「おこぼれ」みたいな存在。
わたしがやっている「仕事」というものは、ひとが生きていくうえで “なくてはならない” という分野ではない。
話というのも、焼豚のはじっこみたいなことが大事。
パンの耳、焼豚のはじっこ、人の愛嬌、話の寄り道。
そういえば…っていうのは、とてもいいものなんです。
10月24日の「今日のダーリン」より
いま、わたしの仕事がなくなったとしても、たぶん誰も困らない。
決して無責任なわけでも、悲観しているわけでもなくて、ライフラインに関わる仕事でない限り、おおよその生活が成り立つように日本はこれまで発展してきましたから。その恩恵を受けていることは間違いないんですよね。
しかしながら、“なくてはならない” ものではないけれど、“これがあったから” と思ってもらえるような瞬間はだいたい、余白のところに含まれていて。
得体のしれない目に見えないもの。便利なものが求められる社会では、いらないかもしれないもの。でも、確かに温度を感じるもの。
「効率化が求められる時代に、非効率から生まれる『おこぼれ』みたいな要素が人生を豊かにするのではなかろうか。」なんて言っちゃうと、テーマがすこし大きくなりすぎてしまうかな。
“なくてはならないものではない” という存在であることを望みながら、こんな時代に選んでもらえるのもや、あってよかったと思ってもらえるものを提供したい! というのはむずかしいのかもしれないけれど、わたしにはそのくらいの距離がちょうど良い。
「余分と思えば、たしかに余分だけど。」みたいな立ち位置が良いのかもしれないね。
ちょいと抽象的な話になりがちですが、地元の大きなお祭りに携わりながら、そんなことを考えていました。
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