ももた

気がつけば40代後半のおばちゃんになっていました。強迫性障害の持病があります。森田療法…

ももた

気がつけば40代後半のおばちゃんになっていました。強迫性障害の持病があります。森田療法初心者です。森田療法を通じて自分の症状を少しでも楽にすること。それを通じて誰かの辛さが少しでも楽になりますように。

最近の記事

強迫性障害の未受診期間

強迫性障害の未受診期間の平均は4.7年。 私が治療を始めたのは発症から40年…。 しばし言葉を失う…。 何故こんなにも未受診期間が長くなってしまうのか。 わたしなりに少し考えて見た。 「わかりにくい」 この一言に尽きる。 つまり 自分の生きづらさの根柢にあるもの の正体が「わかりにくい」のだ。 特に早く発症したり、 強迫行為をあまり伴わなかったり、 女の子の場合恥ずかしいから隠してしまう。 そのままなんとか大人になって なんとかやれてしまう。 私が医療につながるこ

    • 強迫症あるある。

      強迫性障害の人なら「あーあるある。」 とわかってもらえると思うけど、頭の中に人がいる。 その人が強迫観念を耳元でささやいてくる。 「本当に大丈夫か。大変なことになるぞ」 こんな感じで。だから現実の世界と強迫観念で作られた世界 との境界があいまいになる。 自分が作った極端に恐怖に満ちた世界が 現実の世界の様に感じる。 本当の世界ってどんなだろう。 感覚に頼るとき、わたしはそれに触れている と最近感じる。 若くてちょっとザラザラした娘の腕に 触れるとき。犬の耳の後ろのふわ

      • 娘の通院

        強迫性障害を娘が発症して三年。 三年間娘の部屋には入れなかったし、 娘に触ることさえできなかった。 顔に消毒液をかけられた日。 あまりの症状の苦しさに 「お母さんもう殺してよ!」 と言われた日。救急車を呼ぼうとした日。 いろいろあったけど、 最近は寛解してきた。久しぶりに娘に触れるように なったけど、ここ数ヶ月の私の症状の悪化につられて 彼女も不安定になっている。 今日は通院でフルボキサミンマイレンが一錠増えた。 わたしが一番しんどいのは あんなに心を込めて育ててきたの

        • 捨てていいもの

          捨てていいもの 自分を苦しくさせる思い込みやこだわり。 例えば 仕事の前は完全な睡眠をとらなければならない。 とか。 手に職を付けて自立しなければ幸福になれない。 とか。 子どもがいないと幸せでない。 とか。 人生はなにか成し遂げてこそ幸福だ。 とか。 いつも完全に不安ない状態でいなければならない。 とか。 わたしはこうした思い込みやこだわり によって「本当の私」「ありのままの自分」 をいじめてゆがめて苦しめて居るように思う。 自分をいじめるこだわりをそろそろ捨ててしま

        強迫性障害の未受診期間

          摂食障害

          私の強迫性障害が悪くなって4か月。 強迫性障害が寛解していた娘が ご飯を食べなくなった。 最近、甘いものを食べなくなって 野菜ばっかり食べていたから なんとなくおかしいと思っていた。 わたしも14歳から6年間 摂食障害だった。 毎晩、夕飯をお風呂で吐いて 家族が寝静まった後、 冷蔵庫をあさった。 不思議なことに6年間 父も母も気づいてはくれず 体重は36キロまで落ちた。 さっき、父に電話する。 父は孫の異変に酷く狼狽した。 わたしは娘を利用して 復習をしているのか。

          摂食障害

          自己紹介③

          「頭の中に小人がいるの」 今から10年前。小学1年から娘は不登校になった。 自閉症スペクトラム障害 児童精神科で診断がついた。 小学校の不登校はきつい。 行くところがないからだ。 特に地方は。 とにかく色々連れて行って、なんとか小学校を卒業。 中学校になった娘がある日懸命に何かを洗っていた。 その日の後ろ姿を忘れない。 彼女は必死の形相で手を洗っていたのだ。 中学2年の夏。娘は強迫性障害と診断された。 その時やっとわたしは知った。 私をこんなに長い間苦しめたものの正体

          自己紹介③

          自己紹介➁

          自己紹介の続き。 14歳から22歳まで苦しんだ摂食障害のあと。 なんとか大学を卒業した。 でも、運悪く就職氷河期。それでなくても 不安な私は例外なく就職に失敗。 一年働いたあと、当時付き合っていた 今の主人と結婚した。 そのあとなにを思ったのか税理士試験に五年 挑みまたまた失敗…。(失敗多いなあ) 今思えば「税理士にならなければならない」 という強迫観念だったように思う。 周りにすすめられるまま妊娠、出産…。 二人の娘の母となる。 例外なく産後うつになり、死にそうにな

          自己紹介➁

          死んではいけない

          昨日は死のうと思って いろいろな手段を考えたけど 今日は友達と アイスを食べた。 こころは変わる。 きっと変わる。 だから死んではいけない。

          死んではいけない

          底つき体験

          「今から入院できませんか。」 9時。私は携帯を握りしめて いつものクリニックに電話した。 「入院ってどこにですか。」 受付の人の一言に我に帰る。 そうだ。どこに入院すればよいのだろう。 わたしはどこに入院すれば今の苦しさ から逃れられるのだろう。 持病の強迫性障害が 三月の末のある出来事で悪化した。 主人の仕事が気になって気になって たまらなくなったのだ。つまり、主人が 強迫の対象になった。 それ以来、主人や家族を巻き込んで私の 強迫行為は時に激しさを増した。 家族に確

          底つき体験

          自己紹介①

          ほんとに久しぶりの投稿です。 備忘録のつもりでやっぱり続けようと思う。 自己紹介 私は40代後半のおばちゃん。 強迫性障害の持病があって地方で暮らす。 娘は中高生で二人。 わけあって専業主婦。 強迫性障害をはじめて自覚したのは 6歳。当時はシールでついていた値札を 貼りなおして遊んでいたらお店の人に見つかって 母に酷く怒られた。多分「警察に捕まるよ」って。 それ以来6年間、いつ警察に捕まるか恐ろしくて 恐ろしくてたまらなくて。 その後はいろんな強迫観念が次々やってきた。

          自己紹介①

          ももたんありがとう。

          保護犬としてももたが家にきて10年。 心臓に悪性の腫瘍ができたらしい。 多分あと一か月くらい。 ももたは散歩が大好きでよく山へいった。 大型の日本犬だから近所の小型犬をかんで 何度も謝りに行った。 一週間前まで普通に過ごしていたから 信じられないけど、しょうがない。 最近、いろいろあっていろいろ思う。 今日は普通にできていたことが 明日もできるとは限らない。 今日楽しく会話した人も もう会うことはないかもしれない。 今日見た紫陽花の赤も 明日は色褪せてしまっているだろう。

          ももたんありがとう。

          こころはかわらない

          強迫性障害の悪化から三か月。 薬は三倍になった。 朝の強烈な不安感がだいぶん落ち着いた。 今日はラジオ体操をしてみる。 多分、鬱だったように思う。 鬱には「日内変動」というのがあるらしい。 私も午後から夕方、夜にかけて とても楽になる。 鬱は朝の状態を基準にするといいらしい。 こころはなかなか変わらない。 不安でも苦しくてもとりあえず 行動する。 洗濯をする。花に水をやる。 犬の散歩をする。食事の支度をする。 そうすると不思議とこころも ついてくる。 あとからあと

          こころはかわらない

          友人の事

          私の友人には重い心臓病の子供がいる。 酷い重い質問をする。   「M(友人の名)は不安やろ?   その不安どうするん?」   「それを持ったまま生活するんよ。   不安でも洗濯はあるし、食事もつくる。」 「その日(子供が亡くなる日)が来たら   どうするん?」 「その時は、はからって大騒ぎして苦しむんよ。  苦しんで、苦しんで、苦しむんよ。  それが人間やろ?」 Mはそういってピアノを弾き始める。 「ハウルの動く城」の主題歌だ。 彼女は生きている。 私よりもずっと生

          友人の事

          人間関係

          家族の事で体調を崩して三か月。 本当にいろんなものを失った。 とくに自分にあったはずのわずかな 自信。これは結構痛かった。 あと、親友だと思っていた人の 酷い言葉。うん。これも結構痛い。 無理して付き合っていたサークル活動。 綺麗な恰好して若作りして痛かったなあ。わたし。 でも、得たものもある。 同じ病気で苦しむ人たちとの会。 今の私の心の支えだ。 みんな自分も苦しいのに本当に優しい。 神経症の人は皆たいていいい人だと思う。 あと、二人の娘の大切さ。 普通にご飯を

          人間関係

          楽になる

          今日朝起きて、この記事を読む。 強迫性障害の薬の増量で昨日死にそうになった。 (増量時は一週間こうなる。) あー。駄目だ。死ぬんだ。 子ども達どうしよう。でも怖い。死ぬの怖い。 その後頓服のんで落ち着いた。 夕方には上の子の進路の相談に乗って 夕飯をなんとか作って、今日もこうして 生きている。 ここまで落ちたら、なんだか いろんなことがどうでもよくなってくる。 とりあえずただ生きよう。 いままで理想の自分になるために 努力することが正しいと思ってきたけれど 本当にそうなん

          楽になる

          強迫性障害とがまん

          昨日の生活の発見会の集団会で。 「目的本意」の生活を心がける。 ということが話題になった。 強迫観念の不安に襲われた時、 その不安をなくすことを「我慢」して 行動をするということだ。 そのとき「何が何でも我慢する。」 というのではなく、ほんの少し我慢して 次の行動に移ればいいらしい。 私は「何が何でも完ぺきに我慢する!」 でいつも失敗してしまう。 確認行為を二回でやめる。 本当はずっと確認したいけど。ほんの少し 我慢。そして自分がしなくはならない 日常のことをする。その時

          強迫性障害とがまん