平熱で働く事。
「ここ塗ってね」と画用紙を指差したわたしの指を丁寧に塗りたくってくれる特別支援学校って最高じゃない?
という本を読みました。
以前からTwitter・Xでポストを見ていたので、図書館で本を見つけたときは「おぉ!!」と感動してすぐに借りました。
冒頭の文章で「平熱」という名前の由来について書かれていました。
自分自身や自分の時間を犠牲にして尽くす熱血先生が良しとされている風潮に疑問を感じていた事、また与えられた役割を懸命に果たし、記憶にも記録にも残らなくていいから保護者のニーズを地味に満たしていけたらという思いから「平熱」で働く先生でありたいと名前をつけられたそうです。
「熱血先生」で言ったら金八先生を思い浮かべてしまうのだけど、年齢がバレてしまうかな。(笑)
中学生の頃は何も考えずに見ていたけど、金八先生は定時も何もあったものじゃないですよね。
私生活と学校と境界線がないような。
素敵な先生だとは思うけれど、あれがBESTな先生の像だと世間が思ってしまったら、学校の先生や保育士たちは相当しんどいでしょう。
接する相手が子どもであるからか、「定時なんで、じゃ帰ります」のスタンスだと何だか冷たく感じてしまう。
でも私はそれでいいんだと今は思います。
子どものことを思えば、この仕事に終わりはなく、やろうと思えばいくらでも仕事はある。どんどんわいてくる。
でもそれを全てやる事が良しとされてしまったら、無理ですよ。
気持ちも続かない。
時間は時間として割り切る事も大切なタスクだと感じています。
なぜなら心身ともに疲弊した状態で子どもたちの前に立ち続けて、良い保育、良い授業、良い支援ができるとは到底思えないですし、子どもたちの良いところに目を向ける余裕もなくなってしまうと思うのです。
大切な事ってなんだっけ?
きっとふと我に返った時にそう感じる場面が出てくると思います。
自分の時間を削って、削って、削って、子どものために明日のために仕事をする事。
そのガッツは素晴らしいですし、「子ども思いの先生」と、保護者は安心するかもしれません。
では定時でパッと帰る先生はダメな先生でしょうか?自分の時間を削らない先生は信頼できない先生でしょうか?
あくまで私の意見ですが、私の答えはNOです。
限られた時間の中でやれる事を精一杯やる。
私はそれで十分だと感じています。
心に余白を作る事で見えてくるものがあり、感じ方も変わってくる。
私は子どもと関わる中で「教える事」よりも「気付く事」の方がずっと大事だと思っています。
「気付く」というのは、子どもが色々なことに自分から気付くという意味でもあり、大人が子どもたちの様子に気付くという意味でもあります。
子どもたちが自ら知る事、発見する事は大人が教えるよりもずっと心に残るものです。
また、そんな姿も心に余白がないと気付けない事が多くあります。
定時で帰る先生が意欲がない?
「熱血先生」ではないかもしれないけど、余暇を楽しみ家族との時間を持つことは全く悪い事ではないですよね。
仕事からしっかりと離れる事で、翌朝またいつも通りに子どもと向き合えたらすごく素敵だと思います。
熱くなり過ぎず、一定の温度を保ち子どもと関わる事。
その安定感が何よりも子どもに安心感を与えるのかもしれません。
以上が「はじめに」を読んで感じた私の感想でしたとさ。
平熱さんの思いとは違う部分があるかもしれませんが、あくまで読者の一意見として読んでいだけたら幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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