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個々がつくる「まち」のアイデンティティ。


どんな風に見てほしいのか、そのアイデンティティを自ら示せるまちはおもしろいんだろうなと思う。

外国の人が日本の文化を知ろうと思ったら、日本で日本人と暮らすのが一番。日本の飯を食って、日本の服を着て、日本の匂いを嗅いで、それが一番ですよ。
山極壽一さん/ほぼ日手帳・日々の言葉 10/6

明日(つまり本日)、地元で開催される「地域資源としての古民家の魅力」に登壇することになっているので、それに向けて再びあたまの中を整理していこうと思っています。

まち並みという「文化」を歩く。というnoteを書いたあと、なんども城下町を歩いたり、いくつかの古民家を再び訪れたりしていました。こういったテーマで話すわけなので、自ずとまち並みやそれをつくり出す古民家を “どう後世に引き継いでいくのか” という視点にはなってしまうんですけどね。

まちという大きな単位のアイデンティティを示すためには、同時にそのまちで暮らしている個々のアイデンティティが形成されていなければなりません。

そういった、個々が確立していくプロセスのなかに「地域」が入っていくための第一歩として、それぞれが「そのまちらしさ」みたいなものを考え・言語化していく必要があるんじゃないかなと思うんです。普通に暮らせる規模のまちだと、そこまで考えることってそんなにないかもしれませんけどね。

……書きながら見事にややこしくなってきました。

まち>>>>>>>>>>>>>>>個人

もちろん、個人にもいろんな思想があると思うので、それらも含めて「まち」というアイデンティティが形成されていくのだと思います。誤解を恐れずに言うならば、暮らしているひと達の民度がそれに反映されるように思います。

ただ、人口が多ければ多いほどまちとしてのアイデンティティは機能しにくいような気がしています。

片方のひとが「ここは〇〇なまちだ」と言えば、もう片方のひとも「いいや、ここは〇〇なまちだ」と言うでしょうし、これがもっと大きなまちになればなるほどその数が増えていくようなイメージです。ここまで書いていて何ですが、ここでいう「まち」はだいたい「City」の規模を想定しています。

そのなかで、ランドマークになり得るものがなにかがはっきりしていると、まちと個人の関係性がすこし変わっていくように思います。

まち>>>>>>>?>>>>>>>個人

関西で言えば、京都の五山の送り火や通天閣、神戸のポートタワーなんかはわかりやすい気がしています。

まち>>>>>>まち並み>>>>>>個人

そして、そのまち並みをつくるものは先述のような背の高い・わかりやすいものばかりではなく、地域のお祭りや商店街、古民家など昔から続いているものも含まれると思うんですよね。山並みや川のある景色、田園風景なんかもそれにあたると思っています。

まち>>>まち並み>>>古民家>>>個人

ここにもうひとつ入ると思っているのが「文化」です。その地域で、静かに脈々と受け継がれてきたもの。古民家のなかで営まれてきた暮らしの文化。

まち>>まち並み>>古民家>>生活文化>>個人

今更、明日からおくどさんでご飯を炊きましょう!ということを推奨していきたいというわけではありませんが、古民家はまちと個人をつなぐ大事な要素のひとつだと思いますし、一度壊れてしまったものは二度と戻すことができません。

地域文化>>まち>>まち並み>>古民家>>生活文化>>個人

これまで出てきたものを整理するとこんな感じでしょうか。「地域文化」は、まち並み(だいたいVillageの規模)のところにもあるので置く場所が難しいのですが、「まち並み」と「生活文化」は密接している気もするので、今回は「まち」の上に配置しました。文化は土台ありきですしね。


「住みやすさ」という観点からすると、古民家よりも新築の方が圧倒的に快適に暮らせるなかで、わたし達はどのように「まち並み」ないしは「まち」を未来へ引き継いでいけるのかを考える場にできたらいいなと思います。

大きなことばかりではなくて、例えばわたしだったら「どうやって海外のともだち」に地元をたのしんでもらえるかをずっと考え・小さく実践してきたので、そのくらいのことからでいいと思うんですよね。


緊張するけど、ちょっとだけたのしみになってきたかな。古民家でなにか具体的な場所を運営しているとかではないなかで話せることは限られてくると思うのですが、聞かれたことに答えていけばいいよね。

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