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「宗教」と「カルト」の簡単な見分け方

宗教離れはカルト教団の思うつぼ

またまた新興宗教団体がクローズアップされている。
これでまたも、日本人の間に宗教アレルギーが増幅するのだろう。
途方もなく長い時間をかけて、世界にも稀にみるほどに深淵な宗教文化を醸成させてきた我が国にあって、一部のカルトのせいで宗教界全体が詐欺集団のレッテルを貼られ、信仰自体が悪であるかのようなイメージが蔓延していく。信仰を語ることがタブーとなっていく…これは本当に由々しき事態である。


正しい信仰こそがカルト教団から身を守る

悲嘆、不安、恐怖、罪悪感、こうしたネガティブな感情から人間は決して解放されることはない。しかしそれらの感情とうまく折り合いをつけながら生きていく、そのためのセーフティーネットとして、宗教・信仰は人間にとって不可欠なものなのである。

日本でカルト教団による悲劇が繰り返される現実。日本だけの問題ではないが、これは宗教が悪なのではない。むしろ自分の中に幹となる信仰がないために、人生の中でネガティブな感情による支配が相対的に強まったタイミングで、それを利用しようとする詐欺手段につけ入られてしまうのである。

決して宗教を遠ざけてはならない。正しい宗教を自分の中に堅持することで、詐欺集団の脅迫から自分を守らなければならないのである。

善良な宗教とカルトの簡単な見分け方、これは極めて単純である。


恐怖を癒やす宗教、煽るカルト

善良な宗教は、全ての人間がとらわれる不安・恐怖・罪悪感を癒やすためにある。だから信者の恐怖を煽るようなことは絶対にしない。逆にカルト教団は、その不安・恐怖・罪悪感を煽る。その集団が喧伝する何らかの宗教的行為(往々にしてそこには金銭の授受がつきまとう)に対して、それに背いた場合のネガティブな見返りが示された瞬間、その団体は絶対に善良な宗教団体ではない。正当な信仰のよすがとなりうるものでは決してないのだ。このような団体からは速やかに距離を置かなければならない。

繰り返す、

人間は現世において悲嘆、不安、恐怖、罪悪感からは絶対に逃れられない。
カルト教団から身を守るために、宗教を遠ざけてはならない。確固たる宗教観を持つことこそが、逆に身を守るのだ。

その意味で、現状に対する日本仏教の責任は重い。


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