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義務教育に「介護」と「葬送」を

老死をタブー視する社会の罪

 核家族化が進み大都市の人口比率が増して、祖父母世代とのつながりや地域の高齢者とのつながりが希薄になり、若年中年層がリアルな老いや死に触れる機会が極端に減少してきていると思う。
 もともと「死」をタブー視する傾向の強い我が国の習俗の中にあって、まだ自らに迫ってきているわけではないうちから、自身を含め全ての人間に必ず訪れる「老」と「死」というものに向き合い、考える機会というのは極めて重要だと思う。

 近親の老いの果ての介護も施設に任せっきり、いざ死が迫っても受け入れられず、ただ自分が残されたのちに良心の呵責に襲われることを恐れて、いたずらに決断を避けて結果的に死にゆく人間に最期の最期まで苦痛を強いる。。。患者本人と患者家族のこのような意識の乖離に、我々医療者は板挟みとなり苦しんでいるのだ。


義務教育で老死に接する機会を提供

 日常的に高齢者と接し、そしてその死に向き合っている我々医療者は、自然と自分の家族の老死、ひいては自分自身の老死にも考えが及ぶようになる。我々ほどではなくても、多くの若い人にもっと高齢者、そして死にゆく人、死者に接する機会を取り戻してもらうことが、早いうちから意識を持ち自分なりの考えを持つ一助となるだろう。

 そこで義務教育で介護施設への訪問や訪問介護への参加、さらには葬祭業の手伝いの実習をカリキュラムに組み込む、というのはいかがだろうか?要介護者、死者をタブー視して隠す社会ではなく、若年者を巻き込んで社会全体で向き合う風潮を作り、ヤングケアラーの問題も同世代間で議論できるような素地を育んでいかなければならない。

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