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日記・59:旅立ち

先程、父あてに電話があった。

北九州に住む親戚の叔父の訃報であった。
青天の霹靂だ。
しばらく会えない日が続いていたが、幼い頃、お盆やお正月にとても可愛がってもらった。
「これ、お父さんたちには言わんでいいけんね!」
そう言うといつもお小遣いをくれたし、読まなくなった漫画やラジコンなど、いろんなものを持って帰って来て、
「これもういらんけんあげるわ!」
と家に置いていく。
見た目は少しこわい感じだけど、大声で笑いいつもニコニコして、大きく温かい人だった。

実感が湧かないことが、かえって恐ろしい気がした。
「死」というものがあまりに遠く、近く、やはり遠く感じる。
忍び寄る闇の様で、
無音の黒い影がひたひたと近づいてくるような不気味さだ。

生きる、ということは、いつか死ぬということだ。
だから人は生きるのだと思う。
生きて、生きて、そして人生の幕が降りる。


人は悲しく、虚しい生き物なのか?
忘れていくのだから。
喜びも、悲しみも、
時と共に薄らいで、記憶の片隅にわずかに残るのだろうか?

そのひとつひとつを覚えてはいても、その時どれほどに強く感じたかを思い出せないのかも知れない。
だからこそ、がむしゃらに生きなければならないと思う。

やがて春が到来し、瞬く間に夏が来る。
時の流れは滝の様に急で、清流のごとく優美である。
道路脇に咲く花の様に慎ましく、謙虚に、けれどしっかり根を張り、踏まれてもみくしゃにされてもじっと耐え、いつか芽を出す草の様な人間になっていきたいと思う。

仕事から帰宅すると、瞬と若菜が迎えてくれた。
保育園でたくさん遊んでいるのか、言葉も日に日にしっかりしてくる。
この子達のためにも、健康でいよう。
二人をお風呂に入れ、ご飯を食べる。
おもちゃで遊んで絵本を読みながらゴロゴロする。
布団を二枚ひいて三人で寝る。
何があってもこの子達を守ろう!
しっかり育てよう!

生きるってことはそういうことやん。
明日もまた、パパ頑張るよ!

二人とも、いっぱい遊んで、大きくならなんよ。

また明日ね、おやすみなさい。


 


私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。