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「仏壇」を廃止しよう

ご自宅に仏壇がある方。
その前に坐して祈るとき、何に向かって祈っていますか?

本来、仏壇は「仏」壇というくらいだから、もちろん祭祀の対象は、
「仏」すなわち如来である、死んだ縁者ではない。
本尊は各宗派ごとに、
 真言宗:大日如来
 天台宗:釈迦如来または阿弥陀如来
 浄土系:阿弥陀如来
 禅宗系:釈迦如来
 日蓮宗:十界曼荼羅
と定められている。
縁者が亡くなったことを機に仏壇を購入する方が多いと思うが、本来は仏壇は自らが信仰する宗派の教主を前に勤行するためのものであって、供養もその勤行の中に含められるが、決してお位牌は仏壇の主ではない。

しかしこの仏壇と別に、自宅内に神棚が設置されていれば、神棚の方が上に位置するので、いかにも神道の神の方が上位で仏壇に祀られる仏は下位のような錯覚を与えてしまう。神仏習合の日本仏教の世界観において、日本古来の神と仏教の尊格の立ち位置というのは解釈がいろいろ成り立つと思うが、少なくともこうして別々に、しかも自宅内で高さを違えて奉斎するというのは、信仰の対象が分散しいずれに対しても信仰心が希薄となってしまう弊害を孕んでいると言えよう。

そこで、神仏習合で生み出された「神像」を神棚にお祀りすることはほぼ皆無であるのと同様、「仏像」を一般家庭でお祀りすることも避け、神社で拝受する神札も寺院で拝受する祈祷札も同一の奉斎棚(これまでの神棚でよい)にお祀りして祭祀の方法は神道に準じ、しかし明治以降に強引に統一されあたかも神道古来の唯一の拝礼方法であるかのように誤認されてしまっている「二拝二拍手一拝」などにはこだわらずに、各々の負担とならない拝礼方法で日々拝礼すればよいと思う(合掌のみ、五体投地、読経、、、)。

そして仏壇の方は廃止してよりコンパクトな厨子のみとし、その中に位牌だけをお祀りしてシンプルに亡き縁者に語りかけるための依り代と捉えるのはいかがだろうか?

神仏に祈念し、また自らの信仰を堅持して勤行に励むための奉斎棚と、死者に語りかける供養のための厨子、このふたつによる自宅祭祀を提案する。

ちなみに私自身の自宅祭祀の方法は、以下の記事に↓
https://note.com/anoyo_no_dr/n/n28f4b27919c9

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