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海は色か波かそれともまた別のパラメーターか
海に入ったら泳げば良い。汚い海でも綺麗な海でも、外から見て自分の目に見えている範囲のことで清濁が判断できるとは思わないことである。入ってしまったのなら、とにかく泳いでみるだけなのだが、入る海が決まってない場合は少々困る。そんなときは、どうにかして入る海を決めて、決めてしまったあとはただ流れに任せて泳ぐだけである。泳ぐといっても、流れに身を任せていれば基本的には良い。別の島に行くなり、岸に戻ってく
もっとみるアイドル—抽象と具体
序文 まず、本稿の性格について触れておくと、これは僕のたれごとなので、全く正確性に欠けるところがあるかもしれない。印象論に終わるかもしれない。でも、今はただ印象論を書いてみようと思って書いているのだということを述べておきたい。
抽象と具体 思考ってどこか抽象的になりがちな気がするのだけど、で、それ自体には何の文句もないのだけど、抽象ってやっぱりぼんやりとしているところがあって、だから具体が必要に
愛読書探しの旅、ひとまず来るとこまで来た
はじめに
久しぶりの投稿で自分としても懐かしいなーなどと思う。本日は今学期入る前あたり頃からちょいちょい気にしているテーマである「愛読書探しの旅」に関して、一定の愛読書が見つかったので、公表するのはなんだか恥ずかしい気もするけど、自分のように愛読書探しの旅に出ている同志の方に向けて発表していきたい。
1冊目
1. 若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋、2018年)
この本は実は受験期の頃
スッキリしたいことはわかる。どのような分野のどのような事柄を対象にしてスッキリしたいのか、これが分からんのだよ。
ほんとに自分は概念整理みたいなことをしてただ単に自分の頭をできる限りスッキリさせたいというだけの人間なんですわ。それも概念整理の対象は自分の興味関心のあるものにしか当然惹かれないわけで、将来何して過ごそうかなーと思ったりする休日の夕方。もう少し、この考えを具体化できたらいいんだろうけども。
P. S.
概念整理だけで終わるとやっぱり勿体無いよということは思うようになってきた。これが成長?
ZARDの坂井泉水さん
本日の金スマは大黒摩季さん回だったらしい。そこでは、大黒摩季さんが姉と慕ったZARDの坂井泉水さんの話も出たらしい。そこで、今回は以前メモしておいた自分の坂井泉水さん論なるものを以下に掲載したい。
「ZARDの坂井さんの性格は今となっては非常に分かり難いのではあるが、そんな私たちにとっておそらく唯一の手がかりとなるのが、彼女の遺した歌詞である。坂井さんはどのような心の持ち主だったか。端的にいえ
青春ゾンビィィズは野生的人間?
昨日の話の続き。意味と宿題はなぜ並列されているのか、並列しうるものなのかという話である。昨日の段階では全く分からなかったが、少しわかったような気がする(ただし、並列にして良いかについては若干違和感の残るままである)。どういうことかというと、『青春ゾンビィィズ』で描かれるのは本能のままに動く野生的人間なのである、そして、そのような状態に中学生や高校生でも(あるいは大人でも)時にはなってしまうのであ
もっとみる借りた本というのを載せたいが…
どうも、毎日更新を目指している訳ではない春風夏雨です。なんかあっという間にこんな時間になっていました。タイトル通り、自分の借りた本を載せて、自分に読むプレッシャーを与えたいのですが、ここが万が一見られていて、貸出予約でもされたら普通に困るのでやめておきます。読むべき文献の山の前にいるので、頑張って登ります。今日読んだ文献少なすぎて(というか平日は授業が多すぎる)、高校生の頃の自分にも笑われてしま
もっとみる暇ってどういう状況?
つぶやきなんて機能がnoteにあることを今知った。Twitterとどう違うねんと思うが、まぁいいか。久々にnoteを動かすわけであるが、今後はもう少し活発に動かしていきたい。今回考えたのは、「暇ってどういうことだろう」ということ。変な気もするけど、暇というのはやることが決まっている状態を指すのではないだろうか。(140字を超えたため、つぶやきにて記す予定であったものを記事にすることになった。)
エリック・ホッファー
E・ホッファー(中本義彦訳)、『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』、作品社、2021年。
最近、この作品を読んだ。そして、端的に言って影響を受けた。どのように影響を受けたかというと、色々な分野の本を読もうと思わされた。彼は、興味→該当分野→読書(勉強)というプロセスを辿るのだが、ここに独学の魅力が詰まっているのである。その典型例はpp.83-89の「柑橘類研究所」という箇所で見られる。