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「コイザドパサード未来へ」 第7話

昨夜は眠れなかったので、かなり朝寝坊をしてしまった。
日が昇るまで眠りにつけなかったので、目覚めると時計は昼の12時をとうに過ぎていた。睡眠時間は十分ではないが、目が覚めてしまったので起きるしかない。

今日は日曜日なので、寝坊をしても何か支障があるわけではないが、母さんはすでに仕事に出かけている。
ぼさぼさの髪を手で直しながら、リビングへ行くと父さんがちょうどコーヒーを淹れていた。
コーヒーの香りが部屋中に漂い、僕は思いっきり深呼吸をする。
部屋の隅々までに広がるこのコーヒーの香りが好きだ。

「おはよう。ミライもコーヒー飲むか?」
「おはよう。うん。飲もうかな」

朝起きて、父さんがリビングにいる。
コーヒーを淹れている父さんの背中を見ながら、この日常が夢ではないのだと実感する。窓から射す陽の光がちょうどその背中に当たっているので、父さんがさらに神々しく見える。思わず手を合わせて拝みたくなる衝動を抑え、テーブルに向かい合ってコーヒーを飲む。
父さんが帰ってきてから、こうしてコーヒーを飲むのが朝の習慣になった。

淹れたてのコーヒーは苦いがとってもフルーティ。
子どもの頃は苦くて飲めなかったコーヒーがいつの間にか飲めるようになったので僕は少しずつ大人に近づいているのだろう。

父さんが昼食を作ってくれるのが日曜日の我が家のルーティンになっている。最近料理にはまっているので、以前よりも難易度の高い料理に挑戦してくれる。前は簡単に調理できるシンプルなもの、野菜たっぷりの即席ラーメンや、チャーハン、焼きそばなどが多かったが、最近ではスパゲッティや煮物など、確実に料理の腕を上げている。
「今日は何が食べたい?」とリクエストを聞いてくれるようになった。
これは以前との大きな違いだ。料理のレパートリーが増えたため、僕の希望を叶えてくれるようになったのだから。
僕は少し考えてから、「オムライス!」と答えた。

父さんは手際よく、野菜を切り始める。
僕も助手として、隣でシンクに溜まっているお皿を洗って、拭いてキッチンを片付ける。
一緒に台所に立つのは休みの日という感じがして、この時間は嫌いではない。むしろ、楽しい。

出来上がったオムライスは卵の中が半熟のふわトロで、野菜多めのケチャップライスだ。僕はオムライスの上にケチャップで花丸をつけた。
漫画やドラマではここでハートマークをつけたり、自分の名前を書いたりするのかなと思ったが、まあいいや。
父さんは僕からケチャップを受け取ると、可愛らしく、ハートマークを書いた。
「なんでハートマークやねん」とツッコミを入れたら、父さんはフフと、これまた可愛らしそうに笑った。

オムライスは卵の火の通り加減が絶妙で美味しい。
僕は熱々のオムライスを頬張りながら、今日こそ父さんと話をしようと思った。

「父さんさあ、以前、あの世界にいた時、夢の中で僕に話しかけたよね。誕生日におめでとう、とか大丈夫だよって言ってくれたりしたよね」

「うん、そうだよ。ミライの話しかける声が聞こえてきて、答えた。
 誕生日には、今日誕生日だよって話しかけてくれたから、おめでとうって言ったよ」

ふたりの記憶は合致している。
あれは夢ではなく、実際に起こったことだった。
やはり僕たちは離れていても、心で会話をしていた。

リビングの窓には、白いレースカーテンが風になびいて、寄せる波のように行ったり来たりしている。
ベランダの向こうには青空が広がっている。

「最近、母さんとはどうなの?」
僕は前から気になっていた夫婦のことに踏み込んで聞いてみた。
いつもは怖くて聞けないことがなぜか今日は自然に聞くことができた。
「今ふたりで今後のことを話しているよ。母さんをこの4年間、不安な気持ちにさせてしまったからね」

僕は母さんに好きな人がいるのではないかと思っていたが、どうやらそうではないみたいだ。
4年間夫婦が離れて暮らしたことは、想像以上の余波があるみたいだ。
「少しずつ、隙間を埋めていければと思っている。そう簡単には行かないよ。時間をかけて新しい関係を作っていこうと思っている」
父さんは自分に言い聞かせるように、ゆっくり答える。

簡単に前と同じように戻れるわけではないらしい。
夫婦の関係は僕には分からないが、家族としてのチームワークは以前より良くなっている。父さんは前より積極的に家事をしているし、お互いがお互いを気遣っているのが端から見ていても分かる。

「あの時の悩みからは解放されたの?」
僕はさらに詳しく聞く。今日の僕はいつもより積極的に話をしようとしている。

「あの時、あそこにいた横井さんに、悩みは時間とともに、状況とともに変わるって言われた。時間が止まっていたから、あの時の悩みは過去の悩みで、自問していたけど。今は今の悩みがある。自分だけで生きているわけではないから、悩みも人との関わりの中で変わってゆく」
父さんは回答になっていないような、よく分からない回答をした。

「えっ、横井さん?」
まだあそこに人がいたの? 僕は心の中で驚いて叫んだ。
父さんの声を聞きながら、あの光輝く世界にまだ人が取り残されているという事実に衝撃を受けていた。
その人の家族、友人はあの時の僕と同じで、ただただ帰りを待っている。

父さんはまだ何か言いたそうだか、僕の真剣な顔に口を閉ざす。

「その横井さんはまだあの世界にいるんだよね?
 母さんと僕が父さんを待っていたように、横井さんを待っている家族がいるよね?」

父さんは「そうだね」と小さく答える。

ちょうどその時、玄関の扉が開き、母さんの「ただいまー」と言う大きな声が聞こえた。
僕たちも反射的に「おかえりー」と声を揃えて応える。

母さんの帰宅で僕たちの話は中断されたが、僕は横井さんと残された家族のことが気になり始めている。

リビングの太陽はすっかり西へ傾き、僕たちに一日の終わりを告げていた。
少し寂しげなオレンジの光が窓に忍び込んで、相変わらずレースのカーテンは寄せる波のように揺れていた。

(つづく)

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