及ばぬところでの話ではあったが、

そもそも無理に取り繕ったところで、
否定的な感情を持った文化について
受け入れる気のない人間にいくら実態を見せようが、
わたしの実情を証明することは難しいのだ。


これは所謂、
ライヴとわたし、どっちが大事なのよ!!
というやつである。

諸々の活動を手伝ってもらっている身としては、
軽々しく「ライヴ」などとは言えなかった。


ただ、わたしにとってのその質問は、
パンとご飯、どっちが大事なのよ!!
と同義である。
(大事?)

それどころか、
麺類や芋類が入っていないのは解せぬ。


全てをおいしくいただいて自身の糧とする様に、
ライヴや創作というものの上に、
わたしという人間のアイデンティティが形成されているのだ。

ただ、
その根底部分から既に認識が異なるようでは
話にならないのである。


パートナーを紹介してくれた音楽仲間の顔が浮かんだ。

音楽以外にもゲームやその他あらゆるエンタメやレジャーを共にした最高に楽しい友人だし、
この前月には、
ドーパンの解散ライヴへ一緒に行ったばかりだった。

彼はわたしのパートナーとは幼稚園の頃からの付き合いで、
気が早すぎるが、わたしとパートナーの結婚式のスピーチ内容まで考えていたという。

選択次第では2人に対しても、
他の友人たちに対しても義理を欠くことになる。


観念するしかなかった。


わたしにとっては苦渋の決断であったが、

ここで、
10年続いた音楽ライヴ通いを
やめることにした


創作活動が活発になっていたことで
ライヴ本数が全盛期より格段に減っていたことも
決断の後押しとなった。


この週末は
フェスの現場でしか会えないような音楽仲間も来ると聞いていたため、
フェスの予定自体が潰れることが単純に悲しかったが、

インプットよりアウトプットを優先すべきだと、
自身に言い聞かせた。


自分が蒔いた種だ。

フェスの2日通し券を財布に入れたまま、
音楽仲間がSNSで現地やフェス飯の数々の写真をアップする様子を横目に、
その週末を終えた。

長年集めた大事なコレクションを妻に勝手に断捨離される夫の気持ちも
これに近いものがあるのかも と、
ぼんやり思った。



▼ LOVE & THANKS


もう、ライヴには行かない。

そう決めてから、
どうしてもこれだけは と懇願して行ったのは

2012年6月30日
柏616での、
ELIZABETH.EIGHTのワンマンライヴ


最後のライヴは、
わたしの人生におけるライヴ生活の入り口となり
変わらず10年間追い続けて来た
ベスハチで締めようと思った。

奇しくもこの時点で、
10年目を過ぎたところだった。


その前に開催された恒例の、
ミワユータ総帥の誕生日イベント シカト祭り
時期的に自身のデザインフェスタへの出展と被るため参加が叶わなかったので、

せめて、
ギターマン こふじ氏の誕生日でもある
このワンマンライヴだけでも、と。


ライヴ戦闘服として、
この頃にはすっかりお馴染みとなったベスハチTシャツを着る。

その中でも特にお気に入りの、
銃声に鳴る彼のタンバリン
の楽曲がモチーフになったデザインだ。


この日もたくさんの人が詰めかけていて、
いつもの小規模なライヴハウスながらも
仲良くしていた他のベスハチファンの何人かとは遭遇できなかったほど。

いつもの柏のアットホームな雰囲気と共に、
この日も もみくちゃの中跳ねて踊って、
全力で楽しめたライヴであった。


細かい部分はメモが残されていなかったが、
少なくとも、以下のような曲が演奏された。

2012年6月30日
ベスハチワンマンライヴ@柏616
セットリスト(一部)
・ジェットコースタードライブ
・NO READY号
・ジャンパピン
・ゾンビーナ
・アンデッドマン
・シック・ア・ゴー
※ダブルアンコールあり

ワンマンなのでもっとたくさんの曲を演奏しているはずだが、
わたしがベスハチのライヴに来られない間にも
把握できていない新曲が数多く存在しており、

久しぶりのベスハチのライヴであると実感させられるとともに
以前にも増してパワーアップしたステージとなっていて、
中には2024年現在でもライヴの定番曲となっている曲も演奏された。

冒頭の
「ラーラララーラー ラーラーラー♪」
という歌い出しが印象的な
シック・ア・ゴー」という曲もそのひとつだ。

ここで初めて聞いた楽曲であるにも関わらず
実に体馴染みがよく、
こうしたぎゅうぎゅうに人が押し寄せるライヴでこそ聞きたくなる、
抜群に楽しくピースフルな中、拳を振り上げ躍れる曲だ。


自身の最後のライヴ参戦を飾るにしても、
悲しみや切なさはどこにも無く、
ひたすらに楽しさだけが残るライヴとなった。


その結果、
ライヴ後の楽しさでふわふわした頭では

これが最後のライヴであると覚悟しながらも、
またいくらでも来られるだろうと
どこか楽観的に捉えてしまっていた。

ライヴというだけでパートナーとは
一触即発のような空気感となっていて、
別れるのも時間の問題だろうとも思っていたからでもある。


ベスハチが柏でライヴをやるようになった頃から仲良くしていたベスハチファンの子たちとも、

「またベスハチのライヴで会おうね!!」

とお互いに言い合っていたくらいである。

これを最後にしてやるものか、
という思いもあった。


しかし その思いに反して、

この日のベスハチワンマンライヴを最後に、
2012年のライヴ生活は
完全に幕を閉じるのであった。




▼ パンが無ければパスタをお食べ


ライヴが自分の生活から消え、
ひたすら創作と展示会やイベント出展に打ち込んだ。

とはいえ音楽ライヴ以外にも自分には、
創作・展示活動の他にも、
浅く広く手を出して来た
アニメ、ゲーム、漫画等のエンタメがある。


年に1度の学生時代の友人たちとの集まりで
ライヴには一切行けなくなったことを話すと、

わたしがライヴ狂いであることを知っている友人たちは
皆一様にひっくり返るほど仰天した。

あおい からライヴを取ったら何も残らn…!……!!


いやそれ ほぼ全部言っちゃってる。

だが、
例えライヴ通いが無くなったとて、
その場に居た友人の誰よりも

わたしが一番楽しめる趣味を数多く持っていて充実していると断言できる。

何に重きをおくかは人それぞれなので
もはや何も言うまい。



それまでバイト生活だったが、
平日のライヴに行くことも無くなったため
これを機に就職し、
平日は仕事。

絵本や絵の作画作業・関連雑務等は、
週末にフレッシュネスバーガーで行う。

行動範囲内にある本屋で漫画の新刊を物色する。

美味しいカフェでご飯を食べる。

音楽仲間との集まりから派生したゲーム会で、
モンスターハンターをやって騒いだり、
マジック:ザ・ギャザリングに興じたりする。

パートナーの家に行けば、
ひたすらアニメ鑑賞。


慣れてくれば、
ライヴに行く余地はどこにあったのか?
と思う程、充実した生活ではあった。


わたしという人間の極端さから
ライヴがアニメに置き換わったことにより
その分鑑賞作品数が爆増した。

アニメは元は熱心に観るような習慣も無く
学生時代に夕方に放映されるアニメをメインにゆるく観ていたのが、

パートナーの影響で深夜アニメも観るようになり、
週末の創作活動以外のメインの過ごし方は
もっぱら録り溜めたアニメ鑑賞だった。

季節ごとの新アニメ情報を事前にチェックし、
気になる作品の1話を観て継続視聴するかどうかを決める。


ライヴに行かないと決めた後、
原作が好きで観ていた『坂道のアポロン』という
ジャズをテーマにしたアニメで
ちょうどクライマックスを迎えており、

大好物なセッションが流れたことで、
現場に行けなくなってしまたのは悔しいが
やはり音楽は素晴らしい、と再認識させられたりもした。


また同年には、
ベスハチと共同イベントを行ってきたナノライプが、
アニメ『人類は衰退しました』の主題歌に起用されたことにも驚いた。

アニメを観る習慣がついていなければ、
絶対に知ることはなかったろうと思う。


実際色々なアニメを観ていくうち、
創作する者としても刺激を得られることに気づいてからは、
行けなくなったライヴの穴を埋めるかの如く
貪るようにアニメを観ようになるのだった。



▼ 禁ライヴ中の音楽生活


ライヴの現場に行けなくなってからというもの。

頻度こそ落ちてはいても
ざっくりとベスハチの動向や、
その他の音楽ニュースはチェックしていた。


また、
アニメを観るようになったことで、
音楽仲間かつゲーム仲間の中でも
アニメとカラオケとフェスやライヴが好きなメンバーとわたしの3人で遊ぶ機会が出来てきた。
(共通の友人ではあるものの、例によってパートナーは入っていない)


その中で共有したり、
音楽関連ニュースを漁るうちにハマった音楽をまた貼っていく。
ここも興味がなければ次の章まで飛ばしていただいて構わないが、
お付き合いいただける方は是非。


The Future Ratio(フューチャーレイシオ)

※2010年に活動凍結しつつも2024年に活動再開するthrowvurve(スロウカーヴ)のヴォーカル&ギターのナカムラリョウ氏を中心に、メンバーを拡充し再編成したバンド。
現在は既に活動していないが、ライヴに行けない分唯一存在する音源をひたすらリピートして聴いていた。
音楽的には大元のスロウカーヴより好みだったりする。

ドレスコーズ(どれすこーず)

毛皮のマリーズのヴォーカル志摩遼平氏を中心に結成されたバンドだが、2014年時点でバンド編成ではなく志摩遼平氏によるソロプロジェクトとなり、ライヴやレコーディングのメンバーも流動的な形態になった。
ライヴでは時折 毛皮のマリーズ時代の楽曲も演奏される。
自分としてはメンバー1人のワンマンバンドよりもバンドの音作りとアンサンブルを好むため、バンド形態の頃が一番聴いていたと思う。
ライヴDVDはリリースの度に欠かさず購入しており、
ライヴごとの楽曲のアレンジも流動的でひとつとして同じ印象にならず毎回飽きさせない魅力があるが、
ライヴに行けるようになった現在でも現場に行ったことはない。
毛皮のマリーズ時代よりも、現在の志摩遼平氏を前にするとオーラに当てられ目が潰れそうな気がしてしまうという謎。

white white sisters(ホワイト ホワイト シスターズ)

※音楽仲間から教えてもらったバンドのひとつで、個人的にポスト・ブンブンサテライツ、くらいの感覚でいる。
わたしと同じくブンブン好きな友人の紹介なだけある。
このバンドについてはギリギリでライヴに行かなくなる前年のカウントダウンジャパンフェスでもライヴを観ていて、それ以降より一層ハマった。
ライヴでの音の洪水が心地よいバンド。

Mop of Head(モップオブヘッド)

※一番聴いていたEPはタワーレコード限定盤だったためサブスクに無く、やむ無くこちらを貼る。
このバンドもブンブンサテライツが好きな音楽仲間から教えてもらったもので、クラブミュージックをバンドサウンドでやるというのが非常に好みに合っていた。
上記のホワイトホワイトシスターズと同様、ライヴに行かなくなった前年のカウントダウンジャパンフェスにてライヴを観ている。
最近の音源は方向性がやや好みとズレ気味ではあるものの、根底にある音楽性が好きなバンドである。

betcover!!(ベットカバー)

※時折覗いていた音楽webメディアから知った、当時まだ高校生という若く才能溢れる柳瀬二郎氏のソロプロジェクトであったが、2024年現在ではバンド形態となっている。
この曲だけ異様にどハマリして聴いており、
近年のフェスの配信ライヴで初めて観た時、フロントマンの柳瀬二郎氏のパンチパーマに髭にサングラス姿という見た目の治安の悪さにびっくりした(聴いていたEPのジャケット写真の印象だったので)

GRAPEVINE(グレイプバイン)

※フェス等でライヴを観ることをメインに楽しんでいたバインだが、音源のリリースは切れ目無く追っていたものの、
2014年になって くるり等も所属するレーベルであるSPEEDSTAR RECORDSに移り、移籍後初のアルバムである『Burning tree』はバインとしての新境地を開いたような作品となったことで個人的に再燃した。

パソコン音楽クラブ(ぱそこんおんがくくらぶ)

※時折覗いていた音楽webメディアから知った音楽ユニット。
基本的にはインスト音楽で、近年では女性ヴォーカルの入る曲もやるようになっており、個人的には完全にインストの方が好みなので、ヴォーカルあるなしでグループを分けてほしい気持ちがある。
音源としての完成度も高いが、いまだ足を運んだことのないライヴでは、ほぼクラブミュージック的に大胆にアレンジしてくるので早く浴びに行きたい。
2024年、初めてフェスで観られる予定ができて今からわくわくしている。

THE ORAL CIGARETTES(ジ・オーラル・シガレッツ)

※TVアニメ『ノラガミ』で知ってハマったバンドだが、アニメ自体はハマらず数話で観るのをやめてしまい、オーラルという音楽だけが残った形。
サウンド面よりも楽曲が好き。
聴いていたのは2018年頃までがピークで2024年現在では音源のリリースも追っていない。
主にカラオケで歌うのが楽しいバンド。

WHITE ASH(ホワイトアッシュ)

※偶々ラジオか何かで聞いて知り、好きになってからしばらく追っていたバンド。
ロックなサウンドの中にも芯の入ったイノセントなヴォーカルがたまらない。
2017年には解散している。
語感を重視しているために詞の内容としてはほとんど意味を持たないが、自分としては基本的に音楽は言語よりも音で認識しているので何の問題ないし、そういうところがむしろ面白くもある。
特にこの曲が好きで、誰かにカラオケで歌わせたくて周囲に猛烈プッシュしてみたが、今のところ叶っていないのでいつか誰か叶えて欲しいものだ。

覚えている限りでダイジェストで紹介したが、
中でもやはり楽曲として安定感のあるバインが最も聞いていて、
2024年においても切れ目なく聴いている状態だ。
新しいものを取り入れつつも、
根底にある自分達の音をブレずに築いているからこそ聴き続けられるのだろうと思う。



▼ 衝撃のニュース


2013年。

わたしが高校生の頃からずっと追っており、
2008年には解散した syrup16g
このヴォーカルである五十嵐 隆氏が突然
ソロ名義のワンマンライヴの開催が告知された。

しかも公演タイトルは『生還』。

解散以来、
他にもバンドをやっていたようだったが
そちらは大きく告知されることはなく、

しかも『生還』というタイトルは、
シロップの再結成では?
と、わたし含めファンをざわつかせた。


ライヴの開催は5月。
待ちに待った五十嵐氏の活動再開であったため、

こればかりはどうしてもと、
ライヴに行かないと決めたにも関わらず
何も考えずにチケットを取っていた。


その日を緊張の面持ちで待っていたが、

当のライヴのわずか数日前。
別の意味で衝撃のニュースが飛び込んできた。



ベスハチのギターマン、
深見之春氏の突然の入院


原因等の詳細は、
この段階では知らされなかったように思う。

病名としては
急性骨髄性白血病

ベスハチのライヴに最後に足を運んでから約一年が経過していたが、
SNSではベスハチの活動状況を追っており、
その中でのことだった。


わたしは中学時代、
神奈川に住む幼馴染みを白血病で亡くしていた。

気が気でなかった。


しかし、
どうすることもできない。

これを理由に一年ブランクのある現場に行ったところで、
深見氏ご本人は居ないのだし、
彼の居ないステージを見てしまえば、
きっと楽しいだけでは終われない。

とにかく、回復を祈るしかなかった。


しかし深見氏の入院以降
ベスハチのSNSも怖くて中々見られずにいるうち、

自身の活動としてもピークに達しようとしていた。



▼ 夢、叶えてしまった


2013年の秋頃。

相変わらず創作・出展活動を精力的に進めていたわたしであったが、

不意に見知らぬアドレスからメールが来た。


これまでに怒濤の勢いで展示活動をしていたおかげで、
この頃にもなると
様々なギャラリーからの展示のお誘い関連の連絡が入るようになっていた。

しかし今回のメールは様子が違う。


それは、
ボーカロイド楽曲製作等を行っている
カラスヤサボウさん からの、
アルバムCDジャケットとブックレットのイラスト製作依頼だった。


精力的な活動と地道な縦横の関係づくりを行っていたがゆえに参加が叶った展示会で、
わたしの作品を見ての打診だという。

絵本の製作や展示をメインに活動していたため、
この手の連絡が来るのは初めてだった。


ボーカロイド系は音楽としては敬遠していた方であったが、
いざ送られてきたサンプル楽曲を聞くと、
サウンド面ではギターの音が印象的な
やさしい雰囲気がありながらもどこかヒリついたスパイスが感じられるロックで、

それまで持っていたボーカロイドのイメージを覆すような、
わたしにとっても好みなものだった。

しかも、
『ページがバラバラになった絵本』
というコンセプト。


本来こうしたイラスト製作依頼を受けるつもりはなく、
あくまでも自らの意思で作品製作・発信することを信条としていたが、

自分のようなテイストの絵で
こんな形で音楽と関われるとは、
全く思ってもみなかったことだ。

しかも、
作るのは絵本のようなもので、
音楽はちゃんとしたロックだ。

これが決め手になった。


二つ返事でOKし、
楽曲のリリース元である会社へ足を運んでビビり散らしたりもしたが、
2014年の始め頃にかけてやりとりを続け、
もがきながら製作しつつも なんとか完成に至り、

あれよあれよという間にリリースに至った。

動画にはジャケットやブックレットイラストが使用されており、心底感動した。

CDジャケットのイラスト。
元のイラストがこれ以上ない程に映える、
デザイナーさんのデザイン力に脱帽の極み。

↓参考用 特設サイト


自分にとってのCDジャケット製作というのは、

『自分の条件的に厳しいから叶わないだろうけど とりあえず夢のひとつとして書いとけ』シリーズ
の ひとつで、

全く予想だにしないところで叶った夢となったのであった。



ただ、


この製作にかなりの精神力を費やしたこと

休む暇もない程に
絵本製作・出展活動を詰め込んだこと

ライヴに行かない生活が続いたこと

これら全てのガタが一気に押し寄せて来たのか、


2014年5月のデザインフェスタ出展を最後に

SNS含めたほぼ全ての活動の
休止を余儀なくされたのであった。


次回へ つづく。


ベスハチのライヴでは冬限定の『氷点下』。

当時からも度々演奏されていたこの曲は
暗い冬にも光を灯してくれるような名曲かつ特別な曲だ。

👑 Elizabeth.eight(エリザベス エイト)

Webサイト
https://beth8.net/

YouTube公式チャンネル
https://m.youtube.com/@ELIZABETHEIGHT

X(旧 Twitter)
https://twitter.com/ELIZABETH_EIGHT

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