青春ゾンビィィズは野生的人間?

 昨日の話の続き。意味と宿題はなぜ並列されているのか、並列しうるものなのかという話である。昨日の段階では全く分からなかったが、少しわかったような気がする(ただし、並列にして良いかについては若干違和感の残るままである)。どういうことかというと、『青春ゾンビィィズ』で描かれるのは本能のままに動く野生的人間なのである、そして、そのような状態に中学生や高校生でも(あるいは大人でも)時にはなってしまうのである。しかし、大人はこの歌詞の世界では野生側には存在しない。むしろ、夏のある日に野生的人間の状態にある中高生が海に出かける時に「宿題はやったの?そんなことして意味あるの?」と問いただす存在として、換言すれば、理性的人間の代表として描かれるのである(明示的には描かれていないが、私にはそう読み取れた)。ここで私が野生的人間と表現しているものが、作詞のTAKUYAさんにとっては青春ゾンビィィズ(ズ、は複数いるという意味だろう)と表現されるべきだったのであろう。まぁ、TAKUYAさんの表現の方がよりエビ中らしくなるので、歌詞としてはこちらの方が正解なのである。


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