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今日ときめいた言葉31ー「政治家よりもまともな国家や共同体を作るのが小説家の仕事だ」

(2023年3月8日付 朝日新聞 「有事の前例『明後日の日本』」から小説家・法政大学教授 島田雅彦氏の記事から)


「政治や経済はシステムや権力を最適化したり、効率よく運用したりするジャンルだが、文学は個々の心情や感情、知性の自由な働きにのっとっている。

心折れる現実、マフィア化したこの国家、出口の見えないこの戦争から逃れ、自らの生存に最適な異世界をどのように立ち上げるか、といったところに知性が発揮される。

現実の主権国家も『想像の共同体』に過ぎないのだから、独裁制ではない別の理想の国家や共同体、『プーチンのいないロシア』や『日米安保条約が破棄された日本』を想像する自由はある。政治家よりもまともな国家や共同体を作るのが小説家の仕事だ」

文化人類学者の今福龍太氏も、

ー「知」は、我々の社会を創造していく真の力であるが、その時の「知」とは「知識」(knowledge)ではなく、「知性」(intelligence)であるはずだと述べている。そして、その知性は文学に宿るのだと述べ、文学を粗末に扱う日本の教育制度の現状を憂いている。


この記事で、島田氏は「ウクライナは明後日の日本である」と述べている。それは、「台湾有事」を考える際の前例となり得るからであると。日本は憲法を順守する限り単独では戦争に巻き込まれる心配はなかったが、アメリカとの同盟関係で戦争に引きずり込まれる可能性があると言っている。

アメリカの対中、対ロ戦略に基づき、アメリカが同盟国に求める軍事力強化に応じるかたちで、日本は防衛予算を大幅に増やしている。「抑止力という幻想」に取り憑かれてアメリカ従属をますます強めているが、悲しい結果に終わるのではないかと危惧している。

本当の意味で民主化したことがないロシアと、日本は似ているという。日本の民主化も、市民が自らの手で戦って勝ち取ったわけではないからだと。


私もそう考える。「日本の民主主義」には疑念を抱いている。欧米の民主主義の歴史を概観しただけでも、人々が個人の尊厳に基づいた市民社会を生み出すために戦った歴史がある。

日本の民主主義は、形式的には似ているようだが、根本的にその質が違うと感じている(いまだに変わらない人権意識の希薄さ、表現の自由・報道の自由の低さ、一向に縮まらない男女格差、世間の風向きで変わる正義、数え上げたらキリがない)

戦後、旧体制下の人間が横滑りして、そのまま国家運営を引き継いだわけだから、占領軍に与えられた「民主主義」に対する意識も知識も欧米諸国のそれとは大分異なっていると思う。

その上、学校教育においてもその点を深く掘り下げることもなく、市民になるための教育も徹底して行われてこなかった。理念だけで、その実現が中途半端に終わっているのが日本社会である。「民主主義とは何か」と問い続け、社会に存在する問題解決に取り組み続けなければ、それは絵に描いた餅である。

今、日本の政治家から受け取るものは失望ばかりである。彼らの言動からは、この国の明るい未来の展望など思い描けない。大騒ぎしている少子化問題など起こるべくして起きたのである。もう随分前からわかっていたことなのに有効な手を打ってこなかっただけなのだ。

だから人々に感動を与え、生きる勇気や救いをもたらす文学の創作者の方が、我々にはずっとずっと貴重な存在だ。今の政治家に人々を感動させる力があるだろうか。彼らの言葉はあまりに軽い。

2023年3月19日放送のTBS「 サンデーモーニング ・風をよむ」の大江健三郎氏の言葉にも、政治家に対する大いなる不信感を感じ取ることができる。

「いま僕は、日本の政治指導者に、10年経って、『この人はこういう人だった、こういう個人的な深さ・広さ・魅力をもった人だった、そして、こういう業績を残した』と、1人の評伝として伝記を書くことのできる政治家はいないと思うんですよ…」

そして、弱者を顧みない政治の姿勢を、改めてこう指摘しました。

「僕は、あらゆる職業の人間が、基本的な人間として畏れをもたなければならないと思っています。ところが、このところ政治家が、自分の仕事にそうでない。妙に大きいことを言う。畏れを感じない人たちが言い始めるのが、伝統とか文化とか、歴史とかについての『美しい言葉』です。言ったことが実現しなくても責任は問われない。その間、細かな現実で苦しむ弱い者は、何もしてもらえない…」

こんな政治家の暴走から国民を守るために憲法があるのだということを肝に銘じよう。

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