マガジンのカバー画像

doodle note

976
読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
運営しているクリエイター

#暮らし

寝る前のメモ。

カエルの鳴き声とともに、ふわりと入ってくる夜風が気持ちいい。 先週まではコートを着ていたのに、今日は朝から半袖生活。世の中の状況とは裏腹に、季節はどんどん先へ進んでいく。近所へパンを買いに行く途中、たくさんのトラクターを見かけて嬉しくなっていた。変わらない風景があることのうれしさを、勝手に噛み締めている。 - 今度のオンラインイベントに出ていただくゲストとお話をしていると、この状況で “できること” を楽しまれている様子が伝わってくる。どちらかと言えば旅人気質で、流れに

寝る前のメモ。

このタイミングで「バッターボックスに立つ」という表現が正しいかはわからないけれど、これは巡り巡ってきたチャンスだと思って(もちろん冷静な視点も持ちながら)、いまはフルスイングしていこうと思う。 チャンスと捕まえている点は主に2点ある。 ひとつめは、都市部への移動を含む「行動」が制限されているなかで、これまで循環率の低かった「地域内経済」が上がる可能性を秘めているということ。先への心配で貯蓄も必要だろうと、消費活動に若干セーブがかかるかもしれないけれど、これまで土日にお隣の

徒然日記。

目覚ましを止めて二度寝をして、1時間後に起きる。寝方が悪かったのか、シーソーゲームをしているバスケの夢を見た。 それから、近所のパン屋さんの新作「竹炭カンパーニュ」といつものコーヒー。うつわとカップは休日に使っているものを。 それから、SNSをチェックしていくつかメールを送り、1週間ぶりに窓を全開にして掃除をする。今日の日差しはとても気持ちがいい。本当はゆっくり本でも読みたいところだけれど、3月いっぱいまで厳しいかな(苦笑)。 そういえば、年末に買った本もまだ読めていな

流れの美しさ。

昔から、なにかものをつくっているおじいちゃんやおばあちゃん、職人さんの手元を見るのが好き。料理なんかは、手元を観察していたらできるようになったくらい、動きを見ている。 今日は、以前企画でお世話になったお寺さんのおもちつきイベントにお邪魔してきた。 気がつけば、おばあちゃん達の輪のなかに入っておもちを丸めていたのだけれど、なんだかもうたのしくて。いちご大福に大根おろし、よもぎ餅など、次から次へといろんな「おもち」ができていく。 「これはちょっと硬いから小餅にしよか」「これ

あたらしい器。

陶芸家さんがご近所に住んでおられることもあり、年に何度か陶器を買うようになった。 近くのパン屋さんやカフェで展示販売会をしてくださるので、これまでよりもずっと「器」が身近なものになったんだと思う。世間話の延長でつくり手の方々とお話できる、このまちの距離感も結構好きで。 慌ただしい日々の中で、毎日のように作家さんの器を使うことはむずかしいけれど、少しずつ生活のなかに取り入れていけたらいいなと思っている。 例えば、休日のワンシーン。 この組み合わせで朝を迎えられると、「き

なまえのない道。

家の近所にある、800メートルの農道がすきで。 両サイドに田んぼがあって、真ん中あたりにはベンチがある。遠くにあるまちの風景を眺めながら、のんびり過ごすのにちょうどいい場所。 桜の季節、田植えの季節、稲穂が垂れる頃、稲刈りをしたあと、そして、霧の季節。いろんな季節が訪れるたびに、車を停めて写真を撮る。 今日も朝からすごい霧で、ちょっと立ち寄ることに。 1年を通してすきな場所ではあるのだけれど、道の向こうにパン屋さんができてから、この道のことがもっともっと好きになった。

シャッターを押すとき。

窓の外を見てみると、思っていたよりもずっときれいだった。 電車に乗るたびに何百回、何千回と通り過ぎているはずなのに、ちゃんと見たのはこの間がはじめてだったように思う。 身近にあるけれど案外見逃していることって、本当にたくさんある。 「 #写ルンです 」を持ちはじめて、撮影・現像のたびにそういった発見があるからおもしろい。うわ〜、シャッターチャンスやったのに・・みたいなことももちろんある。 でも、これまではその風景を「シャッターチャンスだ!」と思うことすらなかったのだか

渡航準備。

本当は、この場所でほどほどにたのしく暮らせることを知っている。 全部後回しにしちゃいな 勇気なんていらないぜ 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない ♪くるり/ハイウェイ 何かしらの職に就いてひとり分のお金を稼ぎ、好きなお店や職人さんのいるこのまちで休日をたのしみながら、適度な年齢で結婚して親の近くで子育てをする。そんな人生を選ぼうと思えば、いまからでも選ぶことができるとは思う。 でも、まったくイメージが湧かないんだな。 このまま努力を続けたとしても、いつかわたしが求め

ひとつ確かに言えること。

好きなところ、嫌いなところ、どちらもあるけれど、見たいほうを見ようと思う。 なにが大切なのか わからないけれども ひとつ確かに言えること わたしここが好き ♪青谷明日香映画オリジナル楽曲 今日は、映画「かめじん」の上映会でした。 上映後、映画制作に至るまでのプロセスをお話しさせていただいたのだけど、改めて2年半のいろんな出来事を振り返る機会になりました。 ほとんどドキュメンタリーに近いこの映画を、わたし自身もひさしぶりに一観客として観ていた。 商店街の活性化とい

いつか、湖畔で暮らす日のことを。

忙しそうに見えている間は、あんまり良くないなと思う。 と言いつつ、実際のところそこまで時間にゆとりがあるわけでもないし、行きたいと思っていたイベントなどをことごとく逃しているのは事実で。 いまはまだ「目の前のことをやりたい」という気持ちが強いから、優先順位的には問題ないのだけれど、何年もこの状況を続けることが自分にとっていいことかどうかは正直わからない。 社会人2年目に差しかかった頃に、「忙しい」と口にするのを辞めてみた。 本当に忙しいのか、これが自分の能力なのか、良

暮らしのエトセトラ。

いろんなものを乗り越えて「衣・食・住」がそれなりに満たされている、いまの時代。 戦後の日本を知る方々はから「モノがなかった時代」のお話をたくさん聞くのだけれど、わたしが祖母の年齢になる頃には「モノがあふれた時代」を昔話のように語るのだろうか。 生まれた頃から大体のものは揃っていて、小学校の授業でPCの使い方を勉強して、習い事に打ち込むことができて。大人になったらこうやって、コタツに入りながら自分のPCを広げて文章を書いている。 わたし達の暮らしぶりは、ずいぶん変化したん

「おこぼれ」みたいな存在。

わたしがやっている「仕事」というものは、ひとが生きていくうえで “なくてはならない” という分野ではない。 話というのも、焼豚のはじっこみたいなことが大事。 パンの耳、焼豚のはじっこ、人の愛嬌、話の寄り道。 そういえば…っていうのは、とてもいいものなんです。 10月24日の「今日のダーリン」より いま、わたしの仕事がなくなったとしても、たぶん誰も困らない。 決して無責任なわけでも、悲観しているわけでもなくて、ライフラインに関わる仕事でない限り、おおよその生活が成り立つよ

個々がつくる「まち」のアイデンティティ。

どんな風に見てほしいのか、そのアイデンティティを自ら示せるまちはおもしろいんだろうなと思う。 外国の人が日本の文化を知ろうと思ったら、日本で日本人と暮らすのが一番。日本の飯を食って、日本の服を着て、日本の匂いを嗅いで、それが一番ですよ。 山極壽一さん/ほぼ日手帳・日々の言葉 10/6 明日(つまり本日)、地元で開催される「地域資源としての古民家の魅力」に登壇することになっているので、それに向けて再びあたまの中を整理していこうと思っています。 まち並みという「文化」を歩く

映画から、再びまちへ飛び出して。

昨日は、地元でつくった映画「かめじん」の上映会でした。 すこしずつ、自分よりも若い世代の子たちのところへも届きはじめているみたいで、うれしいことに亀岡出身の高校生や大学生が観に来てくれました。 そして本日、映画の続きとして【映画「かめじん」ロケ地を巡ろう!】というスピンオフ企画を行いました。はじめての試みだったので、ドキドキしていましたが、これまでの上映会に参加してくださった方々が遊びに来てくれました。 ここで生まれた映画を、もう一度地域へ戻してみる。 みんな本人役を