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『究極の勝ち組』と『究極の負け組』、日本仏教が生んだ二人の天才の到達点

空海の即身成仏と親鸞の他力本願、その背景に絶対的救済者、法身仏の存在

「究極の勝ち組」空海
「究極の負け組」親鸞

 こう書くと真宗の方から猛烈なご批判を頂戴しそうだが、しかし対照的な人生を歩んだこの二人の仏教者は、共に日本仏教の歴史に偉大な足跡を残した大天才であることに、疑いの余地はない。

 25年ぶり、しかもその後また30年余り途絶えることとなる遣唐使に無名の僧ながら乗り込み、長安到着後わずか半年で密教の正統を継承、そして20年という当初の条件を破って帰国すれば最澄を重用していた桓武天皇はもうこの世になく代わった嵯峨天皇に重用され東大寺別当、高野山開創、東寺下賜、、、。もちろん天才がゆえに運を手繰り寄せたともいえるが、やはり奇跡的な強運としか言いようがない空海に対して、源氏の血脈を受け継ぎながら平家全盛の時代にあって得度を余儀なくされ、しかし入山した比叡山では信奉できる教義に巡り合えず、法然の専修念仏に心酔して入門するも僧籍剥奪、流罪。帰京を果たすまでに30年を要した親鸞。

 二人が歩んだこのような対照的な人生を反映してか、彼らが説いた救済へのプロセス(因果の「因」)は難解な密教の三密加持 vs いかなる条件をも設定しない絶対他力と対照的であるものの、一方で全ての魂の本来の清浄を強調し成仏(因果の「果」)において絶対的救済者たる法身仏との対話を最重視した点では、極めて酷似しているように思う。

 空海が三密加持を通じて「即身成仏」を説き、「三劫成仏」の顕教に対する優位性を強調したのは、合一する法身仏を自ら救済する能動性を備えた最高神と定義したからである(法身説法)。そして親鸞も、阿弥陀如来を「方便法身」と表現し無条件に極楽浄土へと衆生を導く絶対的救済者に据えた。親鸞にとっての称名念仏は極楽往生への条件ではない、衆生は極楽往生を願った時点ですでに救済が約束されており、以後の念仏はその救済に対する「報恩」の行為なのだ(信心正因 称名報恩)。


空海の勝ち組人生は民間信仰の足かせに

 対照的な宗祖の人生は、その後の宗派の歩みにも長く影響を及ぼすこととなる。空海の異例の出世は密教の普及に寄与したものの、それは皇族貴族に限定したものであり、権力に近づきすぎた真言宗が権力者との癒着や権力闘争から逃れられず、空海の説いた教義からは逸脱した大師信仰でしか久しく民衆の信仰を集められなかったのに対して、常に民衆に寄り添う草の根の布教活動で信仰を育んだ真宗は、ついに信者数で我が国最大の宗派へと大成した。

 二人の天才が辿り着いた「法身仏」の信仰。今こそ改めて双方の教義を精査し、そして融和させて、現代に即した「生者と死者の双方を救済する法身仏教」を構築することが望まれる。

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