終活応援ドクター

死と向き合わずしてより良い生は得られません。終末期医療の医師&医学研究者の傍ら、宗教も…

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死と向き合わずしてより良い生は得られません。終末期医療の医師&医学研究者の傍ら、宗教も学んで自分なりの死生観の確立を目指しています。詳しくはプロフィール記事ご覧ください。医療相談お気軽にどうぞ、https://twitter.com/anoyo_no_dr

最近の記事

死ぬこと、覚悟して生きてますか?(自己紹介)

わたしは終末期医療と医学研究に携わる「兼業医師」です。 わたしが診る患者さんの多くは、いかなる病気であれ、自分の命の終わりを他者に指摘されてはじめて、自らの死というものを意識し、残された時間の短さにもがき苦しむか、もしくは諦めが勝って無気力になるか、そのどちらかがとても多いと感じます。そしてその苦しみは家族にも伝播し、途方に暮れる本人と、死後に自責の念が残ることを恐れる家族、そしてその板挟みにあう医療者の三つ巴の人間関係は往々にして修羅の様相を呈します… そうした患者さん

    • 末期癌患者が味わう医療の害悪

      私のクリニックの末期がんの患者が、これまで治療を受けてきた大学病院に、もう入院での治療は受けたくないと伝えると、じゃあ今日を最後にもううちには来るなと言われたと。こちらには終診の連絡のひとつもなし。 治療の副作用に抵抗を感じていたことは事実だが、決して主治医との人間関係までを終わらせようとは考えていなかった患者は、あまりの唐突な言われ方に涙していた。ただ確かに化学療法の継続が自らの役割と認識し、その過程で時には入院を要する可能性をゼロにはできない大学病院からすると、自分たち

      • 「宗教」と「カルト」の簡単な見分け方

        宗教離れはカルト教団の思うつぼ またまた新興宗教団体がクローズアップされている。 これでまたも、日本人の間に宗教アレルギーが増幅するのだろう。 途方もなく長い時間をかけて、世界にも稀にみるほどに深淵な宗教文化を醸成させてきた我が国にあって、一部のカルトのせいで宗教界全体が詐欺集団のレッテルを貼られ、信仰自体が悪であるかのようなイメージが蔓延していく。信仰を語ることがタブーとなっていく…これは本当に由々しき事態である。 正しい信仰こそがカルト教団から身を守る 悲嘆、不安、

        • 新巡礼!三界を巡る「甦りの道」

          現世にいながら三界を巡る、紀伊半島「甦りの道」巡礼。死後間もない精霊にも、すでに浄土への往生を果たしている先祖の神霊にも会うことができる。関西空港からであれば自動車で全10時間強の行程。強行日程なら1泊、余裕を持たせるなら2泊が望ましい。 瀧谷不動明王寺(関空から1時間) 日本三不動のひとつ。まずは三界全てを統摂する不動明王に道中の安全祈願、現世への無事の帰還を祈念する。 毎日護摩祈祷が執り行われており当日の参座も可能。 高野山(滝谷から1時間30分) 高野山は現世

        死ぬこと、覚悟して生きてますか?(自己紹介)

          死者は衆生界から弘法大師に導かれ高野山の結界を越えて菩薩界に入る。熊野川に浄化された精霊は速玉之男に導かれ熊野灘の結界を越えて如来界に入る。そして大海から天空に昇った神霊は、時に瀬織津姫の導きで滝を下り現世に舞い戻る。これら三界を統摂するのは不動明王。

          死者は衆生界から弘法大師に導かれ高野山の結界を越えて菩薩界に入る。熊野川に浄化された精霊は速玉之男に導かれ熊野灘の結界を越えて如来界に入る。そして大海から天空に昇った神霊は、時に瀬織津姫の導きで滝を下り現世に舞い戻る。これら三界を統摂するのは不動明王。

          弘法大師 遺跡(ゆいせき)十三山

          第一番 善通寺(香川県善通寺市、真言宗善通寺派) 第一番はもちろん誕生の地、善通寺である。善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯田公から土地の寄進を受け、空海が伝法灌頂を受けた長安の青龍寺を模して807年に創建されたと伝わるが、境内からは白鳳から奈良時代に遡る古瓦が出土している(当時は瓦は寺院建築にしか使用されていない)ことから、実際には空海誕生前より佐伯一族の氏寺としてすでに存在していた可能性も指摘されている。 第二番 施福寺(大阪府和泉市、天台宗) 古くは槇尾山寺

          弘法大師 遺跡(ゆいせき)十三山

          癌と宿主人間の共生、「地球の癌」人間と宿主地球の共生

           華厳思想は、宇宙全体でひとつの神であり、その宇宙を構成する私達の命の中にもまた無数の神が宿るという世界観です。  この概念を突き詰めていけば、私たちの体内に芽生えた癌もまた、「神」と捉えるべきではないでしょうか。そして私たちの身体と同様に地球をひとつの生命と捉えたならば、地球にとっての癌とはいったい何でしょうか。地球の癌、それは他でもない、私達人間ではないでしょうか。時代と共に加速度的に増殖スピードを速め、驚くスピードで転移を果たし遠隔地でまた増殖し自然を蝕んでいる…まさ

          癌と宿主人間の共生、「地球の癌」人間と宿主地球の共生

          私訳!華厳経 普賢広大願王清浄偈

          日本独自の「法身仏教」の在家根本経典として重視する華厳経のなかで、「入法界品」は最も早期に成立した部分と考えられており、中心思想である重重無尽法界縁起の世界観ならびに利他の普賢行の誓願が込められている、まさに華厳経の「エッセンス」と呼べるものである。この入法界品だけをピックアップして翻訳した、般若三蔵訳(798 年)の「大方広仏華厳経入不思議解脱境界普賢行願品」、いわゆる「四十華厳」の偈文「普賢広大願王清浄偈」のハイライト部分を日本語訳した。韻を踏むことも重視したので若干訳に

          私訳!華厳経 普賢広大願王清浄偈

          世界法身仏巡礼

          日本仏教を、大乗仏教からさらに発展した「法身仏教」と定義し葬式仏教からの脱却を主張し続けてきているが、今でこそ法身仏教は日本にしか息づいていないと確信するが、もとはシルクロードを経て広くアジア全体に浸透していた世界観である。 毘盧遮那仏の残る以下の遺跡を巡って、日本にこの「法身仏教」の世界観、具体的には華厳経の思想ならびに密教の修法を伝えたシルクロードの交流に思いをはせるのはいかがだろうか。 第一番:バーミヤン(551年、ササーン朝) 第一番にバーミヤン峡谷の大仏を選ん

          世界法身仏巡礼

          「がんと共に生きる」21世紀型の新しいがん治療の提言

          疾患によりあまりに異なる終末期医療  現代の日本における死因の2大疾患は「がん」と「心不全」である。終末期医療に携わっていると当然、このふたつの疾患の患者さんを多く診ることになるわけであるが、実は同じ「看取り」を主眼に置いた治療でも、このふたつの疾患では治療方針を決定する考え方は180度異なるのだ。 「倒す」がん治療  まず「がん」であるが、近年の診断技術と治療法の両面からの目覚ましい進歩により、より早期に発見しより効果の強い治療を行うことによって救える命は年々増えてき

          「がんと共に生きる」21世紀型の新しいがん治療の提言

          総国分寺、東大寺の復権

          尊勝院:華厳宗 東南院(現 本坊):三論宗 真言院:真言宗 唐禅院:天台宗 知足院:法相宗 戒壇院:律宗 勧進所(旧 龍松院):浄土宗  ここに挙げた寺院は、東大寺の末寺でその寺域内にありながら、それぞれ特定の宗派を標榜していた塔頭である。僧はこれらの塔頭を巡って複数の宗派の教学を修めるのが常であった。ところが明治政府は、全ての寺院に対し単一の宗派に属することを強制したことから、華厳経の教主を本尊に戴く東大寺は華厳宗の大本山となり、檀家を持たないことから法人としては極めて小

          総国分寺、東大寺の復権

          仏教の反撃は教育から!儒学・国学に奪われた400年の空白を取り戻す

          江戸幕府の宣揚した朱子学、国粋主義に悪用された国学が日本人の精神を破壊した  今日、古き良き日本人の美徳の象徴のように捉えられる「武士道」だが、これは決して日本古来の道徳観ではない。下剋上を常とした武士による政治機構の中にあって、自家の地位の安泰を目指した徳川家が宣揚した朱子学をその思想の根本に据えて、わずか400年足らずの昔に強引に形作られたものである。朱子学の普及のためにはキリスト教の弾圧はもちろんのこと、思想や哲学としての仏教も徹底的に弾圧され、かわりに寺請制度によっ

          仏教の反撃は教育から!儒学・国学に奪われた400年の空白を取り戻す

          義務教育に「介護」と「葬送」を

          老死をタブー視する社会の罪  核家族化が進み大都市の人口比率が増して、祖父母世代とのつながりや地域の高齢者とのつながりが希薄になり、若年中年層がリアルな老いや死に触れる機会が極端に減少してきていると思う。  もともと「死」をタブー視する傾向の強い我が国の習俗の中にあって、まだ自らに迫ってきているわけではないうちから、自身を含め全ての人間に必ず訪れる「老」と「死」というものに向き合い、考える機会というのは極めて重要だと思う。  近親の老いの果ての介護も施設に任せっきり、いざ

          義務教育に「介護」と「葬送」を

          「仏壇」を廃止しよう

          ご自宅に仏壇がある方。 その前に坐して祈るとき、何に向かって祈っていますか? 本来、仏壇は「仏」壇というくらいだから、もちろん祭祀の対象は、 「仏」すなわち如来である、死んだ縁者ではない。 本尊は各宗派ごとに、  真言宗:大日如来  天台宗:釈迦如来または阿弥陀如来  浄土系:阿弥陀如来  禅宗系:釈迦如来  日蓮宗:十界曼荼羅 と定められている。 縁者が亡くなったことを機に仏壇を購入する方が多いと思うが、本来は仏壇は自らが信仰する宗派の教主を前に勤行するためのものであって

          「仏壇」を廃止しよう

          『究極の勝ち組』と『究極の負け組』、日本仏教が生んだ二人の天才の到達点

          空海の即身成仏と親鸞の他力本願、その背景に絶対的救済者、法身仏の存在「究極の勝ち組」空海 「究極の負け組」親鸞  こう書くと真宗の方から猛烈なご批判を頂戴しそうだが、しかし対照的な人生を歩んだこの二人の仏教者は、共に日本仏教の歴史に偉大な足跡を残した大天才であることに、疑いの余地はない。  25年ぶり、しかもその後また30年余り途絶えることとなる遣唐使に無名の僧ながら乗り込み、長安到着後わずか半年で密教の正統を継承、そして20年という当初の条件を破って帰国すれば最澄を重用

          『究極の勝ち組』と『究極の負け組』、日本仏教が生んだ二人の天才の到達点

          神民の、神民による、神民のための信仰

           ここに記す法身仏教の世界観は、これまでにも繰り返し述べてきている通り、宗派の垣根を超えて日本仏教の根底に潜在的に息づくものです。極力平易な言葉で、またあえて日本語になっているポピュラーな仏教用語を伏せることで、葬式仏教と揶揄される現代人の仏教に対する忌避感を払拭することを目指し記しました。  こまかな名詞を置き換えれば、全ての伝統仏教宗派(一部の排他的な教団を除く)の教義に矛盾なく置き換えられ、そして神道との両立、神仏習合の復活にも寄与する形になっています。  是非この教義

          神民の、神民による、神民のための信仰