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元ホームレスだったおいちゃんの葬式に100人が集まった話。

「田中さんが亡くなったよ。」

施設長からの電話はそんな唐突なひとことから始まった。よく晴れた日曜日の午前中だった。朝食を食べに降りてこないので、宿直が起こしにいった時にはすでに布団のなかで亡くなっていたそうだ。90歳の大往生だった。

わたしは記憶を辿った。最後に話したのはいつだっけ。ああ、一昨日の昼ごはんだ。私が「田中さーん、元気ですか?」と声をかけると「元気じゃよ。梅干しいるか?」って満面の笑みで、いつも持ち歩いている梅干しを分けてくれようとしたんだった。ああよかった覚えている、でもまさかそれが田中さんとの最後の会話になるなんて…!

田中さんは荒くれものの多いうちの施設(※プロフィール参照)のなかで唯一の良心といってもいいほど穏やかな人で誰からも好かれていた。オシャレで笑顔がチャーミングで、デイサービスではそんな田中さんにメロメロだったおばあちゃまも少なくなかったとか。さらに、田中さんは近所の川沿いのごみ拾いを自主的に続けて、区から表彰されたことなどもある人徳者でもあった。

そんな田中さんだったから、葬式には100人をこえる人が参列した。入居者、施設職員、近所の人たち、ホームレス時代からの仲間、デイサービスの仲間、ボランティアさん…誰もが皆、田中さんを懐かしみ、それぞれの思い出を語り合った。何より喜ばしかったのは、長い間縁の切れていた妹さんと姪子さんが葬式に参列してくださったことだ。

「叔父は…ホームレスとなって、その後施設に入ったときいていて、もっと荒んだ侘しい生活を送っているものと思ってました…」そういって姪子さんは目に涙を浮かべた。「それがこんなたくさんの人に見送っていただいて…私たち(の葬式)でさえ、こんなに多くのひとが集まってくれるとは思えません。叔父の人生はきっとよい人生だったのだと思います。」

そう、かつて田中さんはホームレスだった。ホームレスとはただ単に家がないだけではなく、家族や仕事との縁が切れ、社会から疎外された状態にある人のことをいう。しかし、田中さんはホームレスから自立する過程で、多くの人と関係性を新たに結んできた。彼の葬式に集った人々は彼がそうやってゼロから関係性を構築してきた人々である。そして、それは関係性が希薄だといわれる現代においてどんなに尊いことか…!

たとえ、ホームレスでなくとも、家族のいるいないに関わらず孤立して暮らしているひとたちはたくさんいる。一方で、ホームレスという究極の孤立状態を一度は経験しながらも、仲間と支えあいながら豊かな人間関係のなかで暮らしているひとたちもいる。支援の現場にいると、これからの時代に必要な血縁によらない関係性構築の鍵は彼らが持っているような気がするのだ。

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